第20話

 梨湖は驚いてすぐ膝を抱えて顔を隠すように縮こまる。突然怯え始めた梨湖を見たヴォルファリュクスは男たちから視線を逸らして梨湖の方を見る。安心させるように肩を撫でてやるが、震えは止まらない。

 ヴォルファリクスもまた、バレてしまったとき自分たちがどのような運命を辿るのか。想像ができてしまうから、唾を飲み込んでじっと時が流れるのを待った。


 一方で何かを感じたのか年老いた男が梨湖たちの隠れる、ただ水だけが入っているカプセルに視線を移す。それを見ていた若い男は中心のカプセルを見つめたまま年老いた男の肩に手を置いた。その行動を止めるように、力を込めて。


「先に戻っててくれませんか? 確認したいことがある」


 年老いた男はしばらく間を空けた後に頷くと階段を上り、足音が聞こえなくなった。年老いた男は若い男のことを信頼しているように見える。


「……おはよう、少女」


 その空間から一人の気配が消えるのを確認した若い男は声色変えずに言う。男が誰に対して言っているのかまだ分からない。まだ、そのときではない。

 梨湖とヴォルファリュクスは警戒するように息を殺した。顔を覗かせずに、相手の息と足音だけに耳を澄ませて。


「王様も一緒か。はぁ、関わんなっつったのに」


 男は頭をかきながら梨湖たちの隠れるカプセルに近づき、カプセルに手を置いて覗き込むように見た。その顔はどこか呆れと安堵が混じっているよう。

 暗い部屋に男の黄色の瞳が鋭く二人を照らした。その目は恐怖を与えるが、敵意は感じられない。


「俺はイラ。あー、コーラウつってもお前ら分かんねぇだろ」


 イラと名乗った男は視線を逸らして頭をかく。その頬は少し赤く染まった。

 確かに二人はコーラウと言われてもパッと来ない。だが、同様にその顔は見覚えがある。それに二人は安心した。


 イラは場所を変えたいと言って二人を別室に案内した。研究室のような場所とは変わって普通の部屋のような、衣食住がその一室でできる小さい部屋だった。普段イラがそこで暮らしているらしい。

 イラと二人は丸机を囲むようにして床に座る。少し肩身が狭い。


「王様は置いといて、お前はよく起きれたな」

「何か知っているようですが、イラさんはどこまでご存知なんですか?」

「どこまで……。そうだな、お前らがなぜここに来たか、ここがどんな場所かくらい。詳しいことは」


 イラは知らないと言うように手をひらひらと動かした。ヴォルファリュクスはイラが用意したお茶を飲む。なかなかに美味しい。


「私たちはなぜここにいるんですか?」

「詳しいことはそこにいる王様に聞いたら良い。俺と同じくらいのことは知っているはずだ」


 イラはヴォルファリュクスを指さす。梨湖もイラの指の先辿るようにヴォルファリュクスを見た。

 ヴォルファリュクスはお茶の入っていたコップを机に置いて息を吐く。うっすらと目を開けて残った茶葉を見つめる。


「……私は、何も分かりません。長い夢を見ていた気がするんです。どこから現実で、夢なのか分からない」

「まあ、そうなるか。だが、夢で見たものが必ずしも偽りであるとは限らない。現実で偽りがあるように、夢にも正しいものと正しくないものが混在している」


 イラは大きな白い紙を机に置いてタッチペンのようなものを用意する。インクのような物が出るそれを使って状況を箇条書きにして整理していく。

 この世界の在り方になってから現在までのことを少し大まかではあるもののイラは説明していく。


 世界の始まりは全て、一人の女性の望み。


 ある世界に、それはそれはわがままなお姫様がいた。お姫様は望みを何でも叶えてくれる兄が好きだった。だが、ある日を境にわがままを許してくれなくなる。お姫様のわがままで人々は離れていく。お姫様は希望を失った。負の感情が心に残り、絶望が心を占めていき。その瞳はぐるぐると黒いものが渦巻く。家族がそれに気づく前に、お姫様の嫁ぎ先が決まった。世界も違う王家の男。

 お姫様は思った。

 どんな人間であろうと飼い慣らして自分の意のままに動くようにしてやると。兄のように失敗作は作らない。そう誓った。


 結婚相手の男は穏やかで優しい人だった。そして稀な力を持っていた。その性格と力故に、男は家族から利用されていた。溜まりに溜まったストレスだらけの心を解いたのはお姫様。お姫様は言葉を巧みに使って男を洗脳していく。旦那は自分の血が繋がる者全てを殺した。希望で溢れていた彼らの顔が絶望で染まっていくのを見てお姫様は大いに喜んだ。

 邪魔者がいなくなったと。


 男は絶望に苛まれた。全てが消え去ったその世界に。何の望みも叶えられぬ世界の全てに。だが、そんな彼を生かしたのは他でもない妻であるお姫様だった。


 男は人の顔を見ることができなかった。そのため自分の妻の顔ですらちゃんと見たことがなかった。その絶望に満ちた目に映った、絶望していた妻の顔に男は目を奪われた。絶望とは、なんと綺麗なものかと思った。

