殿様の夢

しほ

殿様の夢



 殿さまには秘密があった。


 なんと未来の世界の夢を見ることができるのだ。そしてあろうことか夢の中で食べた物の味をしっかりと覚えているのである。


「殿、危のうございます!」


 天守閣の窓から身を乗り出すお殿様。


 彼は大変好奇心が旺盛でございました。つい先頃、異国より手に入れたガリレオ式単眼鏡を持ち、城下町を覗いておられます。


「爺、あれは何じゃ」


「あれでございますか?」


 二人はしばし単眼鏡を手に持ち川岸に立つ市を覗いている。看板は見えるものの、文字は定かではない。


「行ってまいれ、余はを飲んで待っておる」


「承知いたしました」


 毎度ながら爺が身支度を済ませ出かけると、殿様は床に横たわり小さな板を胸元から取り出した。


 黒い板の表面には黒漆が塗られている。まるで現代のスマートフォンのようだ。


 殿はあろうことか、つやつやに光る表面を指でなぞり反応を待っているようにも見える。もちろん何も起こらないのだが……。指紋をきれいにふき取ると大事そうにまた胸元にしまった。


 しばらくすると膳奉行ぜんぶぎょう新之助しんのすけを持って現れた。


 殿様は目を輝かせ、それが注がれた大きな江戸切子えどきりこに手を伸ばす。その飲み物には細い竹筒が刺してあった。底に沈む丸いわらび餅を吸い込むためのようだ。


「これはいつ飲んでも美味しいのう。しかし、あちらではもう少し渋みがあったのだがなぁ」


 殿は顔を曇らせる。


 膳奉行ぜんぶぎょうの新之助は「渋み」と言われ首をかしげる。

(豆乳に黒糖だけではなくほうじ茶も混ぜてみようか)


「殿、こちらもご用意いたしました」


 新之助は和紙で包んだ円錐形の甘味を差し出した。


「おお、だな。この形が持ちやすいのじゃ」


「本日は金柑きんかんの甘煮を入れてまいりました」


 殿様はご機嫌だ。


 この時代、殿さまや大名の食事を司る膳奉行ぜんぶぎょうは、食のプロフェッショナルである。殿を満足させられないなど、切腹に等しいと言われていた。


 しかし、このお殿様は非常に寛容なお方だ。切腹など告げられた者は一人もいない。


 それ故、新之助は甘んずることなく精進した。何と言っても殿様の夢に出て来る、見たことのない未来の食べ物を再現するのは大変想像力のいる仕事だった。



 殿が未来の世界の夢を見るようになったのは幼少期の頃からだ。


 春風に誘われてふらふらっと庭園を歩いているうちに池に落ちたのだ。当たり所が悪かったのか、三日三晩意識が戻らなかった。しかし四日目の朝、ぱちりと目を覚ますと意味の分からないことを言った。


「ぐちゃぐちゃが食べたい!」


 医者も当時の膳奉行も不思議に思ったが、重湯おもゆを飲ませるしかなかった。幼少期の殿様は一口飲むと泣き出した。


「ぐちゃぐちゃ、温かく香りの良いが食べたい」


 それから何年経っただろう。未だには完成していない。


 南蛮より取り寄せた香辛料をたくさん使うこと。

 

 肉や野菜を入れてとろみを出すこと。


 白飯にかけること。


 そこまではあっているようだ。あとほんの少しで完成なのだが、殿に言わせると食感が足りないという。新之助は暇を見つけてはぐちゃぐちゃの試作品を作っていた。



 爺も帰り、夕餉ゆうげが始まった。


 殿は一人、お膳の前に座り二汁五菜を眺めていた。そして一つの小鉢を見つけると吸い寄せられるように匂いを嗅き、食感を確かめた。


「これじゃ、これをぐちゃぐちゃにかけるのじゃ」


 殿様は新之助にぐちゃぐちゃを持ってくるように命じた。


 大きな碗に白飯とぐちゃぐちゃが乗せられている。そこに殿様は小鉢に入る何かをかけた。さじを使いゆっくりと口へ運ぶ。パリパリと小気味良い食感が香辛料が効いた茶色いぐちゃぐちゃにぴったりだった。


「新之助、この小鉢に入っているのは何と申す」


「こちらは信州より江戸に参っております漬物問屋の品で、『福神漬け』と申します」


「福神漬けとは良い名じゃ」


「殿、私が買ってまいりました」


 爺が誇らしげに立ち上がる。今朝がた単眼鏡で覗いていた市だった。


「あっぱれじゃ! 今日での完成じゃ」


 膳奉行ぜんぶぎょうの新之助は涙を流し喜んだ。


 そんな矢先、殿様は先ほど昼寝をしている時に見た未来の食べ物の話を始めたのであります。


「形は円で歯ごたえあり。酸味もあり、こくのあるべたべたが付いていた……白であり、朱であり、青であった」


 これ如何いかに。

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殿様の夢 しほ @sihoho

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