沖浦数葉の事件簿 ーぐちゃぐちゃの食卓ー 【KAC20233】
広瀬涼太
ぐちゃぐちゃの食卓
そこはさながら、何かの事件現場のようだった。
第一印象を一言で表すならば『ぐちゃぐちゃ』。
油がこぼれたり、陶器やガラスが割れていないのは幸いだったが、鍋やフライパン、ボウルが散らかり、棚やレンジは開けっ放し、シンク周りは水浸し。
何より調理台では、まな板と包丁を中心に肉片が散らばり、あたりは血まみれになっていた。
俺がちょっと家を出たすきに、一体何が起こったんだ。
はっと我に返り、部屋の中を見回す。俺の借りているワンルームマンションの隅では、数少ない……いや見栄を張った……唯一無二の異性の友人である
一見すると何かの事件の被害者のようにも見えるが、俺の推理が正しければ……。
いや、そんなことよりも。
「数葉! 無事か!? 怪我とかしてないか!?」
俺は慌てて彼女――恋人ではなくただの代名詞――に駆け寄る。
数葉は、あまり手入れの行き届いていない前髪の隙間から覗く悲しげな目で俺を見上げ、弱々しい声でぼそりと呟いた。
「……我が
…………。
こんなネタが吐けるなら大丈夫そうだな。
「おうちデートとかはしゃいでおいて急に重篤な中二病発症するなよ……っていうかそれ、俺が真っ先にぐちゃぐちゃになるやつだよな!?」
「……ごめん」
とはいえ、はんに……いや本人も十分に反省しているようではある。
「人の部屋をこんなにしておいて何も
「……海!」
うわいきなり復活した。
「……海行きたい」
「さっき釣りから帰って来たばかりだが!?」
「……私も夏になったら砂浜で、君と海に放り込んだり放り込まれたりしたい」
「どこのどういう風習だそれは!?」
水上レスリングか何かか。
「ええい、俺も手伝うから、とにかく部屋を片付けよう」
「……ごめん」
「ごめんは一回」
「……ごめん」
やれやれ……食事はとにかく、片付けをすませてからだ。
「で、結局何があったのこの有様」
◆
その後、後片付けに一時間以上かかった。
それでも数葉と一緒ならまあいいかと思えるのは……。
俺の女性恐怖症が少しずつ快方に向かっている、ということだろうか。それなら喜ばしいことなんだが。
別の何かを発症つつあるとかじゃないよね?
それはさておき、今回の事件。
今日の朝から二人で海へ釣りに行き……数葉は釣りデートからおうちデートなんて喜んでいたが、俺は正直ちゃんと釣れるかどうか不安であった。
魚の動きが鈍いようでヒヤヒヤしたが、何とか二人分の昼食を確保した。
俺の家に戻り、料理を始める前に、ちょっと副菜でも買おうかと近所のコンビニまで一人で出掛けた。
後にして思えば、数葉と一緒に買い物をしているところを高校の同級生に見られたら……なんて考えた俺が愚かだったのだ。
そして、事件は起こった。
被害者は、大きめの
内蔵を抜こうとして内蔵もろともぶつ切りにされたものや、それ以前に内蔵の存在を忘れたかのような細切れ。頭もひとつ見当たらないんだが。
俺、アジフライ作るって言ったよね?
それはもはや、叶わぬ夢となってしまったが。
そして、この鯵ぐちゃぐちゃ事件の犯人、沖浦数葉は、俺が帰る前に下ごしらえをすませてあげたかったなどと、意味不明な供述をしている。
「たしか数葉ってメシマ……家事全般不得手だったよな」
「……今メシマズって言おうとした?」
「言ってない」
まだ言ってない。最後まで言ってない。
「去年の調理実習とか、阿鼻叫喚の地獄絵図だったって聞いたぞ」
とはいえこの人、漫画やラノベに出てくるメシマズヒロインみたいな挙動をする。
「……時々は、調理実習を見学さ……してた」
させられてたの?
