第96話 疑念 ~鴇汰 1~

 山道の緩やかなカーブを、鴇汰はスピードを落として車を走らせた。

 西詰所の持ち回りも、今日が最後だ。


 一カ月もいたのに、なにもしていない気がする。

 敵襲も数える程度にあっただけだ。


(一体、俺はなにをして過ごしていたんだろう?)


 もっと麻乃といる時間があると思っていた。

 蓋を開ければほんの数回、会っただけだ。

 しかも最後に会ったときには、次に合わせる顔もないくらい馬鹿なことを言ってしまった。


 片手でハンドルを捌きながら、バックミラー越しに穂高を見た。

 窓に肘を乗せて外を眺めている。


 あの日から、ろくに口も聞いていないし、穂高はちょくちょくどこかへ出かけていて、顔を合わせることも少なかった。

 多分、医療所と演習場だとは思うけれど、変に意地になって聞くことができない。

 曲がりきった先の森の中にチラリと赤っぽい色が見えて、ドキッとした。


 さらにスピードを緩め、鴇汰はもう一度その方向を確認してみた。

 流れていく木々の間に麻乃の姿が見える。

 なにか指示を出すように片手をあげて合図している先には、穂高の妻、比佐子の姿もあった。


(あいつ……あんな怪我をしていたのに、もう戻ってるのか?)


 数日前には歩けなかったのが、嘘のように動いている。

 麻乃の後ろを数十メートルほど離れたところに、シタラの姿が見えた。

 鴇汰はハッとしてブレーキを踏み、車をとめた。


(……なんで婆さまが?)


「どうしたんだよ?」


 急に車をとめたせいで、穂高が問いかけてきた。

 麻乃が演習に戻ってるのはなぜなのか、シタラが演習場にいるのはどうしてなのか、なにから聞けばいいのかわからず、鴇汰は黙ったまま麻乃の姿を目で追った。


「ああ、なんだ、比佐子と麻乃か。あの二人、こんなところまで来ていたのか」


 鴇汰の視線の先を追った穂高がつぶやいた。


「穂高、麻乃が戻ったの知ってたのか?」


「まあね」


「歩けないほどの傷だったのに、もう出られるのかよ?」


「そうみたいだね、ああやって動き回っているくらいだし」


「みたいだね、って……穂高、毎日あいつの様子を見に行ってたんじゃねーの?」


「そんな訳ないだろう。比佐子の様子は見に行ったから、そのときに少しは麻乃の話しも聞いたけどね」


 矢継ぎ早に鴇汰が問いかけると、穂高は表情も変えずに答え、また頬づえをついて外を向いた。


「それに……動けなくなったならともかく、動けるようになったんだから良かったじゃないか。気にするほどのことでもないよ」


 普段は他人のことでも気にかけて、優しさを見せるのに、たった今、穂高の口から飛び出した言葉は、鴇汰を一瞬で苛立たせた。

 そっぽを向いた穂高の肩をつかんで引き寄せると、思わず大きな声を出した。


「気にするほどのことでもないって? おまえ……それ、本気で言ってるのかよ!」


「なにを怒っているんだよ? 麻乃のことなんか知らないって言ったのは鴇汰じゃないか」


 鴇汰がつかんだ手を振りほどいて、穂高が睨みつけてくる。

 狭い車内に険悪なムードが満ちた。


「わかった。もういい」


 車を急発進させ、山道を曲がりきるところで、もう一度、麻乃の姿を探した。

 緑の茂った森の中でもくっきりと映える赤茶の色が、遠目でもその姿だとわかるのは、単に色のせいじゃなく、鴇汰の目が意識して探すからだろうか?


 麻乃のことなんか心配したって無駄なんだと思っても、いつでも頭のどこかで考えていてどうしようもない。

 イライラするのに近くにいたくて、顔を見たくて――。


 ドアミラーを流れて消えた森から目を外し、中央へ続く道を向いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る