部屋と心と

井上 幸

ぐちゃぐちゃなのは、部屋と心と

『人員を整理することになってね。悪いけど』


 どうして私の人生はこんなにもうまくいかないことばかりなんだろう。

 それなりに長く勤めていた会社をクビになったのは先月のこと。前々から経営が厳しいという話はあったけれど、まさか自分だけが放り出されるとは思っていなかった。

 どうして私なのか。私がこれまでやってきた仕事には価値が無かったということなのか。引き継ぎもそこそこに荷物をまとめるよう言い渡されて、ほんの数日で無職になった。手切れ金とばかりに残った有休はお金で解決され、捨て犬のような気持ちでどうやって家まで帰ってきたのかも思い出せない。

 気づけば自分の部屋のベッドに丸くなっていた。それからようやく涙が出てきた。一度溢れた涙は止まらずに、泣いて泣いて、声が涸れるまで泣き続けた。


 そうやって幾日か過ごして、やっと落ち着き始めたころ。恋人から一本の電話がかかってきた。


『俺たち、別れよう』


 何も言えなかった。どうしてとか、嫌だとか、愛してるとか。聞きたいことも聞いてほしいこともあるはずなのに、出てこない。

 どれくらいの沈黙が続いた後か、ようやく掠れた声が出た。


「そっか、うん。分かった」


 心の中も部屋の中もぐちゃぐちゃだ。お互い忙しくてしばらく連絡も取っていなかったのは確か。仕事を辞めたことも彼は知らない。けれど、二人で積み重ねてきた年月を、想いを、私は信じていた。適度な距離感でお互いに支え合っているのだと思っていたのに。

 私は再び布団に潜り込み、震える肩を抱きしめた。神様は意地悪だ。


******


「連絡ないから心配して来てみれば」


 呆れ声は大学時代の友人。文句を言いつつ、部屋中に散らばった不要なものを次々とゴミ袋に投げ入れていく。


「こんな湿っぽくて暗い部屋に住んでたら、そりゃ何にも上手くいかないよ」


 放っておいてよ。もう、生きてる意味なんて無いんだから。


「ね、覚えてる? あんたが私に言ったんだよ。『今日っていう日は、人生の中でたった一日。だから、最高に楽しまなきゃ損でしょ』って」


 だから、こんな部屋にいるのなんて絶対損でしょ。そう言いながら彼女は、ベッドから動かない私の代わりに部屋を片付けてくれていた。

 食べかけだったお菓子の袋。ずっと前に読みかけた雑誌。疲れて帰って置きっぱなしになっていた服やかばん。持ち帰った私物の入ったダンボール。

 ひと段落ついた様子の彼女が窓を開けると、冷たい風が吹きつける。けれど、それが何だか気持ちよかった。


「ちょっとは元気出た?」

「…… ごめん、ありがと」

「うん。来週また来るから、少しは自分でも片付けなよ」


 ゆっくり休んでからで良いけどと続けて、彼女は帰っていった。

 風の通る部屋はいつもより明るく見えて、何だかまた泣きそうになるくらい、ほっとしている自分に気がついた。


「そろそろ、ちゃんとしないとね」


 覚悟をのせた呟きは未だ手付かずのクローゼットに吸い込まれていった。

 ぐちゃぐちゃのクローゼットはまるで私の心そのもの。不要な物を今度は自分で袋に捨てる。一つずつ向き合って、必要かそうでないかを自問自答。ほんの少し、でも確実に私の思考も心も整っていく。

 仕事も恋も失った悲しい気持ちは変わらないけれど、今日からは少しだけ前を向けそうな気がした。

 きっかけをくれた彼女には、今度美味しいものでも奢らせてもらうことにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

部屋と心と 井上 幸 @m-inoue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