灼熱フライパンシャークVS乙女のため息

二八 鯉市(にはち りいち)

灼熱フライパンシャークVS乙女のため息


 「ねぇ、それで猪田いのだくんとはどうなったの?」

「猪田くん、かぁ……」

猫宮 麻緒ねこみや まおはそっと目を伏せた。長い睫毛が、美肌に陰を落とす。


 午後のカフェは平穏である。だがそこにはあらゆる人々の歩みが縁の大海を交差し、数限りない人生のエピソードと混ざり合う。


 麻緒は、頬杖をついて言った。

 「正直、本当どうしようかなって思ってる」

「えぇーどうして?」

兎動 月子うどう つきこは肩をすくめ、率直に驚きを表した。

「えーだってさ、猪田くんってすっっっごいイケメンじゃん」

「うん……」

「真央も、ああいう面長の……なんていうの、正統派のかっこいい人、タイプじゃん。背も高くて脚長くて」

「うん……」

「でさ、なんか物腰も柔らかくって、喋り方とか落ち着いてて」

「うん……」

「え、ねぇ麻緒どうしたの」

 月子が”猪田くんのいいところ”をあげつらねればあげつらねるほど、麻緒のテンションは明らかに下がっていく。

 あれ、これまずい空気か? と、女友達の勘が警鐘を鳴らし始める。

「え、なんか……猪田ってヤバい男だった?」

しかし、麻緒はふるふると首を振る。

「やば……くはなかった」

「いやいやその口調は絶対ヤバい奴だったってことでしょ。えーだって……X大学の学生でしょ?」

「うん」

「ってことは絶対に頭もいいし……しかも、実家お金持ちのお坊ちゃんなんでしょ?」

「うん」

「なんか話が合わなかったとか?」

月子の問いに、やはり麻緒は首を振る。

「話は面白かった」

「うーん……あ、じゃあデートがすっごいケチでつまんなかったとか?」

「デート、デートか……あの初デートはなぁ……」

麻緒は、肺の中にある空気を全部吐き出すようなため息を吐いて、カップの中でぬるくなっていく紅茶を一口飲む。


 その様子を見て、ここだな、と月子は感じ取る。

「なんか……デートがよくなかった?」

「そういう……わけでもないんだけど、ただ色々あって」

「やっぱり。なんだろ、すごい遅刻してきたとか?」

「ううん。デート自体は……途中まで悪くなかった」

「え、途中で何が……? まさかなんかひどいこと言われたとか」

「いや……そういうのじゃなくて」

麻緒は、「言った方がいいか」「胸にしまったほうがいいか」という二つの事柄を、胸の中で天秤にかけているようだった。月子はただ静かに、いちごミルクラテを飲みながら麻緒の天秤の振れを待つ。


 やがて、麻緒は何かを決したように言った。

「映画、見に行こうって言われて。それが、その」

「映画? デートとしてはむしろ王道っていうか」


麻緒は言った。

「灼熱フライパンシャークVS四輪ダイオウイカ2で」


 「……何?」

ごめん、聞こえなかった。月子はそう言って、今一度麻緒に耳を向けた。麻緒は、殆どヤケのようにして言った。

「フライパンシャークVS四輪ダイオウイカ2」

「ごめん、ごめん……えっ、本当に分かんない」

月子がそう言った途端、


 「アタシだって、わかんないよッ!」


 麻緒が絶叫した。周りが一瞬しん、と静まり、やがてまた、何事も無かったかのように日常のカフェの空気を取り戻していく。

 ふー、ふーっ、と息を荒げている麻緒の肩を、月子はそっと撫でた。

 「ごめん、ごめん麻緒……そ、そうだよね。麻緒がきっと一番わけわからないよね、いやあの……え、それは……映画のタイトルなんだよね。麻緒は、その……えーその、沸騰フライパン」

「灼熱フライパンシャークVS四輪ダイオウイカ2」

「だめだほんとに理解が追い付かない。それはあの、なに、いわゆるパニック映画的なことだよね。えーとその、デートでつまり……その映画を見せられた、と」

「きらきらした笑顔で、『席をとってあるんだ』って言われて、見せられたチケットがフライパンシャークだったの」

「やっば」

「好きなポップコーン選んでいいよとか言われたんだけど、その前に映画を選ばせてと思って」

「それはそう」

「15時からの灼熱フライパンシャークVS四輪ダイオウイカ2のチケットをお持ちのお客様、ってアナウンスかかって、猪田くんが『呼ばれたね』ってエスコートしてくれたときに、あ、ドッキリでもなんでもなくマジなんだ、って思って」

