ポテサラ【KAC20233『ぐちゃぐちゃ』】

石束

ポテサラ


「それではまた来週きますね」

「ああ、フィアーネさん、いつもありがとうね」

「どういたしまして!」


 一礼して扉を閉めると、フィアーネは踊る様な足取りでステップを踏み、石段を三つ降りて路地へでた。


 大通りから二つ城壁よりの集合住宅。空気はややしけっぽい。その分家賃はお安めなものだから、このあたりの人たちはあまり生活に余裕のない人がおおい。これでも日当たりがよいぶんマシなほうだが、北東の城壁へ近づくとより状況は深刻になる。


 生活環境の悪化は、抵抗力の低下につながり、病気やケガの元になるし、速やかな回復を妨げる。日当たりの良いところに住み、十分に食事をとり、ぐっすり眠る。それを勧めることはたやすいが、それを誰もができるわけではない。世界で一番人間の集まる王都は、貧富の上でも知識の上でも身分の上でも、ごまかしようのない格差で溢れている。それ故にこそ、せめて日々の巡回や生活指導が欠かせないのであるが、そうするには医師も薬師も神官も、圧倒的に足りていない。

 それでも――だからこそ。


「おじさん! おはようございます!」

「おお、神官さん! いつも元気だねえ」

「はいっ! ぐっすり寝たから元気百倍です!」


 彼女は、わき目も振らずに、今日も走り続けている。


◆◇◆


 フィアーネは王都至高神神殿の見習い神官である。日々奉仕活動にいそしむ彼女は今朝も具合の悪いお年寄りを訪問診療していた。

 少し前にひいた風邪が長引き、元気がない。食欲もあまりないらしく、同居の娘さんも「食べること自体がつらそうで」と心配していたのが、気がかりで。

 ――と、そんなことを考えながらお昼過ぎの人通りの少ない市場をあるいていると。


「ふざけんな、くそがき。これのどこがイモだ!」

 知り合いの八百屋さん(このあたりの人は大体知り合いである)が、物凄い剣幕で怒鳴っているのが聞こえた。

 たしかに威勢はいいけれど、無体に声を荒げる人ではないはずと、慌てて人垣(ほぼ顔見知りばかり)をかき分けて、駆け寄ると。

 あたりには市場にはそぐわないこぶし大の岩石が五つ六つころがっていて、その中に小柄な人影が倒れている。

「ウチは八百屋だぞ! 石っころが欲しいなら、鉱山にでも行きやがれ!」

 怒鳴られているのはこの辺りには珍しい真黒な髪色の、十五歳くらいの少年で――あれええっ!

「旅人さんっ」

喧嘩のもう一方も、やっぱり知り合いだった。


 買い物をしに来た子供がいて、事情を聴けばイモを買いに来たのだという。好きなのを選べどれもうまいぞ、おまけもしてやろう――と、八百屋さんは話しかけたのだが、子供は難しい顔をしてうなるばかり。

 一体、どんなイモをさがしているのかと尋ねてみたところ、汚い背嚢から取り出したのは黒くて固くてひどく、というか見かけと大きさとは完全に不釣り合いな重さの岩石だった。

 八百屋はからかわれたのだと思い叱るつもりで、子供から受け取った岩石を地面にたたきつけた。それを見た子供が「食べ物を粗末にするな!」と生意気にも言い返して――


「なるほど。」

 八百屋と旅人の少年の真ん中に立って腕組みをして話を聞いていたフィアーネは鷹揚に(ある意味、偉そうに)頷いた。

「至高神の御名のもとに、この度の争いをわたくしが預かります」

 その言葉に、八百屋と少年と、周囲の住人はみんなあっけにとられた。

 てっきり、どっちが悪いか裁定するか、痛み分けの仲裁をするかとおもったのだ。


 実際もめ事が起こった時に神官が間に入ることは多い。

 至高神はすべての神の上に君臨する。それ故に、平等で正しい者の味方であり、同時に虐げられる弱者の保護者でもある。それを主と奉じ教えに従って厳しい戒律のもとに日々を送る至高神教団は正しい秩序と正義の守り手であった。