「体育を見学はよくあるけど、家庭科を見学って初めて聞いた気がする」
男女別だから詳しいことはわからなかったんだが、悪い噂を聞かなくなったから、改善したものだと思ってすっかり忘れてた。
「……5年連続13回目」
「甲子園出場か! 数字だけ聞くとなかなかの強豪に思えるな」
「……いやぁ、それほどでも」
「謙遜すんな! いや待て5年って中学のときからそれやってたの!?」
「……話せば長くなる」
「さて、いい加減腹も減ったし、昼飯にするか」
「……えー」
数葉の発言を流して俺は、事件後に再び冷蔵庫に入れておいた、かつて鯵だったものたちを取り出し、話しかける。
「俺の悪友がすまなかった。ちゃんとおいしくいただかせてもらう」
「……あくゆう……」
洗って消毒したまな板の上に、骨と内蔵を丁寧に取り除いた鯵の肉片を並べる。
「味付け前で良かった。これならなんとかなりそうだ」
そして左右の手で二本の包丁を構え、手早く鯵を切り刻む!
「……なんということでしょう」
「家の改築か!」
「……見るに耐えなかったあの肉片は、ぐちゃぐちゃのねぎトロに」
「ぐちゃぐちゃ言うな。それに、マグロじゃないからねぎトロでもない」
肉片は数葉のせいだぞ。
「今回は応急処置みたいな形になったけどさ、これもちゃんとした料理だぞ。『なめろう』って名前もある」
「……できた?」
「いや、まだもうちょっと、アニサキスとか入ってるかもしれんから、よく見ながら十分叩かないと」
しばらく鯵を叩いた後、冷蔵庫からネギと味噌を取り出す。ただの味噌じゃなく、味噌汁用に出汁なんかも入ってるやつだ。
適量を刻んだ鯵の身に加え、二本の包丁を駆使してぐちゃぐちゃとよく混ぜ合わせる。
ここでちょっと味見をして……ふむ……
「こんなもんかな?」
俺が味見をしているのを見て、数葉がよって来た。
スプーンでなめろうをすくい直して近づけてやると、数葉は手を使わずにそれを
なんというか、ネコか何かに餌付けしてるみたいだ。
「……まだちょっと薄味」
「そう?」
ご飯と一緒に食べたりもするから、少し濃い目でもいいかな。
もう一回味見をして……よし。
あれ……?
今たしか、このスプーン、俺が味見して、数葉が味見して、もう一回俺が。
あ……。
目と目が合う。
頬が少し赤らんでいる。数葉の方も気が付いたんだろう。
「……ふふっ」
不意に数葉が、はにかんだような笑みを浮かべた。
「……ははっ」
たぶん俺も、今同じような顔で笑っているんだと思う。
ま、まあ、高校2年なんだから、もう間接キスとかで騒ぐような年でもないだろう。直接とかはまだではあるが。
でも、やっぱり気恥ずかしい。
「は、配膳は俺がやるから、数葉は座って待っていてくれ」
「……あ、うん」
いきなり現実に引き戻される。
数葉にやらせて、ぐちゃぐちゃ事件再びとなったら目も当てられん。
あらかじめ炊いておいた――釣りから帰る予定の時間に合わせてタイマーをかけておいた――ご飯を茶碗によそい、アジフライの付け合わせに買ってきたキャベツのサラダも食卓に並べる。サラダはなめろうと合わない気はするが、それは仕方あるまい。
「さて、それでは」
「「いただきます」」
二人食卓で向かい合って、手を合わせる。
なめろうを少々、白いご飯に乗せ、一緒に口に運ぶ。
うん、やっぱりご飯によく合う。
ご飯と一緒に食べると少々薄味に感じられるが、これぐらいがいいのだ。
数葉もそれを真似する。
その表情が、花が開くようにぱあっとほころんだ。
これはずるい。今日も色々ゴタゴタしたのに、この表情が見られたなら全てよしと、そう思える。
「……あじが
「いや、語彙力! っていうかほめてるかそれ!?」
まあ、オタクの語彙力が下がるのはよくあることだが……。
それでも数葉の顔を見れば、言いたいことはまあ、よくわかった。
―― 了 ――
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