最終話 銀河を越えて
そして一年後。
ほたるは高校生になっていた。
相変わらずの前髪ピッチリのショーヘア。
日焼けした肌に意志の強そうな黒く澄んだ目。
何も変わらない。ただ自然に毎日を送るあの頃のままの少女の瞳には、穏やかな夏の海が映っている。
ほたるは自分の部屋の窓から、遠目に見える海のきらめきを眺めていた。
雑然とそれほど片付いていない部屋の隅に、そこそこ場所を取るようにしてあのピンクの電話がある。
朝目覚めてぼんやりと遠くの海を眺めた後、ほたるは日課になってしまったかのように電話を磨く。
タバコ屋のおばあちゃんが亡くなって、引き取り先の無くなったピンクの電話。
どうしても欲しいと言って自転車に積んで持って帰った。
そして未だもって全く懐かないあのキジトラの猫も、どういうわけか、ほたるの家で面倒を見ることになった。
「これでよしっと」
電話を磨き終えて、その光沢を確認すると、ほたるはまた窓の外を眺める。
あれから一度もベルは鳴らなかった。
あの不思議な硬貨、高エネルギー結晶と少年が呼んでいた遠い銀河の果てとの通信を可能にするコインも、もうここにはない。
小さな希望を抱きながらほたるはずっと待ち続けた。
沈黙したままの電話が何を意味するのかほたるにも分かっていた。
きっともう二度とあの少年の声を聴くことは無いのだろう。
少年の明るい声を思い出すたびに、今もほたるの胸に切ないものが溢れてくる。
「ほたるー、そろそろ朝飯食いにこーい」
おじいちゃんの呼ぶ声。
「はーい。今行くー」
バタバタと部屋を出ようとした時だった。
こんな何気ない朝に、突然待ち望んでいた瞬間は訪れた。
リリリリリ。
少し耳につくようなベルの音。
振り返ったほたるは、驚きと期待の眼差しをあの電話に向ける。
「鳴った……」
まるで夢のように、ずっと眠っていた電話が眼を覚ました。
リリリリリ。
それはとても懐かしいプロローグ。
遠い夏のあの日がそうだったように、また新しい物語の予感をこの電話機は再び響かせたのだった。
はやる気持ちを抑えながら、ほたるはそっと受話器を手に取った。
久しぶりに耳に押し当てたプラスチックの硬い感触。
そしてほたるはこの夏の明るさに負けない程の笑顔を浮かべた。
「テル!」
時間を跳び越え、少女は再び少年の名を呼んだ。
そう、またあの忘れられない夏の続きが今始まったのだ。
「ごめんよ、ほたる。長い間電話できなくって」
「テル。元気なのね。良かった……」
ほんの少し大人になった少年の声。それはほたると同じ年月を生きたという証だった。
「うん。君のおかげだよ。君の言ったとおり君だけを信じた」
「触らぬ神に祟りなしだね」
「うん。あれは君と僕だけにしか分からない暗号だった」
「間に合ったんだね。お父さんの持ち帰ったものが」
「うん。成長を遅らせる強い薬を投与してもらいながら君を信じて待ったんだ。おかげで今は完全に健康体だよ」
「良かった」
胸を撫で下ろして、ほたるは大きく息を吐いた。
「でもね、君がパラドックスを誘発したおかげで銀河コミュニケーションサービスは一時大混乱になったんだ。タブーを犯したって大問題になった」
「テルのお父さんもそんなこと言ってたな」
「おかげで僕と父さんは銀河コミュニケーションサービスのブラックリスト入りさ。それとことを起こした張本人の君も。まあ、それだけだったら良かったんだけど……」
「え? まだ何かあるの?」
テルはちょっと言いにくそうに言葉を続けた。
「ほたる。君は仕方ないんだろうけど、君の星自体がブラックリストに入れられてしまったんだ」
「え? それってどうなっちゃうの?」
「まあ単純に銀河コミュニケーションサービスを半永久的に使えないだけだよ。つまり君たちのような危険な種族には情報のタイムリープは使わせられないってことさ」
「やらかしちゃったって訳ね」
人類全体の評価を失墜させた地球規模のやらかしに、ほたるは顔をしかめた。
