可惜夜

美空重美

 

七夕になると思い出す。ラムネがはじけた瞬間を—


毎年地元で開催される七夕祭りは、旅行雑誌にも掲載されるほど大きなお祭りだった。

小さなころは家族と一緒に、学校にあがってからは友達と一緒に、毎年遊びに行った。

七夕の夜というのは、彦星様と織姫様が出会えるらしいんだけど、お祭りの光が強すぎて、ぼくは一度も天の川をみたことはないし、近くにいるであろう織姫様と彦星様も見たことはない。

ただ、慣例にあやかって短冊に願い事を書くことだけはやっていた。願い事を書くだけで叶うなら、とんでもなく楽だし手間ではない。お祭り会場の入り口には大きな笹の葉が飾ってあって、青、赤、黄、白、紫の5色の短冊が、笹の葉の下でなびいている。紫色の短冊は、本当は黒色らしいんだけど、縁起が悪いとかなんとかで紫色を使っているらしい。

お祭り会場に着くと、遊びに来た大勢の人と、スタッフを見かける。もちろんスタッフの中には、地域のおじちゃんやおばちゃんたちが多く関わっている。顔なじみのスタッフも大勢いる。地域の人がいて、見守ってくれているおかげで、ぼくたち子どもだけでもお祭り会場に遊びに行けるのだ。しかし、その地域の人も時には厄介な存在になる。ぼくら子どもがお祭りに行くと、絶対に声をかけられて、「短冊は書いたかー?」ときかれる。これが非常に面倒なのだ。「まだ書いてない」と素直に答えると、笹の葉のもとへ連れていかれて、願い事を書かされるのだ。「書いたよ」と嘘をついてかわすこともできるけど、なんとなくそれは嫌だったので、ぼくはいっつも笹の葉のもとへ連れていかれる。だからぼくは、お祭り会場に着くと最初に短冊を書くのが習慣になっていた。


ある七夕祭りのとき、ぼくはいつも通り入り口で短冊を書いていた。ふと隣を見ると女の子が座っていた。

その瞬間、不思議なことにお祭りの喧騒が消えた。

見ていたのは一秒ほどだろう。それでもすごく長く見つめていた気がして、慌てて顔ごと短冊に戻した。本当はいつまでも、その女の子のことを見つめていたかった。

目を奪われた女の子は、ぼくより少し年上(僕から見たら2、3歳上に見えただけ)の女の子だった。女の子と呼ぶには大人すぎるし、女性では幼すぎる、その中間くらいの女の子だ。きれいな黒髪を腰近くまで伸ばしており、耳にかけた黒髪から見える横顔は、夏なのに日焼けなんてしておらず、透き通るような肌だった。おとなしそうな雰囲気どおりに、黒い眼鏡をしていたのが印象的だった。

書きかけの短冊に目をやりながらも、ドキドキと鼓動は早くなる一方で、その女の子のこと以外何も考えられなくなった。少しでも長くこの時間が続いてほしい。いや、本当は永遠に続いてほしい。そう願ったものだった。

いつ短冊を書き終えたのか、その後友達とどうやって過ごしたのか、一切覚えていない。ただ、これが一目ぼれというやつなら、間違いなくぼくは、その女の子に一目ぼれをしたのだった。


次の年の七夕祭りがやってきた。

今年ももちろん、最初に短冊を書きに行く。短冊がある机に近づきながら、彼女のことが頭をよぎる。去年の七夕祭りから何日か過ぎた後、少し冷静になった頭で考えていた。七夕祭りに来る子どもだから、地元の子だろうかとも思ったが、お祭り以降町では見かけていない。見かけていないということは、他のところから遊びに来た子なんだろう。転校生かとも思ったが、夏休み明けでもそんな子はいなかったから、やはり違うのだろう。来年も会えるだろうかと淡い期待を抱きかけたが、すぐにぶんぶんと首を振って否定した。だってこんなに大きなお祭りだ。見知った顔以外判別することは、ほぼ不可能だ。友達でさえ学校で会ったときに「あれ、お前いたの?」という会話をするほどなのに。まして一度横顔を見ただけの子。見つけることなんてできっこない。それに、あれは偶然の出来事だ。

と、去年の空想にふけりながら、短冊がある机に着いたとき、さらっとあたりを見渡してみた。しかし、それらしき女の子はいない。少し落胆しながらも、今年もいつものように短冊を書く。

なんとか書き終えてふっと隣を見ると、いた。

長い黒髪、日焼けのしていない白い肌、おとなしそうな黒い眼鏡。見間違えるはずがない。彼女だ。去年たった一目見ただけなのに、なぜか確信があった。いつ座ったんだろうか、全然気がつかなかった。それに今年も隣にいるなんて・・・。偶然にしては、少し怖い。声をかけようか、どうしようかと迷っていたとき、後ろから「おーい!」と僕の名が呼ばれた。振り返って、友達を見る。そのままタイミングを逃してしまい、彼女と話すことはできなかった。友達に隣にいた彼女について聞いてみたが、彼は目に入ってないようだった。お祭りを回りながらも彼女を探したけれど、見つけることはできなかった。

