無石の宝玉治癒師~後宮の病は私にお任せください~

宮之みやこ

第1話

「きゃあっ! 見て、無石むせき君子くんし様よ!」


 嘉巽かそん国の後宮、牡丹が咲き乱れる煌珠こうじゅ宮の道すがら。


 官服を着た私を指しながら、額に翡翠の宝石が輝く妃が叫んだ。そのはずみに緑色の髪につけられた髪飾りが揺れ、薄絹の衣がふわりと裾をたなびかせる。


 私は頬を赤らめた妃を見ると、とびきりの笑みを浮かべてにこりと微笑んだ。

 もちろん、この微笑みが彼女たちにとても効果的だということをわかった上で、だ。


「こんにちは、よう美人様。調子はいかがですか? ご不調があればいつでも診療いたしますよ」

「本当!? なら、あとでわたくしの房間へやに来てくださる!?」

「あっ、ずるいわ。ならわたくしも! わたくしの房間にも来てくださいませ!」


 あわてて身を乗り出したのは、その隣に立つ楔石スフェーンを額につけた妃。

 まとった萌黄色の衣は、額にある額玉がくぎょくと呼ばれる宝石とお揃いの色をしている。彼女らはふたりとも、緑系統の額玉を持つ翠玉すいぎょく宮の妃だった。


「もちろん。それでは予定している診療が終わったら伺いましょう」


 そう言って微笑むと、妃たちはきゃあきゃあと高い声をあげながら、翠玉宮の方へと戻って行く。その後ろ姿を見て、私はふぅっ……と息を吐いた。


 妃嬪の前で見せる落ち着いた態度は、あくまで業務を滑らかに進行するための表向きの顔。さすがに、ずっとあんな気取った喋り方をしているわけではないのだ。


「相変わらず、紫瑶しようは人気だねぇ。“無石の君子”なんて、女なのに貴公子みたいなあだ名までつけられて」


 そう私にぼやいたのは、隣を歩いていた桂蓮けいれん姐さんだ。


 小柄な姐さんは十九の私より十歳上の先輩で、同じ希少な女宝玉治癒師ほうぎょくちゆしとして働いている。身にまとうのは宝珠治癒師の制服である紫がかった黒の官服で、頭に何もかぶっていない私と違って、姐さんはきちんと官帽をつけていた。


「でもまあ、“玉無し”って言われるよりはましですよ」


 言って、私はカラカラと笑う。


 ――この嘉巽かそん国では皆、額に“額玉がくぎょく”と呼ばれる宝石をつけて生まれる。


 額玉には様々な種類があり、皇族にだけ受け継がれる金剛石ダイヤモンドを筆頭に、紅玉ルビー蒼玉サファイア翠玉エメラルド黄玉トパーズなど、硬度が高く大きく、鮮やかであればあるほど位が高いとされた。


 そして時には例外もあるものの、額玉は基本的に親から遺伝する。

 

 そのため私は、母の額玉である紫水晶アメジストか、父の鋼玉コランダムが生まれることを期待されていたのだが――いざ産声を上げてみれば、宝石なんてどこにも見当たらない、つるつるのおでこだけがあったというわけだ。


『お前にも、石があればなぁ……』


 という父のぼやきを、幼い頃から何度聞かされてきたことか。

 嘉巽かそん国の豪商人である父は、どうやら私を後宮の妃嬪にしようと目論んでいたらしい。


 けれど実際は妃嬪どころか、まさかの“石無し”。

 額玉の美しさが何よりも重要視されるこの国では、最底辺の地位といっても過言ではなかった。


 私が言った“玉無し”という言葉に、苦い顔をした桂蓮姐さんが首を振る。


「まったくだよ。“玉無し”なんて……女で石もない紫瑶しように宝玉治癒師として勝てないからって言うにことかいてひどい言葉だ。あいつらも、もう少し品のある言葉を選べなかったものかねぇ……」


 “石無し”でありながら史上最年少の十七歳で宝玉治癒師となった私は、どうやら同僚たちの嫉妬を買ってしまったらしい。裏ではことあるごとに、“玉無し”と言う蔑称で笑われていた。