「それどころじゃないよ。本当に君は直情的で、破天荒で、とてつもないお転婆さんだ」
「悪かったわね」
「でも、君のおかげで僕だけでなく大勢の命が救われた。本当にありがとう」
「まあ、おおむね良かったってことね」
楽観的なほたるの解釈に、電話の向こうからクスクスと笑い声がした。
「君はちっとも変わらないね。そういう所もみんな君の魅力なんだ。僕にとって君は誰よりも優しい人だよ」
明るく優しい少し大人びた声でそう言われ、ほたるは赤くなった。
「がっかりさせるかもしれないけど僕は君に会いたいんだ。初めての友達であり初恋の人である君に」
真っ直ぐにそう言われて、ほたるはさっきよりも赤くなる。
「私も会いたい。会って話したいことがいっぱいあるんだよ」
「じゃあ来てくれないか。あの電話があったあの場所に」
「え? 何、それってどういうこと?」
ほたるはまさかと聞き返す。
「さっき言ったじゃないか、僕はブラックリストに入れられたって。つまりこれは恒星間通信じゃないんだ」
「えっ? ちょっと、ちょっと待って」
「この電話、君の星の通信回線をちょっと拝借させてもらってるんだよ」
ほたるは大きく目を見開いた。
「君の言ったとおりだ。ここはとても綺麗だ」
電話の向こうからかすかな波の音が聞こえてくる。
「もしかして、ここに来ているの?」
「そうだよ。君がずっと僕と話をしてくれていたあの場所に僕は今いるんだ」
「嘘みたい……」
「君に会いに来たんだ。ほたる」
「待ってて!」
ほたるは受話器を置いて部屋を飛び出した。
家を急いで出て行こうとするほたるの背に、おじいちゃんの声が聴こえてくる。
「おーいほたる、朝飯どうするんだー」
「友達が待ってるの。行ってくるね」
そしてほたるは自転車に乗って走り出す。
晴れ渡る空の下、ほたるのこぐ自転車は潮風の海岸線を疾走する。
そう、何もかもが輝いていたあの夏と同じ、潮風を受けて膨らむTシャツの様にほたるの心も大きく膨らんではちきれそうだった。
何度も通ったあの電話があったタバコ屋。
おばあちゃんが亡くなってから、開閉式の窓は閉まったままになっている。
ほたるは自転車を停めて辺りを見渡す。
そして砂浜に人影が立っているのに気が付いた。
ほたるが思い描いていたより、少し背の高いそのシルエット。
きらめく波を背にして佇んでいた少年は、自転車を停めたほたるに大きく手を振った。
四年前のあの夏の日、少年と夢について語ったことがあった。
あの時、自分に取り立てて夢と呼べるものがないことを知り、返事を保留したままだった。
あの時、少年にこたえることができなかった私の夢。
いつか君と会いたい。その願いを夢と呼んでいいのなら、その夢は今こうして叶おうとしていた。
少年が駆けてくる。
そしてほたるも道を渡り砂浜に降りて駆け出す。
白砂が足にまとわりつく。もどかしい靴を脱ぎ捨てて、ほたるはまっすぐに少年へと駆けて行く。
お互いの顔をはっきり見ることのできる距離で、少年と少女は足を止めた。
そして潮風で短い髪を揺らす少年と、同じ風を受けて髪を揺らす少女は言葉も無く向かい合った。
そして口元にはにかむような笑みを浮かべた少年から、あの日電話ごしに耳にした言葉をほたるは再び聞いた。
「僕はテル。初めまして」
少し大人になったあの懐かしい声。
どうしてだろう。もっとよくあなたを見たいのに、目の前が滲んでしまう。
「私は……」
そして少し大人になった少女は勿論こう応えるのだ。
「私は熊取ほたるよ」
青く澄んだ空に再び、始まりの言葉が広がった。
遠い銀河の星の少年と少女を繋いだ不思議な電話。
いつもおばあちゃんの傍らで子供たちを見守ってきたその電話は、今こうして大切な役割を終えた。
それはとても穏やかに晴れた、どこにでもあるような夏の日だった。
銀河コミュニケーション ひなたひより @gogotoraneco
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