お祭りの後、またもやひとり会議が始まった。考えた結果、彼女は幽霊じゃないかという結論に落ち着いた。じゃないとおかしい。七夕の日、ぼくにだけ見えるきれいな幽霊。そして初恋の人。来年もし出会ったら、足があるか見てみよう。そして声をかけてみよう。


今年も七夕の季節がやってきた。さすがに彼女のことを考えないわけがない。ぼくは数日前からそわそわしており、授業では凡ミスばかりしていた。国語の時間では違うページを音読し、算数の小テストでは繰り下がりの計算を間違え、音楽ではひとりだけ違う歌を歌う。さんざんな日々だったが、彼女に会えるかもという淡い期待で、胸がいっぱいだった。

七夕祭り当日、お祭り会場に着いたぼくは、注意深くあたりを見回していた(もちろん不審者にならない程度にだが)。彼女らしき人物は見つけられなかったが、予想通りだった。去年も、一昨年もそうだったように、きっと彼女は短冊を書いているときに現れる。だから、気にせずに短冊を書き始めた。すると、左隣の子が立ち上がる気配がした。入れ替わるように、誰かが座ったので、ちらりと左を見る。あれ?男の子だ。・・・違う。おかしいな。視線を短冊に戻すとき、ふと右の子が視界に入った。思わず声が出そうになるのを抑えて、もう一度こっそりと右の子を見る。間違いない、彼女だ。そしてそのまま、下を見る。足があることを確認して、ほっと一息をつく。彼女は人間だった。しかし、いつ右の子が変わったんだろうか?まったく気がつかなかった。でも、人間と分かったことで安心したのか、声をかける勇気がわいてきた。今年声をかけなければ、彼女に会えるのはきっと、一年後だ。そんなに長く待つことなんて、ぼくにはできない。

「すみません、あのっ・・・」

しかし、ふり絞った勇気は思いのほかかすれて、尻すぼみになってしまった。けれど、彼女には伝わったようだった。ゆっくりと、遠慮がちに、顔を動かした彼女と初めて目が合った。前髪をとめるピン止めが可愛いらしい。先っぽにビー玉みたいなのがついた、ちょっと和風なピンだ(あとで調べたら、ビー玉ではなく “ガラス玉”というらしい)。こくん、と小首をかしげてぼくを見る。

「まっ、毎年、ぼくの隣にいますよね?」

しまった、いきなり聞きたいことを聞いてしまった。しかも、緊張のあまり発した声は上ずって、すごくカッコ悪い。後悔がよぎるが、もう遅い。撤回しようと次の言葉を言いかけたとき、

「あなたに呼ばれたから」

と、答えになってない答えが返ってきた。

どういうことだ?まさか答えが返ってくるとも思わなかったし、帰ってきた答えもわけが分からない。予想外すぎて、頭の中がハテナマークでいっぱいになった。固まって、とまどうぼくを余所に、彼女はどこか嬉しそうな表情をしている。

そのとき、後ろからぼくの名前を呼ばれた。くそっ、タイミングが悪いな。彼女に会釈をして友達のほうに体をむける。

「今短冊書いてるところだから、もう少し待ってて」

「おう。どうせ俺も書いてねえから。ちょうどよかった」

と言って、彼は右の席に座った。

「えっ、お前そこに女の子いただろ?」

「ああ。でも話してるときにいなくなったぞ」

「嘘だろ?!」

「どうかしたのか?」

驚くぼくをみて、友達はたずねてくる。

「いや、なんでもない。ありがとう」

これでまた彼女に会えるのは来年だ。落胆を隠しきれないまま短冊を書き終え、席を立つ。友達も書き終えたころ、他の友達もやってきた。そのまま何事もなかったかのように、お祭りを楽しみ、帰路についたのだった。

家に帰ってから、彼女の言葉を反芻する。

「あなたに呼ばれたから」

それはどういう意味なんだろう。考えても、答えが出ない。でも、去年より関係性は進んだ。その前の年より飛躍的に進んだ。来年こそ・・・と思いつつ、ぼくは少しの嬉しさと、もやもやとした思いを抱えたまま、いつしか日常に戻っていった。


今年はあるゲームソフトが爆発的にヒットした。一人一台は携帯型のゲーム機を持ち、同じゲームをして遊ぶのが当たり前になった。しかし、ぼくの家は厳しく、なかなかゲームを買ってもらえなかった。だから必死に勉強して、夏休み前のテストではいい点を取り、家の手伝いもたくさんして、いい子を演じた。でも、あと一押しが足りない。そう思っていた時、もうすぐ七夕祭りがやってくることを思い出した。あまり神頼みは信じていないが、たまには悪くないだろう。

こうして迎えた七夕祭り。毎年のように短冊を書きに行く。

“ゲームを買ってもらえますように”

と、願い事を書いた。そして隣を見る。思った通り、やはり彼女はいた。が、少し寂しそうな雰囲気だった。

「こんばんは。また会いましたね」

去年声をかけたことで、ぼくはいくらか落ち着いていた。

「こんばんは」

と、彼女は僕のほうを向いたが、うかない表情をしていた。しかし、ぼくはそんな表情を気にせずに

「ぼくに呼ばれたってどういうことですか?