「でも紫瑶しようの能力だけはちゃんと評価してるあたり、素直というかなんというか……」


 言って桂蓮姐さんが額を押さえる。


 ――そうなのだ。


 『玉無しなのに超有能、玉無しなのに超美形』


 それが、他の宝石治癒師たちが私を説明する時に使う言葉だった。言葉の選択は最悪だが、有能と美形という二点はどうやら認めてくれるらしい。


「何と言われようと気にしませんよ。私は宝玉治癒師としての仕事ができれば幸せですから」


 言ってまた笑う。


 自分に石がなかった反動なのかはわからないけれど、私はとにかく人の額玉を見るのが好きだった。


 額玉に関することなら昼夜問わずに勉強したし、父に『これじゃ嫁の貰い手がない』と嘆かれた時は、嬉々として宝玉治癒師になる道を選んだものだ。


「ま、あんたは見た目は超別嬪な上に、頭も群を抜いていいと来た。その分、ここぞとばかりに石無しを責められるんだろうね」

「顔だけでなんとか生き抜いてきたようなものですからね」


 姐さんの言葉に、私は苦笑した。


 自分で言うのもなんだけれど、私は母に似た特別美しい顔をしている。


 頭の後ろでくくられ、馬の尾のように垂れた髪は黒々とした艶を放っているし、紫水晶を思わせる瞳は大きく印象的。鼻は大きすぎず小さすぎず形よいし、卵型の顔だって作り物のように整っている。女性にしてはすらりとした長身も、決して悪くはないはずだ。


 ただ、どんなに見た目がよくとも、額玉がないという一点ので、私は皇帝にみそめられることはないし、妃嬪たちの敵にもならずに済む。


 ……実際のところ石無しというのは、この世でただひとり、私にとって非常にありがたいことなんだよね。


 考えていると、桂蓮さんが続けた。


「とはいえ、宝玉治癒師だって薬で性をなくしているんだから、石無しと変わらないのになぁ」

「彼らによると薬で抑え込んでいるのと、そもそもないのは全然別物らしいですから」


 後宮にいる宝玉治癒師を含めた宦官たちは、年に一度、『無機丸』と呼ばれる特別な薬を飲まされる。


 これを呑むことで額玉は輝きを失って暗褐色になる上に、“男として”役に立たなくなるそうだ。

 後宮にいる妃たちとの事故を防ぐためには欠かせない薬で、飲んだかどうか毎年厳しく監視されるし、額玉の色を見ればその人が宦官かどうか瞬時に見分けがつくという優れものだった。


「あたしが思うに、あれも嫉妬の理由に含まれている気がするんだよね。まずいし飲むと太るけど、紫瑶は免除されているから」


 確かに姐さんの言う通り、私は女である上に額玉がないから『飲んでも意味がない』ということで、薬を免除されている。


「って言っても、桂蓮姐さんも女だから、本当は免除されていますよね?」


 私が言うと、桂蓮姐さんは苦笑した。

 元は緑柱石ベリルである桂蓮姐さんの額玉は、今は宦官の特徴である濁った暗褐色になっている。


「そうなんだけどね……女宝玉治癒師は飲まないと、今度は『陛下に色目を使おうとしている!』って言って、妃嬪に咎められることもあるからさ」

「本当に後宮という場所は、厄介ですね……」


 私たちはふたりそろって苦笑した。


「ま、それでも食っていけるだけありがたいよ。なんてったって、宝玉治癒師は試験が難しい分、給料がいい! あたしやあんたみたいに、結婚に興味がない女にとっては極楽だ」

「おまけに、この国で最上級の額玉が見放題触り放題! まさに極楽ですよねぇ」

「そこを最重要視しているのは、あんたぐらいだと思うけどね……」

「そうですか? 好きじゃなきゃ、あんなめんどくさい試験、やりたがらないかと思っていました」


 宝玉治癒師になるためには、人体を理解するための医術、鉱石を理解するための鉱石術、さらに人体とも鉱石とも違う特別な仕組みを持つ額玉術に、薬を作るための薬術にと、すべてを網羅していなければならない。


 その敷居の高さは、あの科挙試験ですらたじろぐほどだと聞く。


「んなこたぁないさ。あんたは豪商人の家出身だからわからないかもだが、世の中金だよ、金」


 指で硬貨を示すわっかを作る桂蓮姐さんを見て、私はそれもそうか、と考え直した。


 お金がなければ妃嬪たちは美しく着飾れないし、父が豪商人じゃなければ、私も勉強に打ち込む余裕はなかっただろう。うん、お金は大事だ。


 そうこう話しているうちに、私たちは目当てである紅玉こうぎょく宮についた。

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