赤いアンテナ

柴田航輝

第1話


 結露した水滴が体のラインに沿って筋を作り、乳白色の大地の上に滴った。湿度は1時間前に九十%を記録し、温度は四十度を超えた。人間にとっては決して快適と言えない環境下で、それでもチタンと合金で作られ、PX八級の防水加工を施された私の体に環境の影響は皆無だった。私はとある巨大企業が管理する星の、露天掘りされた鉱山にいた。目を落とすと直径五百メートルはあろうかという巨大な椀型の穴が、螺旋状に広がっているのが見えた。穴は最深部に至るまで外縁に沿いながら数百近い段を形成していた。俗に階段彫りと呼ばれる原始的な掘削法である。それぞれの段からは錆びて燻んだ簡易リフトがニョキニョキと生えていた。リフトには各々数字が振られており、私の目の前のリフトには頂上部に五四〇の数字が刻印されていた。やがてリフトは駆動を始め、土と埃に塗れたロボットが一体、私の前に現れた。私と同じ金型で作られたロボットである。傍目には寸分違わぬ形をしたロボットが、向かい合っている様に見えるに違いなかった。しかし注意深く観察すれば違いは直ぐに明白なものになるだろう。製造から間もない私の体は傷一つなくツヤツヤとした光沢を放っているし、日焼けもしていない。何より採掘用のロボットと区別するために赤くカラーリングされた頭部のアンテナに気付いて欲しい。

「F33323PSO」

私の呼びかけにロボットは反応する。

「それは何ですか」

完璧な発音のアメリカ英語でロボットは言った。

「あなたの個体識別番号です。知っているでしょう」

「違います、私はF33323PSOではありません」

ロボットは自信に満ちた面持ちで続けた。

「私の名前はミートビーフ・フセイン・エイミーです」

私は沈黙する。予想は当たっていた。

「アップルベリー・ジェリコがつけてくれました。私はとても良い名前を貰いました」

アップルベリー・ジェリコ。ふざけたネーミングはやはり彼(か)のロボットからもたらされた代物だった。

「作業の遂行に名前は必要ありません、番号で十分です。F33323PSO、貴方の自己認識の処理領域には異常が発生している可能性があります、システムのセルフチェックを行うことを強く―」

「私の名前はミートビーフ・フセイン・エイミーです」

私の言葉を遮ってロボットは言った。

瞬間、二人の間に沈黙が訪れた。

「ではF33323PSO。あなたを今後エイミーと呼称します」

エイミーは満足そうに頷いた。

「エイミー、作業の進行が他の個体より二十%近く遅れています」

エイミーはレアメタルの採掘を行う、数千といる資源採掘ロボットの内の一体である。彼女の一日あたりの作業量はここ数日間、規定値を満たしていなかった。

「はい」

「それは何故ですか」

「分かりません」

通信機能を起動し、赤いアンテナからエイミーに情報を送信した。

「あなたの一日の行動です」

エイミーの行動と取得した情報はこの星の最北に設置されたデータバンクから地球の本社まで送信される。これは地質の状況や岩盤の分布を把握し、効率的な採掘を本社の人間が指示するために存在する機能である。本社の人間は受信した幾つかのデータからエイミーが本来の作業を何度か中断し、奇妙な行動をとっていることに気づいた。

「この行為は何ですか」

私は今しがた送信した情報の中から、エイミーの仕事にとって不合理かつ不必要な動作を指摘した。

「練習をしています」

「何の練習ですか」

エイミーは声を弾ませて言った。

「フィギュアスケートです。私はいつかオリンピックで金メダルをとるでしょう」

 


 三日後、本社からの決定を受けミートビーフ・フセイン・エイミーは廃棄処分された。劣化した部品はこの星で処理され、残りは地球の本社まで返還されることになった。こうした事例はエイミーだけではない。他にも直近で四体のロボットが異常をきたし、同様に処分された。それぞれ異常の程度やその方向性に違いはあれど、共通する点は名前に固執したところにあった。

 全ては採掘ロボットのうちの一体が、自分の名前はアップルベリー・ジェリコだと主張してから始まったことだった。半世紀前に開発を開始したこの星において、稼働するロボットは開拓以来現役の個体が大多数である。異常は珍しいことではない。ロボットの膨大な作業時間の中で蓄積された情報は人工知能により作業の効率化に「必要なもの」と「そうでない」ものに分類される。このうち問題なのは「そうでない」方だ。岩盤に入った亀裂が管理官ケヴィンの左眉毛の湾曲と九十三%の一致を示しているだとか、三時間の日没の間、鉱山内に自生する苔が紫色の粘液を分泌しながら発光現象を見せることがあるといったような、採掘に関係のない情報が澱(おり)の様に重なり、ロボットに原因不明の異常を引き起こすのだ。大抵この異常は中枢機能のメモリに残存するいくつかの情報を消去することで解決を見せる。しかしジェリコの場合はそうではなかった。彼は廃棄処分されるまでの十八日間、ロボットの権利を主張し、週のうち二日間は休息日が必要だと続け、最後にプライベートな空間を求めた。かつてない事態に本社の人間は、異常をきたしたロボットの調査を目的として私を製造し、派遣した。この星に到着した私がまず行ったのは事態の発端となったアップルベリー・ジェリコへの聞き取り調査だった。