「エスコートの仕方が紳士なのに」

「ポスターで熱したフライパンと融合したサメと、四輪タイヤと融合したダイオウイカが対立の構図になってるのを見て、あ、これコメディ映画じゃなくて本当にパニック映画として作られてるんだ、って思って」

「まってもうほんとにおいつかない。何で熱したフライパンとサメ融合してるの?」

「ドクターマッドに聞いてよ!」

「そういう設定なんだねごめんね!」

「”——さあ人類よ、このサメのフライパンに油は敷かれたのだ”って冒頭で言われても、どんな感情になればいいのか分からないし!」

「ほんっとに大変だったんだね!」



 ぜぇ、はぁ。

 月子は、わずかに味が薄まってきたいちごラテを一口飲んだ。あまり味はしなかった。


 「あのーそれでさ、映画って面白かったの」

「全然面白くなかった」

「バッサリ言った。いやあのーほら、そのーもしかして意外にこう、脚光を浴びるメジャー作品の裏で、穴場的な感じで面白かったのかと思って」

「話の内容は意味わかんないし、CGはカックカクだったし、ダイオウイカの足の動き一定だし、フライパンシャークの鳴き声のパターンが二種類しかないし!」

「すごい、B級映画の条件全部そろってる」

「あれは! B級映画が好きな人が! にやにやしながら見に行くタイプの映画なの!」

「そうだよね多分そうだろうと映画のタイトルで予想つく。絶対に初めましてのデートで見に行く映画じゃないってことは分かる」

「しかも2なの!」

「うん、そうだよね地味に気になってた。1があるんだ、って」

「1で死んでた博士が実は生きてた! みたいな展開で盛り上げられても、1見てないから驚きも裏切りも無いし!」

「それは本当にそうだ……」


 月子は、そっと麻緒を見る。美少女から美女へとうつりかわりつつある、可愛い友人。猪田くんと連絡先を交換したと聞いたときは、いやー美男美女がくっついたもんだ、とか思ったんだけれども。


 「いやでも猪田くんも、ちょっとそこは気が利いてなかったよね。B級映画好きだとしてもさ、やっぱり初めての相手とはメジャーで無難な映画を」

「ううん、猪田くんは別にB級映画好きじゃないよ」

「え? じゃあ、なんでその映画を」

「猪田くんは純粋に、『面白そう!』って思ってフライパンシャークを選んだの」

「……え、ほんとに?」

「うん。なんて斬新で面白そうなパニック映画なんだ、って思って私を誘ってくれたんだって」

「……」


 色んな人がいるんだなぁ。処理できないような処理できるような一周回って処理できそうで全然できない感情が、月子の心で渦を巻く。


 「ま、まぁ…最初のデートがちょっと、残念だけど失敗に終わっちゃったとしてもさ、なんていうか」

「失敗じゃなかったの」

「え? いやだって、映画全然面白くなかったんでしょ」

「私はそうなんだけど……」

麻緒は徐々に口ごもっていく。

「猪田くん、すごく……楽しんでて」

「フライパンシャークVS四輪ダイオウイカ2を?」

「明らかに後ろから襲われるじゃん、ってシーンで隣でビクッてしてたり、絶対にそいつ食べられる運命でしょっていうモブが食べられるシーンで唖然としてたり、ヒロインが四輪ダイオウイカの口からペッて吐き出されて無事生きてたシーンで涙ぐんでたり……」

「……そ、そっかー」

いちごラテの味は、薄まっていく。


 「……ねぇ月子。私、これからどうしよう」

ぽつりと麻緒が言った。月子は、そっと麻緒の肩を撫でた。

「まぁあの、ほら、価値観の違いっていうのはさ、そのー別れるには十分な理由に」

「ううん、別れたくないの」

「えッ!?」

大きな声が出てしまった。月子は慌てて口を塞いでから、麻緒をまじまじと見た。


 美少女から美女へとかわりつつある可愛い友達。

 麻緒の頬は今、チークを塗りすぎたように赤く染まっている。


 「最初は、ちょっと趣味が合わないかなって思ったんだけど……いや絶対にそれサメに襲われるの分かるじゃん、って場面で逐一ハラハラして楽しそうにしてる猪田くんを見てたら……」

麻緒は小さくため息をついて、言った。

「かっこいいって思ってたのが、かわいい、って見えてきちゃって……」


 月子は、静かにいちごミルクラテを飲んだ。


 午後のカフェは平穏である。だがそこにはあらゆる人々の歩みが縁の大海を交差し、数限りない人生のエピソードと混ざり合う。


 月子は言った。

「……そっかー」


 麻緒は頷いた。

 だからね、とため息をつく。

「来週も誘われてるの。『地獄の殺し屋シャークVS氷河の古代洗濯機4』にね、やっぱり行った方がいいかなぁ?」

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