後編

「とりあえず中へ入りませんか? まだ修繕の途中でお見苦しい状態ですけど」

「あ、ああ」


 頷くヴィクターが、他にも誰かいるのかとキョロキョロするので、思わずふふっと笑ってしまう。まさかメリーベル一人で、家を修繕しているとは思わなかったのだろう。ギルの淹れてくれた茶を一緒に飲みつつそれを伝えると、目を真ん丸にして驚く彼がなんだか可愛く見えて、今度こそクスクス笑ってしまった。


「ぼくもさっき着いたばっかりなんですよ。ロブソンの旦那様も一緒に見学しませんか? 面白いですよ」


 目をキラキラさせながら誘うギルに慌てるものの、ヴィクターは快諾し、ボロ屋敷見学ツアーとなってしまった。その上彼はギルとすっかり意気投合したらしく、なぜか我が家で夕食まで食べていくなんて誰が予想しただろう。


「メルは菓子作りだけでなく、料理もできたんだな」


 メリーベルの作った庶民的な料理を、ギルと競うかのように大量にがっつり平らげるヴィクターに、嬉しいやら申し訳ないやら複雑な気持ちになる。


(結局彼は、何をしにいらしたのかしら?)


   ◆


 ヴィクターがこの屋敷を訪れてから一ヶ月。


 ギルにとってヴィクターは、姉の雇い主として以前少し挨拶を交わしたことがある程度の相手だ。年齢もずいぶん離れている。

 そんな二人が今日も張り切って修繕に勤しむのを見て、メリーベルはこてんと首を傾げた。


(男の人って、大工仕事が好きなのかしら?)


 休暇期間のギルはともかく、常に忙しかったはずのヴィクターがなぜか毎週末訪れ、修繕の手伝いをしていくのだ。平日でも時間が出来たからと、ふらりと立ち寄ることさえある。


 正直なところ、男手があるのはとても助かる。

 壁にペンキを塗りなおしたり、壊れかけていた家具やドアを直したり。手の届かない場所や力がいるところも多くて一人で四苦八苦していたことが、見る見るうちに片付いていく。なかなか手を付けられなかった主寝室でさえ、がらくたが片付きすっきりし、今は家具を磨いてベッドを入れ替えれば完成と言うところまで来ていた。


(今はギルのことが気に入って、ここに通ってらっしゃる――ということでいいのかしら?)


 今もこっそり、窓の下あたりで作業をしているヴィクターを見つめていると、袖をまくった腕や、額の汗をぬぐう姿につい見とれてしまう。するとふいに彼がこちらを見上げるのでドキッとし、次いで見せた笑顔に心臓が止まりそうになった。


「メル! これが終わったらギルと町に買い出しに行こうって話してるんだ。青いペンキがもう二缶必要そうでね。君も一緒に行かないか」

「あ、はい。ありがとうございます」


 ドギマギしているせいで、ちゃんとした返事が出来ているのか怪しい。なぜかギルの生暖かい視線に戸惑うけれど、町に行くならついでの買い物もさせてもらおうと、急いでメモを書くことにした。


 彼と二人で会話をすることは全くと言っていいほどないし、未だに大事な話がなんだか分からないままだが、あまりにも平穏な毎日が楽しくて、なんとなくそのままにしていた。


 あと二週間でギルが学校に戻る。

 そうしたら女性の一人暮らしの家に、ヴィクターが訪れることはないのだから。


   ◆


 ギルが学校へ戻る二日前、家のおおまかな修繕が終わった。

 例の主寝室などの細かいところはおいおい直していくとしても、住むのに支障はないし、何ならギルが次回、友人を泊めるために連れて来ても大丈夫なくらいだ。


 そしてギルが学校へ戻る日――――。



「ヴィクター様、すみません」


 憧れの車でのドライブに大興奮だったギルが寮内に入るのを見届けた後、メリーベルはヴィクターに深々と頭を下げた。

 なぜか弟はヴィクターに車で送ってもらう約束をしていて、メリーベルも同乗することになってしまったのだ。


「いや。俺も楽しかったし」


 ヴィクターのはにかんだ笑みにドギマギする。

 帰りは助手席に座ることになったが、運転する彼の横顔を見るだけで胸が苦しくて仕方がなかった。

 家につけば、これで本当にさよならだろう。

 ギルが寮に入る前に二人で何やらコソコソ話していたから、また帰省の折には遊びに来てくれるかもしれないけれど。あまり期待してはいけない。


 最後の時間を精一杯楽しもう。

 そう決めて流れる景色を見ていると、ふと既視感に襲われた。


「少し休憩しようか」


 ヴィクターが休憩に選んだ場所。

 それはメリーベルが幼い頃、母と養父と共に住んでいた小さな町だった。のどかな田園風景。川のほとりにある町の中央広場には市が立つ。

 昔、養父がメリーベルの目の前で母に求婚し、ギルが生まれてすぐの頃まで住んでいた、思い出の詰まった町だった。


 「懐かしい」と呟いたメリーベルの言葉に、ヴィクターがふんわりと微笑む。なぜか手を引かれて商店街をひやかして歩き、川を見下ろす土手まで来ると、ヴィクターは突然メリーベルの前で跪いた。