 それからというもの、ますますお姫様の言いなりになろうと願った男はお姫様の手となり足となった。そして、使うことを拒んでいた力を使い続け、遂に世界の在り方を変えた。


 それが今の世界の始まり。


 イラは頭の上にはてなを浮かべる二人を見て頭をかき、ため息を大きく吐き出す。

 当然、こんな小説のような話誰も信じるはずもない。急に世界がとかお姫様が王がとか言われてもピンと来ないのは重々承知の上だ。イラも、初めて知ったときは二人と同じような反応をしたから。

 だが、彼らは知らなければならない。きっとイラの知っている情報も偽りだろう。この世には真実の割に嘘の数が増えすぎてしまった。こんな偽りだらけの世界、きっともう長くはない。


 気乗りはしないが、これも全て仕方のないこと。イラは立ち上がると、すぐそばに寝かせてあった腕の長さほどある銀色の杖を持ってくる。


「仕方ねぇか。お前らの夢の内容を思い出させる。気を失うけど、死にはしないから安心しろよ」


 そうイラが言うと二人の有無を聞く前にまずはヴォルファリュクス、次は梨湖の頭にその杖の先端を当てる。二人は何も分からないまま白目を剥いて倒れた。

 この杖はあの年老いた男が作り出した物だ。何でも叶う力で生み出した、夢の記憶を全て思い出せる杖。かつて男がイラに使った物をなぜかイラが持っていたのだ。


 しばらく経って二人は同時に起き上がる。意識を失う前に見た景色と同じ。部屋が眩しいのか瞬きを繰り返し、開いた目に映ったその人を見て目を見張る。イラはその二人の様子を腕をついて欠伸をしながら見ている。


「ロ、ロウさん?」

「ええ。あなたはリヴさんですか?」

「……はは、リヴって今思えば変な名前ですね」


 梨湖はそう言って笑い出すとヴォルファリュクスも軽く笑う。イラは頭をかいて机を叩く。


「和気あいあいとしてるとこ悪いな。これからのこと手短に話しとかねぇといけないから、ちゃんと聞いとけよ」


 イラは三つ指を立てて二人の目の前まで近づける。


「まず一つ。絶対に俺以外に見つからないこと。二つ。勝手に出歩き回らないこと。それと、もう一つ。拠点はここにしろ。二人は来れないからな。一番安全だ」


 念を押すようにイラは言うと腕を組んで、どこかを見つめる。

 イラに、ここにいる人間に残されてる時間はもう少ない。

 イラは考えていたのだ。この二人に協力を求めるべきかどうか。だがヴォルファリュクスがいるのが痛手だ。もし仮にバレたとき。何が起こるか分からない。

 男はヴォルファリュクス、ロウの心を使って更なる計画の進行を考えている。ロウの心を操れないと気づけばあちら側の計画も、イラの計画も全て崩れる。

 もし幻想世界が壊れたとしたら。ここにいる全ての命が危ない。


 イラは考えに考えた結果、今はとりあえず大人しくしてもらうことを選んだ。そのうち梨湖がカプセルにいないことも気づくだろう。そのとき、彼らがどう出るかを見ることにしたのだ。


 やり直しができない現実世界。イラは舌で渇いた唇を舐める。じわじわと汗が滲んだ。

 イラは黙ったまま夢の記憶を取り戻した二人の顔を見た。ヴォルファリュクスはともかく、梨湖はあのときと何も変わらない。この世界のことを何も知らない産まれたての赤子同然。


「これから起こることは全て現実だ。死ぬことだってある。イュレのようにな」


 梨湖はイラの言葉に息を呑む。やはり、あのときイュレは。それ以上考えてしまうと胸から押し寄せるものがあって首を横に振った。


「ああ、幻想世界であんなこと言ってるから勘違いしてるかもだから言っとく。世界がこんなことになってから、まだこの世界は一年しか経ってない」


 イラの言葉にヴォルファリュクスは目を見開いた。経過した時間が一年なわけがない。

 確か幻想世界で自分は四百年前に来たことになっていた。それはかつて自分が身を置いていた裏世界に、四百年前までいたから。その情報に偽りがないはずだ。そうすると、この情報がイラの言っていた偽りなのだろうかとロウは予測する。

 自分の記憶と、イラの言葉は一致しないものがいくつかある。間違った記憶。正しい記憶。

 全ての情報が渦巻いてヴォルファリュクスの頭を駆け巡っていく。


 どれが現実で、どれが夢だ。


 これは、本当に現実なのか。


「お前が何をしたいか教えてくれ。本当は何を望んでいるんだ、ロウィル」


 ヴォルファリュクスの言葉に答えるように聞き覚えのある幼い少女の小さな笑い声が頭に響いた。

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