世界中の××がいっぺんに
歩弥丸
果てを見渡す展望台
温泉宿に一泊して、でも取り敢えず二泊で宿を取ってはいるので。
「この辺りでおすすめの場所、あります? できれば公衆浴場以外で」
もう少しこの辺りを見て歩こうと思ったので、僕は女将さんに尋ねた。
「そうねえ……この時期なら、展望台なんてどうです?」
「展望台?」
「ええ。峠の下あたりで、山頭火だったか誰だったかが歌を詠んだっていうので、そこからの景色が見やすいように余分な木を切って、ちょっとした展望台を作ったんですよ。息子が皆に呼びかけて、行政にも補助金貰ったりしてね」
「そう、でしたか」
そういえば昨日見たニュースサイトにそんなことが書いてあった気はする。『山野温泉観光協会 歌枕展望台を整備』、若旦那の笑顔つき。山頭火とは書いてなかった気がするけど(そもそも山頭火なら歌じゃないような)。
温泉地から駅の方向に歩くと、駅と温泉地の間に峠がある。確かにそうだった――行きはコミュニティバスで来たから余り意識して無かった。
昨日思いつきで古本屋まで行って帰ってきたのだけど、坂が厳しい分この峠道の方がしんどい。いつの間にか路面がアスファルトじゃなくてコンクリートになってるし。ひょっとしたら線路が出来る前の時代はこっちがメインルートじゃ無かったのかもしれない。
見上げると、広葉樹が多くて、黄色や赤に色づいている。葉の隙間から色づいた光がこぼれる。昨日の露天風呂からも紅葉が見えたっけ。
歩いて20分ほどで『←歌枕展望台』と、道から外れるように指示する看板が眼に入った。そこからの道は、藪を切り開いて砂利を敷いただけの簡単なもの。多分若旦那と観光協会の手弁当で作ったんだろう。
砂利を踏んで歩くと、目的の展望台が眼に入った。一転してコンクリートで固められ金属の柵までついた真新しい展望台。その脇には何かの歌碑……もっとも、達筆すぎる草書で何を書いているのかはいまいちよく分からない。
展望台に立った。
なるほど絶景だ。山々は赤や黄色に色づき、下に渓流が流れてるので所々に滝も見える。葉っぱが散って枝だけになってる所もあるから、本当はもう一週間くらい早く来た方がもっと良かったんだろう。鳥の声。澄んだ空気。水の音。
まるでこのまま世界全部を、世界の果てまでも見渡せそうな。
そして足下は、切り立った崖で。
――切り立った崖?
『ほら飛び降りろよ』
『早くしろよ』
聞き覚えのある声がした気がした。急に脚が震えた。
――思い出した。
あの日、何もかもが辛くなって、逃げるように旅に出たんだ。
『お前に裂いてる時間なんて無いんだよ』
あの日、パワハラ上司は僕の横で冷たく言った。
『お詫びに回る』と言って僕を社用車に乗せて、わざわざ崖まで来たんだった。
『ほら飛び降りろよ。早くしろよ』
動悸がする。息が早くなる。
『お前みたいな××なんか社会のどこにも居場所は無いんだよ』
『詫びてないで×んでこいよ』
『また××したのか。本当に×えないヤツだな』
『ほんと×ってんなお前は』
『×××! ××!』
『このド××が』
『まだ××なの? ××ーい』
『×らねえんだよ』
『さっさと×えろよ』
『××××! ××××!』
『×んで償え!!』
世界中の罵詈雑言がいっぺんに頭の中で流れた、気がした。
上司の声だけじゃない。同僚、後輩、親、きょうだい、同級生、見知らぬ人。
いろいろな人のいろいろな声で頭の中はぐちゃぐちゃになって、空は急に薄暗くなってぐるぐる回り出して。脚はぐにゃぐにゃになって、もう地面に着いているのかどうかも分からない有様で。
「――――――――!!」
声が出たのかどうかも分からない。嫌だ。駄目だ。ここに居ちゃ駄目だ。早く逃げないと。でもどこに?
『どこにお前が居ようとも、ここが世界の果てだ』
誰かが言った気がした。
はっと眼を開く。青い空。紅葉。
そして、僕が寄りかかっていた柵の真下には、どこまでも深い谷底。
「――やっぱ、高いところは怖いわ」
ふらふらになりながら、僕は展望台を後にした。
写真くらいは撮っておけば良かった、とは後になって思ったのだけど。
世界中の××がいっぺんに 歩弥丸 @hmmr03
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