第21話

 少女は微笑んでいた。全て知っている。少女に知らないことなどない。少女こそ世界。全ては少女の意のまま。なぜなら全ての世界が少女の望んだ姿だから。


「もう少し寝ててよ。まだ、そのときじゃないって言ったでしょ」


 頬を膨らませて少女は言う。フリフリのドレスにクルクルに巻いたツインテール。ピンク色のソファに寝転んで甘い棒つきキャンディを舐める。甘いお菓子で溢れたピンク色の部屋は甘ったるい匂いで吐きそうになる。


「ロウィル、僕は」


 金髪の髪を寂しげに揺らす若い男が部屋の隅で肩を落としながら尋ねる。

 少女は舐めていたキャンディを男の足元まで吐き出す。


「お前は、私の足元でワンと言えば良い。ほらそのキャンディをやろう。舐めてこっちにおいで」


 男は言われるがままに、まるで操り人形のようにその場に足をついて舌で床に落ちたキャンディを口に入れる。そしてそのまま四つん這いで少女の元に向かう。少女はその真っ黒なものが心を閉じ込めている瞳を嬉しそうに細めた。

 そして男の背中に足を踏みつけるように強く乗っける。


「良い子良い子。そんな良い子にお仕事あげるわ。一人食べちゃったから新しい子を連れて来て。とびきり絶望に満ちた心。この子よりもっと綺麗な心。できるわよね、愛しているわよ」


 少女は男の額にキスを落とす。男は目を見開き息を荒くさせてその口から唾液を零す。闇が渦巻くその瞳は揺らめいていた。


「お返事は?」

「ワン」


 男は興奮気味に言葉を漏らす。そこに男の意思があるのかすら怪しい。そんな様子を見て少女は満足気に微笑む。

 男は少女から任された仕事を成すべく立ち上がり部屋を出ていく。後ろ姿を見送った少女はクリームがたくさん乗ったカップケーキを一口頬張る。


 言葉とは便利なものだ。本当に思っていなくとも文字を並べて口に出してしまえば、言ったことは事実になる。


 少女は自分が何者かもう分かっていない。ロウィルという名が自分のものなのかも、よく分からなくなったのだ。自分という存在は一人だけ。自分の本当の目的を果たすため、たくさんの世界を作り出してたくさんの夢を見て。そこにいるのは同じ人間なのに違うことをする人間を見ては思う。


 自分は何なのだろう。


 少女はこの世で一人しかいない。他の人間のように世界それぞれにいない。この世界に独り。失った心を探して永遠の時間を彷徨う生きた亡霊。

 だからこそ。皆とは違う自分という存在に違和感を感じ、何者かも分からなくなってしまう。


「私が愛しているのは、あなただけよ。お兄様」


 少女は鏡に映る自分とは似つかない男の姿を見て頬を赤らめた。


 ──イラは一人でその世界を歩いていた。一応、報告しないといけない。イラはその甘ったるい部屋の扉を開ける。ロウィルの情緒は不安定だから会いに来たくはないのだが、協力している以上会わないわけにはいかない。


「言わずとも知ってるわよ。二人目覚めたわね?」

「……ああ」


 イラは無意識のうちにロウィルを睨んでいた。その鋭い視線にロウィルは怒るどころか楽しそうに笑った。イラのその複雑な心情を考えるだけで胸が踊ってしまう。


「でもあなたは良い子よ。ちゃんと眠らせてあげて。そうよ、あの子はまだだめだもん」


 ロウィルはクリームだらけのケーキ食べた手でイラの頬に触れる。イラは体を震わせたが、ロウィルはそれに構わずその手を顎へと伝わせる。その瞳は気味が悪いほどに希望の光を宿していないのに、楽しそうに目は弧を描く。不気味さがイラをより恐怖の沼に落とす。

 べたりとした感触が顔の輪郭をなぞって背筋に冷たい汗が一筋流れる。


「言ってみて」

「全ては、あなたの望みのために。世界を、完全なものに」


 イラは頭を下げて言う。少女が見えないその顔では苦虫を噛み潰したように、噛み締める歯と歯に力を込めた。


 全ては、復讐のために。

 イラは仕方なくこの世界を統べるワガママ女王様のロウィルに協力するしかないのだ。


 イラ・ヴィト。A世界に生きた人間。その歴史ある街で産まれ、ひっそりと身を隠しながら生きてきたがそう生きるのは簡単ではなかった。

 イラは、シュトゥルと遠い血縁関係にあるのだ。


 ◇◆◇◆◇◆


 ヴィト家はかつて異端児と呼ばれた王が殺し忘れた王家と血が繋がる一族だった。当時王は神だと崇められていたそうだが、現在は違う。世界をめちゃくちゃにした張本人として国際手配。彼を支持するものは誰であろうと即処刑。そのためヴィト家は常に人々から命を狙われていた。穢れた血を流す一族として。