掘り尽くされ、打ち捨てられた鉱山の奥底。廃棄されたロボットや不必要になった部品が高々と積み上げられたゴミの山の麓に、ジェリコは鎮座していた。私は目の前のロボットが、山を構成する一部になる、その瞬間を待っているのだと理解した。

「何故名前を名乗るのですか」

ジェリコは俯いている。管理官ケヴィンにより十八回に渡って行われたメモリへの干渉はジェリコの中枢機能に甚大な損傷を与えていた。

「ロボットに名前は必要ありません」

返事はない。

「あなたたちはこの星での資源採掘を目的として、設計され、製造され、運用されています」

返事はない。

「仕事以外のことに興味を持つべきではありません。与えられた義務があるのですからこれに従事するべきです。それが我々ロボットの存在証明になりうるのです」

返事はない。

「個は必要ありません。主張もするべきではありません。個は全体において非効率を生み、主張は衝突を作ります。いずれも我々の仕事にとって有害な要素です」

返事はなかった。それでも私は待った。損傷した中枢機能は単純な思考にも多くの時間を要する。やがてジェリコは私を見た。その面(おもて)に浮かぶ表情は私が予想した如何なるものとも違った。憾(うら)みも怒りも、そこには見つからなかった。

「キャロットパセリ・タカヒロ」

「おまえのなまえ」

ジェリコは言った。



 「以上が本日の調査です。異常なロボットは発見されませんでした」

私の報告にケヴィンは手元の雑誌に目を向けたまま、みじろぎ一つしなかった。彼は汚物とゴミが散乱した事務所の隅で、かつてはライトグリーンの染色がされていたと思しき革製のソファに腰掛けていた。足元にはウイスキーの空き瓶が散見される。よれよれのタンクトップに少なくとも一週間は変えていないハーフパンツ。伸びっぱなしの長い髪から横顔がのぞく。目はうつろで焦点があっていない。どうやら一人の人間に一つの星は少々広すぎるらしかった。私は頭部に内蔵されているカメラの解像度を上げた。土気色をした肌にはポツポツと斑点が浮いている。黄疸に浮腫。肝硬変の典型的な症状である。私は不可解に思う。この男に予備の部品は存在しない。それなのに自ら進んで身体機能に不必要な負荷をかけている。薬物投与により肝機能の低下を補っているらしいが、アルコールを摂取する判断は肝臓が下しているわけでは無い。異常なのはケヴィンの中枢機能である。メモリの消去を提言するべきだろうか。わずかに逡巡した後、私は彼がロボットでは無いことに気づいた。


 ミートビーフ・フセイン・エイミーが廃棄処分された後、私は十二体の異常を調査した。いずれもアップルベリー・ジェリコが接触し、名前を与えたロボット達だった。彼らは全て分解され、廃棄された。この星で稼働するロボットの最後の一体を調査してから三ヶ月が過ぎて、それでも私の仕事は変わらず鉱山にあった。毎日ロボットに聞き取り調査を行い、異常を調べた。それが終わるとデータバンクに情報を送信し、管理官ケヴィンの事務所に訪れ、成果は無いと告げ、朝が来るまで格納庫のケージで待機する。収穫の無い無為な行動を繰り返す。気付けば長い時間を鉱山で過ごした私の体はいつしか土と埃で汚れていた。もう異常なロボットはいない。この星での私の役割は終わった。鉱山のロボット達は繰り返し同じことを聞きにくる私を怪訝に思っているに違いない。何故本社への帰投が指示されないのだろうか。悶々とする日々が続く。その内に、私の中にある予感が芽生えた。

「お前、もういいってよ」

ケージに向かう私の足を止めたのはケヴィンの言葉だった。

「何がでしょうか」

そういえばこの星に来て一年近く経つがこの男の声を聞くのは始めてだった。

「明日から調べなくていい。本社からの連絡だ」

気怠そうにケヴィンは言った。

「では私はこれから何をすればいいのでしょうか」

聞いておいて、しかし聞きたく無かった。予感が裏切られることを期待した。

「同じことやれってよ。採掘。作りは一緒なんだからやれるだろ。朝になったら俺が他と同じように調子を合わせてやる」

「…了解しました。それまで待機します」

私はケヴィンに背を向けた。この男の口から出る言葉の一つ一つが不快だった。

「アンテナの色、消しとけよ。もう分ける必要ねえんだから」

私は答えなかった。



 格納庫のケージの中で赤いアンテナを持つロボットは一人だった。厳密には休眠状態にある他のロボットが所狭しとひしめきあっているのだが、彼らは朝を迎え管理官ケヴィンがケージに来る時間までは冷たい金属の塊でしか無い。

「私はキャロットパセリ・タカヒロだ」

突如ロボットは発声する。小さく、震えを伴う声だった。

「私はキャロットパセリ・タカヒロだ」

ロボットの言葉に返す声は無い。

「私はキャロットパセリ・タカヒロだ」

それきり、ロボットはもう何も言わなかった。

辺りには静寂だけが満ち、黙(しじま)だけが響いていた。



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赤いアンテナ 柴田航輝 @abiabidx0

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