疑念

第95話 疑念 ~修治 1~

「修治」


 塚本の声に振り返ると、市原とシタラが車からおりてくるところだった。


「面倒をおかけてしまってすみませんでした」


「構わないさ、大したことじゃない。市原も婆さまが苦手なもんだから、今日はごねてひどかったぞ」


 市原に目を向けると、シタラに話しを振られて苦笑いをしている。


「で、麻乃は?」


「ええ、今日はもう出ているはずです。森の奥から川に沿って、こっち方面へ向かうと聞いています」


 うなずいた塚本は、シタラのそばへ行くと耳もとでなにかを話しかけている。

 目を閉じたまま顔をあげたシタラは聞き取れないほど小さな声でなにかをつぶやいている。


 視線を移すと、市原の苦虫を噛み潰したような顔が目に入り、修治はうつむいて笑いをこらえた。


 シタラから、奇妙な緊張感が伝わってくる。

 目を閉じたままで、なにが視えるというのだろう?

 見えないものを視るには閉じていようが開いていようが、距離さえも関係ないのだろうか?


 その存在は否定しない。現に亡くなった隊員たちと逢うことはある。

 けれど、憑いている云々となると、どうしても疑問が湧く。

 それでも修治は今、なにか理由づけがほしかった。


「どうですか? なにかわかりましたか?」


 塚本の問いかけに、シタラはゆっくりと首を横に振る。


「なにも変わりはないようじゃ。この演習場も不穏な気配は一つもない。心配するまでもないであろう」


 塚本はホッとしたように盛んに礼を言い、市原は修治に向かって大袈裟に肩をすくめてみせた。


(なにもない、か……)


 塚本と市原のシタラに対する温度差に笑いを噛み殺していると、ボソリと放ったシタラの声が修治の耳に届いた。


「詮のないこと……」


 つと視線を向けると、シタラの瞳が変に光ったように見えた。

 薄ら笑いを浮かべているのか、その口もとが引きつっている。


 一瞬で、修治の全身に鳥肌が立った。

 淀んだ空気の中にいるみたいで気分が悪いのに、目を逸らしてはいけない気がしてシタラの姿を追い続けた。


 塚本にうながされて車に戻っていくシタラは、これまで修治が何度も見ている姿とはまったく違うようにも思える。


(詮のないって……? 一体、なんだっていうんだ……?)


 車に乗り込んだシタラに市原とともに今日のお礼を言うと、塚本はシタラを送ったあと戻ってくると言い残して車を出した。


「まったく、本当に薄気味の悪い人だよ」


 すぐ後ろで市原がこぼした。


「そんなに嫌いですか?」


「嫌いって言うかなぁ、近ごろ、どうも怖いんだよ。今日だって気味悪さが増してないか?」


「そうですね。俺もさっきは鳥肌が立ちましたよ。これまで毎週、会議で会っていましたけど、久しぶりに見たらなんだか以前より雰囲気が――」


 そういえば、いつもは会議のあとで持ち回りの組み合わせを決めるのに、今回は一月分をまとめて知らせてきたらしい。

 先になるほど、ブレが生じるから週ごとが適切だと言っていたのに。


(このところ、会議には出ていないが、婆さまは出ているんだろうか? ほかのみんなは婆さまをどう見ているんだろう?)


 疑問ばかりが、次々に湧いてくる。


「同じ巫女でも、二番巫女のカサネさまとは雰囲気が大違いだ。あのかたも良い歳になられたけれど、遠目で見ても温かさが伝わってくるだろう?」


 考え込む修治の隣で、市原がつぶやいた。

 確かにシタラ以外の巫女たちは、葬送や収穫祭のときに目にするくらいだけれど、誰もが一様に温かい雰囲気をまとっている。

 シタラも以前は同じように温かかったけれど、今のようになったのはいつごろからだったか――。


「まぁ、なんにしても、麻乃におかしなことがなくて良かったよ。もしも、なにかがどうとか言われたら、俺はこのあとの演習は全部、塚本に押しつけるつもりだった」


 その言葉に、修治はいい加減、こらえ切れずに吹き出してしまった。


「本当になにもなくて良かった。そうは思うんですけど……あの不安定さがなんなのか、どうしても引っかかるんですよね」


「おまえは過保護過ぎるんじゃないのか? 麻乃ももう二十四だろう? 独り立ちしていてもおかしくない歳だ。おまえの手を離れようとでもしているんじゃないのか?」


 ハッとして市原の顔を見た。

 そう言われて思い返すと、このあいだ、医療所で変にあらたまったことを言っていた気がする。


 麻乃が生まれたときから、ずっと一緒にいた。

 いつでも泣きながら修治の後ろをついて回っていた、幼い日の麻乃の姿……。

 今でも意識して麻乃の前を歩く修治のあとを、追いついてこようと喰らいついてくる。


 この先もずっと振り返れば麻乃がいるだろうと、なんの疑いもなく思っていたけれど――。

 いつの間にか、お互い別のものを見始めているのかもしれない。

 ぼんやりと演習場の森を眺めた。

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