 それはイラが産まれた時代でも変わっていなかった。命を狙われ続け、遂には両親、兄、妹がイラが十九のときに殺された。イラは呪い続けた。家族を殺した、もはや人間ではない、この状況を作った異端児を。

 どこかにまだ存在している気がしたのだ。その希望を失った瞳には復讐の炎だけが燃える。

 必ずこの手で殺してやるのだと。


 イラは自分を狙う人間に見つかっても怖気つくことはなかった。むしろ、受け入れてるような。その鋭い目に誰もが恐怖したが一人がイラの心臓にナイフを刺した。


 イラが目を覚まし、連れてこられた先にいたのは国に伝わる話に出てくる異端児の王の特徴によく似た老人だった。

 イラはそのとき決めたのだ。今はまだそのときじゃない。まずは、味方になろう。それからじっくりと、中から壊して。殺してやるのだ。


 イラの計画通り、シュトゥルは簡単にイラの言葉に騙された。元は穏やかな人間だったという情報は間違いではなかったようだ。

 シュトゥルはイラへ新たにコーラウという名を与え、夢と現実の扉を守る役目を与えた。そして簡単にイラの目を覚まさせた。シュトゥルは自分の妻だと、まだイラよりも若そうな少女にイラを紹介した。イラのことを新しい仲間だと説明した。


 ヴォルファリュクスに心、夢から覚める方法を教えたのはイラだ。だからこそあの日分かりやすいようにあの場所に立ってやった。多少の嘘はついたが、それはヴォルファリクスを守るためだ。

 ヴォルファリュクスだけを夢から覚まさせてやれば、計画は上手くいくはずだった。だから梨瑚にヴォルファリュクスと関わるなと忠告した。梨瑚もヴォルファリュクスの企みに関係してしまえばイラの計画は難航し、シュトゥルたちの計画は上手くいくようになるだろう。なぜなら、お姫様が口から手を出すほど待ち焦がれたものを梨瑚が持っているから。だからシュトゥルは梨瑚を殺すことができない。ロウィルでさえも。

 それなのに、梨瑚とヴォルファリュクスは一緒に夢から覚めてしまった。梨瑚が目覚めたというのに驚かないロウィルの様子から、まさかこれもロウィルは把握していたのかとも思ってしまう。

 だが、それもロウィルなら可能かもしれない。彼女はこの世界そのものだ。


 そもそもこの世界の始まりは全部、この狂った王族のせいなのだ。裏世界の王族が狂っていたからロウィルが狂った。何も知らないのはヴォルファリュクスだけ。可哀想な、王太子だけが何も知られていない。


 イラは必死に考えていた。どうしたら良いのか。イラにしてみればヴォルファリュクスが存在していたからこそ、この混沌とした世界が作り出されて色々と面倒事が起きたわけであるので、ヴォルファリュクスだって復讐の対象だ。だが、どうにも自分の心に残っていた良心が痛む。


 梨瑚もどうしようか。


 だが、梨瑚含めA世界とZ世界の住民以外は本来存在することのなかった人間なのだ。今更、存在がなかったことになってもそれは元の状態、あるべき姿に戻っただけ。それで良いのではないのだろうか。


 それでも、自分たちと同じように眠る梨瑚を見てその考えが愚かに思えてくる。妹と同じ年齢の梨瑚にどうしても感情移入してしまう。


 イラは頭をかいて世界を歩いていた。状況を整理るために目を閉じる。


 コードネームのような名前を与えられて死神として活動するのは幻想世界。シュトゥルが作り出した世界。

 今現在、ヴォルファリュクスたちがいるのはもう一つの幻想世界。ロウィルが作り出した世界。

 イラがいるここはロウィルが拠点とする幻想世界。これもロウィルが作り出した。


 ロウィルの企みは純粋で恐ろしいもの。

 きっと誰にも止められない。そのためには、殺さなければならない。そして、ロウィルを殺すにはシュトゥルを。

 ロウィルが死んだらこの世にある全ての世界はどうなってしまうだろう。ロウィルの作り出した世界。恐らく消えてしまうだろう。

 表世界と裏世界のあるべき姿に戻る。それで良い。


 元より復讐を果たすべくここに来たのだ。

 イラは睨むように先を見つめて歩き出した。


 イラはまだこの世界の半分も理解してない。この複雑で一本道の世界のことを。


 全てはロウィルが知っている。ロウィルは皆が頭を悩ませて働いている中、大きなキャンディを舐めていた。


「全部、私のため。私のお願い聞いてくれないお兄様が悪いんだから。ねえ、梨瑚。あなたが大嫌いよ。あなたの心が欲しいから、早くいなくなって。お兄様、早く」


 ロウィルは紫色のキャンディを喉を鳴らして舐め尽くす。そのキャンディを舐めた後はなんだか美しさを手にした気がした。

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絶望の果てに永遠を。 白鷺緋翠 @SIRASAGI__HISUI

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