 それは過去に見た思い出を再現しているようで、メリーベルの心臓が大きく胸を叩いた。

 まさかと思う。でもメリーベルを見上げるヴィクターの真摯な瞳に魅せられていると、彼はポケットから出した小箱を開けて見せた。


「メリーベル。君を一生守りたい。どうかこの求婚を受けてくれないか」


 それはかつて見た養父と同じ求婚の風景にそっくりだった。これは偶然?


「どうして……」


 思わずそう呟くと、彼は困ったように眉を下げてゆっくりと立ち上がった。


「メル。契約ではなく、君と本物の夫婦になりたいんだ。ダメかい?」


 思い出の再現のような求婚に混乱する。

 こんなのありえない。

 頭ではわかっているのに、彼が差し出す箱の中に収まった指輪から目が離せなかった。


 それは、彼の妻だという証。

 そして同時に契約の印だったもの。

 三年間自分の体の一部のように思い出を共有した私の指輪だ。


「どうして?」


 もう一度呟くと、息を詰めていたヴィクターがふーっと息を吐き出した。


「メリーベルのことが好きだから」


 少しだけぶっきらぼうになった彼の声に目をあげると、ヴィクターが真っ赤になってそっぽを向いた。

 旦那さまらしくないと思うと同時に、既視感に襲われる。


「おにいちゃん?」


 無意識にこぼれた自分の声に驚いて、メリーベルがハッと口元を押さえると、ヴィクターも驚いたように振り返った。


「メル、思い出したのかい?」

「えっ?」


 両肩を掴まれ間近でヴィクターに見つめられたメリーベルは、ふいに子供の頃のことを思い出した。


 母と二人で暮らしていた頃、大好きだった男の子がいた。時々しか会えなかったけれど、優しくて大好きでたまらなかった年上の男の子。

 新しい父ができるかもしれない不安を聞いてくれたのも彼で、一緒に母が求婚される所も見た。一緒に泣いたり怒ったり笑ったりしてくれた、名前も覚えていない初恋の人。


(まさか…まさかまさか)


「メル、お父さんみたいな求婚をされるのが夢だって言ってただろう?」


 その一言で、まさかの思いが確信に変わる。


「ヴィクター様、だったんですか?」

「うん。プロポーズが遅くなってごめんね」



 ヴィクターは幼い頃、家庭の事情で叔父のところで暮らしていたという。両親と突然離れて暮らし、偏屈で無口な叔父と暮らすのは息苦しい。

 そんな時に出会ったのが幼かったメリーベルだった。


「まさか、本当に初恋の女の子だとは思ってなかったんだ」


 メリーベルが庶民だと言うことは知っていたから、もう会えないと諦めていたという。

 初恋の子に似てると思っても、上流階級の言葉を完璧に話すメリーベルとは別人だと思っていたと。

 それでも惹かれた。

 最初は似ているからだと思っていたけれど、だんだん初恋の子に似てるからではなく、メリーベルだから好きなのだと認めざるを得なくなった。


「だから契約が終わったら、正式に求婚しようと思ってたんだ」


 なのに、メリーベルは彼の帰りを待っていなかった。

 彼女も自分のことを憎からず思っているのではという希望が打ち砕かれ、しばらく落ち込んでいたが、当たって砕ける気でメリーベルの元を訪れたという。


「この一ヶ月、ギルと話してたことがきっかけで、君こそが、あの女の子だと気づいたんだ」


 ギルとプロポーズの相談までしていたと言われ、さっき素知らぬフリで別れた弟の顔を思い出す。

 この小旅行は弟の企みだったのだと気づき、頬がカーッと熱くなった。

 隠していたつもりの気持ちは、弟にバレバレだったのだ!


(恥ずかしい)



「ねえ、メル。俺の本当の妻になってくれないか? みんな、君を待っているんだ」


 彼に望まれたことが嬉しい。

 同時に、待っていてくれる人がたくさんいるという事実に胸が震えた。


「私で、いいんですか?」

「メルがいい」


 真剣な眼差しが、かろうじて保っていた心の壁を打ち砕く。

 拒む理由なんてどこにもなかった。


「私もヴィクター様がいいです!」


 そう言って、あの日の母のように求婚者に飛びついたメリーベルを、ヴィクターがしっかりと抱きしめてくるっと一回転する。


「愛してる」


 どちらからともなく告げ、ふたりは初めての口づけを交わした。


fin

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契約結婚は終了しました 相内充希 @mituki_aiuchi

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