第37話 小説が読めることの効用

 小説にはうそが書かれている。


 いまさら何をいう。って感じですが、小説は、ほんとうにあったことがそのまま書かれているわけではありません。真実でないものを「嘘」とするなら、小説には嘘が書かれているといって間違いはありません。


 どうしてこんなことをエッセイに書いているかというと――小説は嘘が書いてあるものだから、読んでも意味がない。時間の無駄である――と考えて小説を読まない人が結構いるのじゃないかと思うからです。


 特に、昨今は本を読むより、SNSやネットニュースに流れる情報を読んでいる時間の方が長いじゃないですか。そういう人にとっては、ネット記事の方が小説より真実味があって有用だと思っているんでしょう。


 実際にわたしも、本は読むけれど小説を読むことはないという人に会ったことがあります。その人にとっては、事実でないことが書かれている小説を読んでなんの役に立つのか? 意味がないではないか、ということなのだと思います。


 小説が役に立つのか――ずっと小説を読んできたわたしですから「役に立ちますよ!」と言い張りたい気持ちはありますが、それを具体的な形で示すのはとても難しい。そもそも、小説を読まない人に小説の効用を分かってもらうことは至難の業です。


 本を読むと賢くなるような気もしますが、それは小説でなくともいいわけですし、小説の内容には形があるわけではないので、読むことで、モノとして何かができあがるわけではありません。強いていえば、「心が豊かになる」といった曖昧なことでしょうか。


 小説を読む人と、読まない人は心の豊かさが違うのかと問われると、それも違うなと思いますが、それでも読む人は読まない人にはない何かを持っているような気がします。


「わたしは日本語のほかに、英語を読むことができます」というとのに似て「事実だけではなく、嘘の中にもほんとうのことを見つけることができます」という感じ? 


 それがないと困るのかというと、わたし自身ほとんど英語は理解できませんが、日本で暮らす限りまったく不便は感じません。ということは、小説を読まなくったって困ることはなにもなない。


小説が読めということは、自慢できない資格をひとつ持ってるくらいの値打ちなんですかね〜。それを好き好んで書こうとしているわたしって……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る