第2話 訪ねてきた二人

「ねえ、マータースーサイトって知ってる?」

 ちょうどコポコポとサイフォンがお湯を吸い上げる音を立てた。部屋中にいい香りが広がる。

「私は聞いたことない」

 家頭かとうメイがマドラーを手に持ち、サイフォンの上部に上がったコーヒーを3度ほど軽く混ぜながらなごみ言った。

「それはね、たぶんマーダースーサイドじゃないかな」

 クラシカルな飴色の椅子に座って窓際で本を読んでいたメイの父が、眼鏡を下にずらして二人を見ながらそう言った。


 いま和たちがいるのは「ホームズ探偵事務所」という。小さな雑居ビルの狭い階段を上ると、そこが嘘か真か名探偵シャーロックホームズの血を引くというメイの父の探偵事務所だった。


「マーターではなくマーダー、ですか?」

 和が聞き直した。

「ああ、そうだ」

 メイの父が読んでいた本を、脇の小さな丸いテーブルに置いた。このテーブルも渋い飴色でマホガニーだと言っていた。

「どういう意味ですか」

「身勝手な殺人と犯人の自殺」

 メイの父は右手の人差し指でずらした眼鏡を少し持ち上げた。

「身勝手な殺人、ですか。私はそもそも、殺人って全て身勝手だと思いますが」

「その通りだ。だけど、もっとも身勝手な殺人がある」

 どうだ、わかるかい? メイの父はそんな顔で和を見ている。

「もっとも身勝手、ですか。例えば通り魔とか——」

「まあ、それも身勝手ではあるがね。答えはね、心中というやつさ」

「曾根崎心中とかで使われた、あの心中ですか」

「言葉としてはそうだよ。例えばね」メイの父が椅子から立ち上がって、部屋の中をコツコツと歩き始めた。「それを望んでいない相手を道連れにしてしまうことも報道では心中と表現されるよね。一家心中なんてその典型だ。子供がもっとも信頼している親から殺されるんだ」

 メイの父はそのまま歩いて、メイが今しがた入れたコーヒーを自分でカップに注いだ。

「確かに、言われてみれば恋人同士の心中とは違うよね。子供は全然それを望んでいないのに、勝手に『子供だけ残したらかわいそう』とか思われて殺されるんだもん」

 メイが納得したように頷き、コーヒーを啜った。

「で、それがどうしたんだい?」

 メイの父が和の目の前のソファに座った。

「言ったんですよ。例の男の人が」

 今朝、和が遭遇した事件の加害者の男性のことだった。


「男性の名前は、三角誠みすみまことさん38歳。所持品から判明した三角さんの自宅に捜査員が向かったところ、妻である美由紀さん38歳が腹部を数回刺されて亡くなっていたということです」

 ちょうどテレビニュースが例の事件を報道していた。

 事務所にいた三人は、テレビに目をやった。

「警察では、三角さんと美由紀さんの間になんらかのトラブルがあったとみて入院中の三角さんの回復を待ち事情聴取をする予定だということです」

 ニュースが切り替わった。

「これって報道だけからすると、どうみても男の人の方が犯人って感じだよね」

 メイが口を開いた。

「うん。警察の雰囲気ももう男の人が犯人で決まりって感じだった。事情聴取でも何を言ってたかって何度も何度もしつこく聞かれたよ」

「で、その時に彼が『マーダースーサイド』と口にしたってことか」

 なるほどね。そんな感じでメイの父が腕組みをした。

「つまり、その男の人が奥さんを殺して、自分も自殺しようとした。自分の身勝手な殺人だったって告白してるってこと?」

 メイも父親の真似をするように腕組みをした。

「警察にはその言葉は——」

 そこまで言うと、メイの父は腕組みを解いてコーヒーを啜った。

「もちろん言いました。でも、私は聞き取ったことに自信なくてマータースーサイトとしか思い出せなくって……」

 和は少し項垂れた。

「じゃあ、警察はまったく意味がわからないだろうな。そこはちゃんと伝えたほうがいいのかな」

 あの人が間違いなく「マーダースーサイド」という意味で言ったのなら、そうすべきだろう。だが、自分の聞き間違いということもある。もしそうなら、捜査を間違った方向へ導いてしまう。和は少し躊躇った。


 ドアのノックの音がしたのは三人が深い思考に入ってしばらくした頃だ。

 訪ねてきたのは、初老の夫婦だと思われる二人だった。

 メイの父は、応接用のソファにその二人を案内した。

「助けてください」

 座るなり女性の方がいきなりそう言って応接テーブルにぶつけんばかりに頭を下げた。

「母さん、事情も知らない人にいきなりは失礼だよ」

 男性がその背中にそっと手をやり、女性のを起こさせた。

「いや、失礼しました」男性が頭を下げた。「こちらは刑事事件でもご活躍された実績があると聞いてまいりました」

 男性が名刺を差し出した。名前は「三角謙三」、有名な大手企業の役員との肩書きだ。

「まあ、それはたまたまですが。で、ご用件としては?」

 メイの父は満更でもなさそうな顔で謙遜して見せた。

 この事務所が刑事事件で活躍したのは、和とメイのおかげのはずだと少し和には不満だが。

「今朝ほどから騒がれている事件のニュースをご存知でしょうか」

「自宅で女性が刺されて亡くなっていた事件ですか?」

 男性は先程まで話していた同じ「三角」姓。何が繋がりがあることは、和にもわかる。メイの父も感じたとこは同じらしい。

「うちの息子が、犯人ではないことを証明してほしい」

 三角健三氏は、そう言って頭を下げた。

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ポニーテールはメイ探偵2 マーダースーサイド 西川笑里 @en-twin

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