 ついでにフィアーネはこの年ですでに、この街ではその裁定に一定の見識を認められている『神官さん』であった。

 その言に一目置くものは少なくない。

 だがそれにしても。これは意外だった。

 彼女はどちらが悪いと決めるのでもなく、なし崩しにするのでもなく。

「きちんと真偽を見極める」

といったのだ。


「……で、そのおばあさんなんですが」

「うん」

 その後、フィアーネは少年に同道して通りを歩いている。少年が最近宿をでて、部屋を借りたと聞いたので、そちらに向かっているのである。

「どうも、なんというか……体力が弱くなったせいで気力まで弱くなってて」

「そっか」

「娘さんには隠してるみたいなんですが、私と二人きりになると『めんどうをかけたくない』『あのこを楽にしてやりたい』って、いううんです」

「……うん」

「でも、頑張ってって、そういう時にいう言葉じゃないような気がして」

 少年は「うん」と一つ頷いて、どこか遠くをみるように空に視線を向けた。

「そうだな。お年寄りって、ずっと頑張ってきた人たちだもんな。いえないよな」

「……」

 言葉が切れた。

 あれ? と思って少年が横をみると、黙ってこっちを見ているフィアーネと目が合った。

「えっと」

「あっ……いえ、なんでもありません!」

 フィアーネは一瞬硬直した後、ぶんぶんと首を振った。


 そして、また会話が途絶える。


「あのさ。神官さん」

 二度三度、ためらいの気配を挟んでから、少年の、なんとなく言いにくそうな問いが、聞こえてきた。

「聞かないのか? 喧嘩の原因とか?」

 くすり、と笑う気配がして「私が聞きたいのは喧嘩の原因じゃありませんよ」と返事が返ってくる。

 彼の事だ。事情があるのだろうから、そんなことは聞くまでもない。今問題なのは、そんなことではなく。

「それ。どうやって食べるんですか?」


 ◆◇◆


 うーむ。

 腰高のチェストボードと二人掛けのテーブルとベット。

 荷物の少ない彼の部屋で、フィアーネは改めてくだんの『岩石』を見分した。

 正直どこをどう見ても石である。


 黒くごつごつしていて、そして重い。比重が重いのだ。下手すると同量の金と同じかそれ以上。

 ――これが。


「『じゃがいも』って名前のイモだよ」

 じゃあ。

「ということは、畑でとれるのですか?」

「いや、岩山に生えてて、ノミと金づちで掘り起こすんだけどな」

 やっぱり、それは岩石ではなかろうか?


 やはり食物には見えないので、『食べてみる』ことになった。


「そのままゆでても美味しいけど、マヨネーズも作ったとこだし。ポテサラいくか」

と、少年は明るくいっていつもの背嚢から大小二つの布を取り出した。

 大きな布はエプロンだった。

 そして小さな布はチェストの蓋の上に敷いて鍋を置いた。

 ――ああ、鍋敷きだったのか。

 そう得心してフィアーネは鍋の中を見た、美しい琥珀色のスープが入っている。

「脂身の少ないお肉を煮て越したりするとできるスープだよ。灰汁とりサボって濁らせると、兄ちゃんにむっちゃ怒られる」

 笑いながら、少年は椅子の上に足を組み「イモ」と彼が主張するどう見ても岩石に見えるソレにナイフの刃を当てた。

 あの、魔獣の肉を容易く切り裂くナイフだ。

「それ……あの時の」

「うん。キサラねーちゃんのナイフ」

 辺境の魔女が作ったという「魔獣の体内の魔力を破壊する魔術」を付与された魔剣のような包丁……いや包丁のような魔剣?は、怪しく虹色に輝きながら岩石のようなイモの岩石のような表皮をゴリゴリと、いともたやすく削り落とす。

 ……ほんとに、どうなってるんだろう。あれ。

「その、キサラさんというのは、ええと旅人さんの故郷の村の『魔女』なんでしたか?」

「そ。いろんなこと知ってて、困った時は大体秘密道具で何とかしてくれるんだ。で、みんなで面白がって『花が瀬村のドラ〇もん』って呼んでたら、『魔女と呼べ』って怒っちゃって」

 ドラ〇もん……って、なに? 

