哀しきベビーシッター

杜村

ワンルームの部屋で

 正社員としてそれなりの収入があって、産休や育休に理解のある環境だったから、結婚せずに子どもを産むという選択ができた。

 相手の男? 妊娠を告げた時に困った顔をされたから、こっちから捨ててやった。

 それでも両親には縁を切ると言われたし、職場復帰をしてからはなかなかにきつい。認可外でも民間保育園に滑り込めたのは運が良かったけれど、その時間外に誰かの手を借りたい時もある。

 だから今日、初めてベビーシッターを頼んだ。

 他人を留守宅にあげることには抵抗があり、かなり悩んだけれど、ネットの口コミが良かったので思い切ったのだ。

 そこの事務所で一番人気のシッターさんは予約済みだったので諦めたが、やって来たのは清潔そうな若い男性で、とても良い匂いがした。息子も機嫌良く抱っこされている。

「最近、よく走り回るんですが、下の家に申し訳ないので気をつけてやってください」

「わかりました。他のことで気を紛らわせるようにしますね」

 爽やかな笑顔に引き寄せられるように、こちらも笑顔になった。

「じゃあ、行って来ます」

「行ってらっしゃーい」

 息子の小さな手を握って、一緒にバイバイと見送られた時はほっこりした。


 けれども。


 2時間ほどで帰宅すると、玄関に入ったなり甘い匂いが立ち込めていることに気付いた。狭いマンションなので、すぐそこのキッチンの床に、泡立て器が突っ込まれたボウルが置いてあるのが見えた。

「あらー、おやつでも作ってたのかな? 汚しちゃいましたか?」

 声をかけると、息子がダダダと駆け寄ってきた。

「ただいまー。お兄ちゃんは、どこかなー?」

「だー、だー!」

 息子は機嫌良く部屋の奥を指差す。その口元や両手に、プリンがべったり付いている。

「あらあら、プリンを作ってもらったの? さすが、プリンマンだねえ」


 部屋に上がるって少し進むと、床の上に倒れ込んだ両足が見えた。靴下は白。

 慌てて駆け寄ると、首から上が無い。代わりに、透明な容器がくったりと潰れかけて転がっていた。

 床のボウルの中には、ぐっちゃぐちゃに混ぜられたプリン。カラメル部分も雑に混ざり込んでいる。


 私はため息をついて、すぐに電話をかけた。


「本日、プリンマンさんに来ていただいた柏木です。ええ、息子はなかなかに活動的で、力もある方だと言いましたよね? ええ、ええ。そうです。完全にぐっちゃぐちゃです。パン系のシッターさんが残っていらっしゃらないのは承知していましたけど。はい。いや、昔ながらのしっかりしたタイプの方だと思ったんですが。最近流行りのとろとろ系は、いくらなんでも、ねえ。器も赤ん坊相手にしては、柔らかすぎたようですし」


 事務所の代表がすぐにやって来て、平謝りに謝った上で、プリンマンの体を回収し、返金してくれた。


「今後は、プリンパンマンとしてリニューアルすることにします。ご迷惑おかけしました」


 部屋の中にはバニラと卵の香りが長く漂っていた。

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哀しきベビーシッター 杜村 @koe-da

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