去年から必死に考えていたのですが、分からないのですよ」

と彼女にたずねた。

「・・・そのままの意味ですよ」

彼女はさらに顔をくもらせて、言う。

「そのままの意味ってどういうことですか」

「・・・そのままは、そのままです」

「だから、その、そのままって何が、どう、そのままなんだよ」

彼女の煮え切らない答えに、ぼくはイライラしていた。一年経って、こんな押し問答みたいなことがしたいんじゃない。どうして毎年隣にくるのか、名前はなんていうのか、どこに住んでいるのか、歳はいくつなのか、あわよくば連絡先が知りたい。欲望まみれの自己中心的な頭で、つい言ってしまう。

「はっきりしろよ。分かんねえよ、そんな答えじゃ」

「ごめんなさい・・・」

ごめんなさい、ごめんなさいとそのまま何回も呟く。はっきりと彼女を傷つけたことだけは、痛いほどに伝わってきた。

「おーい、お前何してんだよー」

後ろから、友達の声がする。

「手でもぶつかったか?」

いや、違うんだよ実は・・・と、ほんとのことは言えず

「ま、まあそんなところかな・・・」

とぼかす。きつい言い方をしてごめんな、と彼女に言おうとして、消えていることに気がついいた。しまった!と思っても、もう後の祭り。けんか別れにはなりたくなかったが、彼女がいないことには、仕方がない。来年は会ったらすぐに謝ろうと、どこかのんきな気持ちでいた。

七夕祭りが終わり夏休みに入る頃、ぼくはゲームを買ってもらった。これでみんなの仲間入りだ!夏休みは、友達との遅れを取り戻すかのように、ゲームに熱中した。彼女のことを忘れたわけではないが、毎年会えるとわかると特別感も薄らぐ。また来年でいいや、という気持ちになっていた。


初めての別れ方をして、一年後。今年も夏がやってきた。

いつものように、短冊を書きに行く。彼女は短冊を書いているときに現れるから、とそのまま短冊を書こうとするが、今年は何を書こうかと考えあぐねてしまっていた。

ペンが進まないまま少し時間がたち、そういえば、と彼女について思考をめぐらす。こっそり左右を見るが、まだ来ていないようだった。

ちょうどその時、右の子が席を立った気配がした。そして誰かが椅子を引いて座り込む。きっと彼女だ。淡い期待を持ち、右の子を覗き込む。

あれ・・・・・・「ちがう」

思わずぽつりと呟いてしまった。そんな一言も祭りの喧騒は搔き消していく。

もしかしてもう来ていたのか?不意にそんな思いに駆られて、後ろを振り向く。しかし、彼女らしき人物は見つけられなかった。

今年はたまたま来ていないのだろうか。ぼくが酷いことを言ってしまったから、来るのが嫌になってしまったのだろうか。去年の後悔が顔を覗かせる。いやいや、きっとそんなことはないだろう。だって毎年必ずぼくの隣にいたんだから、と擁護する声がどこからか上がる。

それじゃあ、どうして今年は現れない?

考えても考えても答えが出ない。こういうとき、出口がない迷路に迷い込んだみたいだというけれど、まったく同じ気持ちだった。

「おーい、お前まだ書いてんのか?」

不意に友達に声をかけられた。

「お前いっつもすぐ書くじゃん。迷ってるのなんて珍しいな」

「そうか?」

「おお。だって同じことばっか書いてたじゃん。“彼女に会えますように”って」

友達にそう言われて気がついた。

ああ、そうだった。なんでこんなことを忘れていたんだろう。

彼女に会ったその年から、ぼくは毎年「来年も彼女に会えますように」と、書いていたのだった。今年会えなかったのは、彼女を怒らせてしまったからなんかじゃなく、去年のぼく自身が彼女に会えることを望まなかったからだ。戻れるなら去年の同じ日に戻って、短冊を書き替えたかった。なんとなく、今年短冊に願いをかけても、来年は彼女に会える気がしなかった。ゲームなんかより、彼女が欲しい。心の底からそう願ったが、もう叶わない。

「ぼくに呼ばれたから」

彼女はそう言った。今なら、理由がはっきりとわかる。

後悔と、申し訳なさと、トキメキといろんな感情がごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。

そして、ひとつの結論を出した。

ぼくは赤色の短冊を手に取り、こう書いた。


「彼女に会えてよかった。今までありがとう。」

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可惜夜 美空重美 @s_misora

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