「よし。――できた!」

 と少年は鍋の中にきれいに剝き上げたイモを(なるほど、黒い表皮の下は淡い黄色だったので、固さをのぞけば確かにイモらしくなった)スープの中へ投じた。

 あれ、火はどうするんだろうと思っていると。

 少年は『鍋敷き』の裾をつまんで魔力を込めた。

「二十分くらいかな」

 フィアーネが色々追いつけないでいると、やがて鍋が……鍋が湧き始めた。火もついてないのに!

「ああ、ジャガイモは水からゆでるんだ」

 そうじゃなくて!

「これ? これもキサラねーちゃんが作ってくれた道具で『IHクッキングヒーター』っていうんだよ。魔力があったら火をつけなくても料理ができるんだ」

 そこんとこ、もう少し詳しくっ!


 ……実際、この魔道具を成立させている魔術理論は非常に高度で複雑で、少年も説明できなかった。

 あとで、魔法陣とか構造とか仕様書とか見せてもらったが、魔術理論については一通り勉強していた(それもかなり成績もよかったはずの)フィアーネにも何が何だかさっぱりわからなかった。

 しかも、この『IHクッキングヒーター』なるものは鍋を沸かすのに全く熱を発することなく、それでいて食材を調理し、その過程で辺境の食物がその身に蓄えている魔力の構成を破壊するのである。

 だから……だから!


「……」

 あの岩石のようなものは、いま、フィアーネの目の前でほこほこに茹で上がっている。

「さあて、あとはこれをぐちゃぐちゃに潰して、マヨネーズを入れて……ん。どしたの、神官さん?」

「ぐちゃぐちゃ、……ぐちゃぐちゃ……」

 フィアーネは、いま、いろんなものが押し寄せてきて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 それを見た少年は何を思ったのか、イモの入ったボウルとすりこ木をフィアーネに渡した。

「潰すの、やってみる?」

 フィアーネは黙ってすりこ木を受け取り、何かに立ち向かう様にイモをつぶし始めた。

「ぐちゃぐちゃに! ぐちゃぐちゃに!」

 わははははなんていいながら、彼女はイモをつぶしつづけた。


◆◇◆


 青いみずみずしい輪切りの野菜、白くて透き通るようなみじん切りの薬味。

「水にさらしてあるから、辛味も抜けてると思う。後は混ぜるだけで」

 そして卵から作ったという、酢の香りがする不思議な調味料。

「今は入れてないけど、好みで砂糖を入れたりもするよ」


 そうして「ポテトサラダ」略して「ポテサラ」なる料理が出来上がった。


 「はふ」


 フィアーネは口にしてから頬に手を当てた。おいしかった。あんなに一生懸命つぶしたのにジャガイモの触感が残ってる。

 何てしぶとい奴だ。まあ今日のところはこれで勘弁してやろう。


 この塩気と酸味、このマヨネーズとはいったいなんという調味料なんだろうか。もうこのソースだけで生きていけそうな気がする。


 それにしても舌触りがよくて食べやすい。咀嚼の力が弱まってもこれなら食べられるのではないだろうか?


「ばあちゃんがさ。俺の祖母ちゃんじゃないんだけど、まあ村のばあちゃんたちはみんな祖母ちゃんみたいなもんなんだけど。弱ってごはんが食べられなくなった時があってさ」

 少年は椅子の上でエプロン姿のまま笑った。

「それで、みんなで頑張ってこれを作ったら、これは何とか食べられたんだってさ」

 ……あ。

「マヨネーズならいっぱい作ったし、市場にはこれに出来そうなイモももしかしたらあるかもしれないし」

 そこまで言ってから、少年はバツが悪そうに頭を書いた。

「俺、八百屋のおっさんと仲直りしなきゃ」

 それは……

「それは私が何とかしますから! だから私に」


 ――ポテサラの作り方を、おしえてください。


 フィアーネは瞬きをしてから少年に頼んだ。だからちょっと泣きそうになったのはごまかせたと思う。


 完


 



 補遺


「ん? 坂本のばあちゃん? 元気になったよ。俺より長生きするんじゃないかな。たぶん。みそづくりの名人なんだ!」



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ポテサラ【KAC20233『ぐちゃぐちゃ』】 石束 @ishizuka-yugo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