第102話 決意の瞬間 ~麻乃 2~
演習のすべてが終わったあと、隊員たちは全員が一度、中央に戻った。
麻乃も同乗して軍部にある部屋へ向かった。
長く留守にしていたせいで空気がこもっている。
窓を開けて空気の入れ替えをした。
引出しから数枚の書類を出すと考えながら書き込みをし、一部を上層部に提出してから、もう一部をシタラに提出するため、急ぎ神殿へと向かった。
夜が近づいている。
神官や巫女たちの夜は早い。
麻乃は駆け足で向かった。
城の裏手から泉の森に通じる道の途中に神殿がある。
陽が傾きかけて森の影を映した神殿は、おもての松明に火が灯されて幻想的な雰囲気を漂わせていた。
すれ違う巫女たちとあいさつを交わしながら中へ入ると、二番巫女のカサネが出てきた。
「おや、麻乃じゃあありませんか。このような時間にどうしたのですか?」
「カサネさま、ご無沙汰しています。遅い時間に申し訳ないとは思ったのですが、今日は巫女ば……シタラさまに書類を提出しにまいりました」
カサネは麻乃をジッと見つめてきた。
(やっぱり明日まで待ったほうが良かったかな? 巫女婆さまって言いかけたのがまずかった?)
あまりにも見つめられてたじろぐ。
不意にカサネの手が麻乃に伸びてきて、何度か背中をさすった。
さすられたのは背中なのに、おなかの辺りが暖かくなり、それがやけに心地良い。
「シタラさまはこのところ、あまり具合が良くないようでふせっていらっしゃることが多いんですよ。今日も、もう部屋に戻られてしまいました。とはいえ、こんな時間に来るほどですから急ぎなのでしょう? 書類は私があずかり、今日中にお渡ししてお答えをいただいておきましょう」
「はい、よろしくお願いいたします。明日、午前中にまた伺うようにします」
書類を渡して帰ろうとしたところを呼び止められ、返事をして振り返った。
「麻乃、一人でいる時間を、あまり長く持たないようになさい」
そう言われた。
はっきりとした意味はわからないけれど、要するに誰かとともにいろということだろう。
「わかりました」
これから一人の時間を作ろうと思っていた矢先のことで戸惑いながらもそう答えておいた。
その足で宿舎に戻り、麻乃は荷物の整理を始めた。
西区に戻るときに衣服はある程度運び出したとはいえ、まだたくさんのものが置いてある。
仕分けるのも面倒で、はしから順番に箱詰めをしていった。
ノックが聞こえ、ドアが開き、杉山と
「隊長、車の用意ができましたけど」
「ああ、疲れてるのに面倒ばかりかけて、本当に悪いね」
「これ全部、運ぶんですか?」
「いや、取り急ぎ半分ほどでいいよ。明日は
「じゃ、適当に積み込んじまいますよ」
「しかし……まるで夜逃げみたいですね」
杉山と大石が荷物を抱えて笑い、麻乃も苦笑した。
「あたしも実はそう思った。くれぐれも誰かに見られないように、こっそりと積み込みをしてよね」
古株の隊員たちには大まかに話しを通してある。
極力静かに運び出すと、西区に向かって車を走らせた。
その夜はあまり眠れないまま、翌朝、麻乃は早い時間に神殿へ出かけた。
出てきたのはシタラで、足を引きずるようにして歩いている。
中はひっそりとしていて、ほかには誰もいないようだ。
シタラは提出した書類を出してきた。
「これについては良い卦が出た。私のほうからは良い返事が出せるであろう。軍のほうは良い顔をせぬかも知れん」
「承知の上です」
「ならば私のほうからも口添えしておこう」
「ありがとうございます」
麻乃はできるかぎり、シタラと目を合わせないようにしてお礼を言うと差し出された書類に手を伸ばした。
その手首をグッとつかまれて視線が合う。
小声でなにかをつぶやいているようで耳障りな音が頭の奥に届く。
麻乃は寒気に鳥肌が立ち、ふらりと目眩を覚えた。
シタラの小さな黒い瞳が光の影響か青く光って見える。
「できるだけ一人の時間を持つが良い。ほかの蓮華を信用するでない。一人きりにおなり」
ニタリと笑うシタラの口もとが吊りあがった。
麻乃の手首をつかんでいるシタラの体温はひどく冷たい。
その場の空気さえも冷たく感じた。
カサネは一人になるなと言った。
シタラは一人になれと言う。
しかもみんなを信用するなというのは、どういうことなんだろう?
疑問を感じる心とは裏腹に、麻乃の口から言葉がこぼれた。
「わかりました」
シタラは満足そうにうなずき、手を離した。
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