彼女の裏の顔は……

冬華

彼女の裏の顔は……

キッチンで彼女が野菜を切っている。どうやら、カレーを作る気だ。


そして、俺はその隙にと、クローゼットをこっそり開けてみた。高校時代に仲の良かった女の子の部屋で目撃したBL本は、今でも心の奥底にトラウマを植え付けているのだ。彼女には申し訳ないが、それを確認せずにはいられなかった。


「ふぅ……よかった」


しかし、そこには変哲もないワイシャツが折りたたんで置かれているだけで、あのときのようないかがわしい本や抱き枕などは何一つも存在していない。その事実にホッとして、バレないようにクローゼットの扉を閉めた。


すると、香ばしい匂いが漂ってきた。どうやら、完成したようだ。


「さあ、食べよっか」


彼女はそう言って、食卓に料理を並べていく。カレーの他にはサラダと、トンカツまで用意してくれていた。後乗せだけど、カツカレーにするのならどうぞと。


「ありがとう。じゃ、遠慮なく」


心の迷いが晴れたこともあり、意気揚々とカツをルーの上に乗せて、スプーンでぐちゃぐちゃに混ぜる。そして、「いただきます!」と言って、両者が良く絡んだところをひとすくいして、口に運んだ。


「おいしい!」


俺は素直にそう思い、感謝を込めてそう口にした。しかし、彼女の様子がおかしいことに気づいた。


「どうかしたの?」


「いえ……なんでもないわ。それよりも、今年こそレギュラーは取れそう?」


「難しいかな。これでも、高校時代はエースストライカーだったんだけどなぁ……」


J3のチームに入ってすでに5年目。レギュラーどころかこのままでは今年で戦力外だ。すると、彼女はもう何も言わなかった。カチャカチャと食器を打つスプーンの音だけが響く。そして……


「別れましょ」


食べ終わってスプーンを置いたのを見計らって、彼女は突然告げてきた。


意味が分からず、頭がぐちゃぐちゃになる。いきなり、何でそんな話になるのかと。この部屋に入ったのは今日が初めてだが、もう2年半付き合っているのに……。


「り、理由は……?」


「その食べ方ね。なんでカレーをぐちゃまぜにするのよ!普通、ごはんを少しすくって、ルーにつけて食べるでしょ。見ていられなかったわ!」


「はあ!?食べ方なんて、人それぞれだろ!意味わかんねぇよ!!」


思わず感情的になり、声を荒げて「そんなしょうもないことで別れると言うのか!」と詰め寄るが、彼女の意志は変わる気配はない。挙句、玄関を指差して「出て行って」と言われた。


「何なんだよ、まったく……」


それなら、こっちだってお断りだ。荷物をまとめるとそのまま部屋を後にする。彼女は見送りもしてくれなかった。





「はぁ……」


夜風が冷たく頬を打ち、次第に彼女を失ったという実感がわいてくると自然にため息が出てきた。ポケットに手を突っ込むと、そこには今日一緒に行った水族館の半券が入っている。幸せだったころの残照だ。だから、腹立ちまぎれにぐちゃぐちゃに握りつぶす。


そうしながら、駅に向かっていると見覚えのある男とすれ違った。


「あれ?」


振り返った先を次第に遠ざかって進んでいく男は、彼女の職場の上司だったと記憶している。一度、二度、主催するイベントにチームメイトと共に招かれたことがあるのだ。


「しかし、何でこんなところにいるんだ?家は確かこの町じゃなかったような……」


不意にイヤな予感がして、見つからないように気を付けながら後を追うことにする。すると、男は彼女のアパートの……しかも、彼女の部屋に消えていった。さっきまで俺がいたあの部屋にだ。


「それにしても、おまえもひどい女だな。俺と天秤にかけて、利用価値がないとみたら、すぐにポイ捨てするなんて。さっき駅前ですれ違ったけど、泣いてたぞ。あいつ……」


「そんなこと言ったって、これ以上付き合ったって旨味なんかないでしょ。本人も覇気がないし、あれじゃ今年で戦力外になるのは確実……。それなら、部長の愛人になった方が断然いいわ。アレもあの人より上手だし、お小遣いもいっぱいくれるし♡」


「初めの頃は、『わたしには彼氏がいるの』って抵抗していたのに、えらい変わりようだな。言っておくが、俺もカレーはぐちゃぐちゃに混ぜるぞ?」


「いいわよ。そんなしょうもないことで本気で怒ったりしないから」


アパートの廊下に漏れ聞こえてくる楽し気な会話を耳にして、言葉を失った。そして、思い出したのはクローゼットに置かれていたワイシャツ。そうだ……あれは男物だったと。


(つまり、彼女の心はとっくの昔に離れていたのか……)


今更ながらその事実に気づかされ、自分は一体何を見ていたのだろうかと空を見た。涙がこぼれ落ちないようにと。そして、ゆっくりと歩を進める。


背中から、「今夜もぐちゃぐちゃにして♡」という、彼女の艶めかしい声が聞こえてきたが、足は止めなかった。最早この場所にいる理由はないのだから。


「ただ……」


彼女の部屋に背を向けたままで、心に決める。絶対にレギュラー取って、後悔させてやると。


そのためには何をしなければならないのか。一に二にも練習だ。筋トレだ。女にうつつを抜かしている暇などない。だから、まずはと全力で駆け出した。

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