第38話 ジョシについて
ジョシ。女性のことは好きですが、女子ではなく助詞のこと。
先日、カクヨムのトップに「第1回カクヨム短歌・俳句コンテスト 選考委員インタビュー 第三弾」が載ってました。
読んでて「あるある」と思ったのが、短歌の部、選考委員である大森静香さんが『歌会のおもしろさについて』回答しているくだり――
>歌会は、純粋に短歌そのものと向き合える楽しみがあります。
>「ここにこの助詞を置いたのはこういう意図じゃないか」というような読み方をする
>「わたしは」と「わたしが」は、一文字の違いですが、短歌では、些細な助詞や形容詞の使い方、語順が、全体のニュアンスを変えるんですよね。
>どうしてこれはこう書かれているのか、こう書いた方がいいんじゃないか、「何を書くか」ではなく「どう書くか」をひたすら語り合っていくストイックな時間です。
(カクヨムからのお知らせより抜粋)
めちゃくちゃよく分かります。ジョシ、大切ですよね、ジョシ! 文章のクオリティは助詞が決めると思います。「は」と「が」の使い分け、「へ」と「に」など助詞の使い分けが杜撰な文章はどんなによい内容であっても高評価したくなくなります。
わたし自身、文章を推敲していていちばん時間がかかるのが助詞の選択です。伝えたいニュアンスをもっとも的確に表現してくれる助詞はなにか、いつもそれに頭を悩ませているといってもいいかもしれません。助詞を変えたために文章の語順を並び替えるなんてこともしょっちゅうあります。
小説と違って短歌は31文字しかないので、助詞を変えるとか、語順を変えたりすると文章の印象が大きく変わります。そこが小説とはぜんぜんちがうところですね。
>「ここにこの助詞を置いたのはこういう意図じゃないか」というような読み方をする
インタビューの中で大森さんがこう答えていますが、これは短歌ならではの楽しみ方だと思いました。
短歌だけでなく小説でもこうした読み方をすることはあります――が、それは一部の文学作品に限られるでしょうし、何万文字にもなる小説のわずか一文字の助詞が作品全体に与える影響はさほど大きいものではありません。
31文字の短歌であればこそ、わずかひとつの助詞に作者の想いをあれこれ探る――そういう読み方ができるのだろうなと感心してインタビューを読ませてもらいました。
コンテストに向けて短歌つくるのがんばろーっと。
https://kakuyomu.jp/info/entry/tankahaiku_contest_interview3
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