部屋がぐちゃぐちゃ

玄栖佳純

第1話 家に帰ると

 家に帰ってドアを開けるとぐちゃぐちゃだった。

 心配はいらない。いつも通りで、家を出る時と変わっていない。

 泥棒が入ったり事故などでそうなったのではなく、日々の積み重ねでなった年期の入ったただのぐちゃぐちゃ。


 玄関にたまった新聞やダイレクトメールをまたいで通る。ポストに郵便物がたまっていると留守と思われて泥棒が入ってしまうそうだから、とりあえず取って置いただけ。「泥棒が入ってもわからないだろう」とこの状態を見た知人には言われるけれど、大丈夫。たぶん、わかる。自分のクセは熟知している。


 ぐちゃぐちゃに置かれた物品をまたがないで目的地に着ける道はついている。両手に持った荷物を所定の場所に置く。バッグが数個置いてあり、出かける時に、気分でバッグを変えられるようにはなっている。冷蔵庫に入れなければならない食材を取り出してしまう。

 晩御飯にしようと思った半額のパスタをレンジに入れてスイッチを押す。


 こんなぐちゃぐちゃな状態は、誰にも見せられない。

 見た人々は口をそろえて言うだろう。整理整頓、人間らしい生活をしろ。

 正論である。自分もそう思う。


 綺麗に整った場所は嫌いではない。

 そこで茶を飲むのも嫌いではない。


 今は乾物に覆われているテーブルもそれらをどけ、舶来のテーブルクロスをかければ一瞬でアン・シャーリーの世界になる。

 温めたティーポットにティーカップ。湯を沸かして茶葉が入ったポットに入れると、紅茶のいい香りが広がる。甘い砂糖菓子を食べてくちどけ楽しみ、温かい茶を飲む。それを掃除の行き届いた部屋で行えば、気分は最高。


 ちょっと奮発して買ったティーセットもこの部屋のどこかにある。ほぼある場所はわかっている。そこに行くのが大変なだけ。

 悪いことばかりではない。物を踏まないようにつま先で歩くから筋力がつく。週1の筋トレより、日常的に行われる行動の方が老後の体力づくりには良い。


 物を捨てればいいとは思う。

 断捨離は大事だとも聞く。物を捨てると運気がアップするとも聞く。それを行おうとしたことも一度や二度ではない。


 でも、それは本当だろうか?

 本当に捨てて良いのだろうか。


 誰もが整理整頓された部屋に住んだ方が良いと口をそろえて言う。誰もがである。そうでなければ、人間とすら呼ばれなくなってしまう。

 大げさに言っているのではない。それは誰もが知っているはずである。散らかった部屋は汚部屋と呼ばれ、人権がはく奪される。


 本当にそれで良いのだろうか。

 群衆に踊らされているだけではなかろうか?


 かつて黒船がやって来た頃。海外の文化・技術の高さに恐れをなした政府は、日本の文化・技術を綺麗さっぱり捨てることにした。そして海外の技術を手に入れるため、多額の資金をつぎ込み、追いつけ追い越せと西洋から学んでそれまでの物を捨てた。


 日本の技術・文化の素晴らしさに気づいた西洋人は、それをタダ同然で母国に持ち帰り絶賛したらしい。時が経ち、金を持っていた頃の日本はそれを大枚はたいて買い戻したと噂に聞く。


 それを繰り返すだけなのか。

 もったいないの気持ちすら捨ててしまったのか。


 また、今より千年、二千年、一万年の時が過ぎれば、日常に使っていた物資でさえ博物館に並ぶときが来るのだ。実際、博物館に行ってみればいい。そこに並んである土器は日常で使われていた物である。二千年くらい前の縄文・弥生土器である。

 それを目指して何が悪い。


 電子レンジのチンの音で我に返る。

 パスタができた。

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