春の兆し

篠原 皐月

ぬかるみさえも、貴重で愛しい体験

「晴れたね」

「はれたねー」

「溶けたね」

「とけたねー」

「あれだけ残ってるね」

「いく! あそぶ!」

 珍しく雪が降り、五センチほど積もったのが一昨日。その日は朝から、三歳の健が室内で狂喜乱舞していた。


 北国育ちの有希にしてみれば積もったというには疑問が残る降り方ではあったが、生まれて初めてまとまった雪を目の当たりにした健のテンションは、その日一日中高かった。その結果、降った翌日の昨日、有希はささやかな自宅敷地内と道路に降り積もった綺麗な雪をかき集め、朝から雪だるまと雪うさぎと、どうやってかまくらの事を知ったのか、ねだられて雪うさぎ用のかまくらを作っていた。


「よし! いくぞ、ドーン!」

「ぎゃあぁぁ、やられたぁぁぁぁ」

「グシャーン!」

「ひぃいぃぃぃ、おたすけぇぇぇ」

 昨日に続き温かい日差しが降り注ぎ、アスファルトの雪は完全に消失していた。残っているのは、人の出入りに邪魔にならないように花壇に設置した、雪だるまと雪うさぎ入りのかまくらだけである。とことん最後まで雪で遊ぶつもり満々の健は、迷わず玄関で長靴を履いて一直線に花壇に向かった。そして微塵も躊躇わず、自分の身体よりも小さい雪だるまを、掛け声と共に豪快に地面に押し倒す。そして笑顔のまま、ぐしゃりと足で潰れる雪の感触を楽しんでいた。

 気分は悪を懲らしめるヒーローなのかなぁと思いつつ、有希が雪だるまの声を充てた。そしてさほど時間を要さずに雪の塊は綺麗に潰れ、土と混ざってぐちゃぐちゃになる。長靴は勿論、泥跳ねがズボンやシャツにもついていたが既に息子のやんちゃぶりを知り抜いている有希は(洗濯するか)くらいの感想しか抱かなかった。


「おわったー! ぐちゃぐちゃー! またふる?」

「また冬になって寒くなったら降るかもね」

 ぬかるむ土にすら感激している健を見て、有希は苦笑しながら答えた。

 本格的な春は、もうそこまできている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春の兆し 篠原 皐月 @satsuki-s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