ターセエグリスの死に損ない


 夕食前に用を済ませてくると言って、イヴァリオは一人、英雄の館の中を歩いていた。


 幼い頃訪れたこの場所は、記憶にあるままほとんど変わりのないように見える。壁のあちこちには、狩で仕留めた鹿の頭が蹄鉄をモチーフにした壁飾りと一緒に飾られており、カーテンや絨毯は緑で統一されている。木造で、温かみのあるこの館は、アーナガルムの石造りの暗い城と随分雰囲気が違っていたので、イヴァリオは小さい頃からこの館が気に入っていた。


 幼い頃の記憶を辿って廊下を進んでいくと、見覚えのある緑色の扉が見えてくる。扉の横の柱には、小さい頃のイヴァリオとギレマールが悪戯で彫った下手くそな絵がそのまま残っていた。


「ギレマール、いるのか?」


 ノックを二回、部屋の中に気配を感じてイヴァリオは扉を開いた。


 部屋の中はうす暗かった。カーテンは全て閉め切られ、暗闇の中で紫色の不気味な光があちこちにぼんやりと灯っている。発光していたのは瓶詰めにされた魔物の身体の一部で、机の上にはその瓶と、なにかの実験中だったのか、試験管とシャーレがおいてある。正直、趣味が良いとは言えない部屋だ。


「イヴァリオか」


 部屋の奥にいたのは幼馴染であるギレマールだった。研究用の大きなゴーグルをつけて試験管を手に持ち、こちらを向いている。


「久しぶりだな、ギレマール。魔物の研究に熱心だとは聞いていたが……随分とすごい部屋じゃないか」

「……まぁな、気づいたらこうなってた。お前は随分デカくなったな、昔は泣き虫のチビだったくせに」

「成長したからな。もう、あの頃の僕とは違う」

「……そうだな」


 ギレマールは口元で小さく笑うと、再び手に持っていた試験管に視線を向けた。


 おそらく会うのは10年ぶりくらいだろうか。

 ギレマールは幼い頃に比べて随分印象が変わっていた。小さい頃はもっと明るく活発で、陽気な性格だったように記憶しているが、今、目の前にいる彼は長い前髪のせいもあるのかもしれないが、猫背で表情が暗く、大人しかった。

 会話が途切れ、お互い無言になる。あまり歓迎されていない雰囲気を感じ取り、少々居心地が悪い。次になんと言葉をかけようかと考えあぐねていると、ギレマールが口火を切った。


「魔物について、聞きにきたんだろう?」

「あ……そう、そうなんだ。今、君は魔物についてだいぶ詳しいと聞いたから、何かわからないかと思って」


 イヴァリオは手に持っていた麻袋を机の上に置いた。


「今回襲撃してきた魔物の腕の部分だ。何か調べられないかと思って持ってきたんだが……」


 先ほどスキルヴィルに採取させたものだ。ギレマールは麻袋の中身を覗き込むと、顔を少し顰めた後に「もらっておこう」と小さく言い、中身の腕を取り出して机の上にあった巨大な瓶の中に入れた。


「詳しく調べて何かわかったら連絡する」

「ありがとう。ホリンの話だと、随分と知恵をつけてるみたいで、魔物が進化したんじゃないかって言うんだ」

「まぁ、ありえない話ではないだろうな」

「本当に?でもどうして急に……」

「イヴァリオ、そもそも、魔物の発生源はなにか知っているか?」


 ギレマールはかけていたゴーグルを外した。ファーガスやホリンと同じ翠色の瞳があらわになる。


「発生源?いや……知らないな。奴らは南方のどこかからやってくるとしか」

「混沌だ。神話にある通り、混沌はこの世界の周りを覆っている。そしてその混沌に負の力が加わる事によって魔物が生み出される。生み出された魔物は混沌からこの世界へたどり着き、南から俺達を襲いにやってくる。おそらく、混沌への入り口のようなものが南にあるんだろう」


 ギレマールは机の上に古びた羊皮紙を広げた。黄ばんで文字は掠れ、ところどころ穴が開いたり、裂けているところもある。よく見てみると、はるか昔の文書の様だった。文字は現在使われているシュヴェスタルの文字ではない。イヴァリオには内容がさっぱりわからなかった。


「負の力、例えば人間の嘆きや悲しみ、怒りが生まれると、混沌がそれを吸収し、魔物が生まれる。つまり、強い魔物が生まれたということは、強い負のエネルギーがこの世界のどこかで発生したということだ。問題はそれがどこで、なぜ発生したかということだが……」


 ギレマールは渋い顔をして黙り込んだ。イヴァリオがただの推測でも良いから聞かせてくれとせがむと、おもむろに口を開く。


「今回の襲撃の前、最近起きた出来事といえば救世主召喚くらいだ。召喚魔術には莫大な魔力を必要とする。でも鷲の民に召喚魔術を行うほどの魔力がないなんて誰でも知っていることだ。それではアイツらは、一体どうやってその魔力を手に入れたんだ?」


 確かにそれはイヴァリオも気になっていた事だった。

 召喚魔術は古代魔法の一種だ。膨大な魔力が必要な為、人間の持っている魔力では足りず、精霊の力がなければ成立しない。しかし精霊の存在が薄れつつある今ではほとんど不可能で、もはやただの伝説と化している。


「はじめは、アドラー家の末息子がまた馬鹿なことを吹聴してるのかと思った。適当な人間を連れてきて救世主を名乗らせてるんだとな。でも、そうじゃなかった。あのカズキって奴は、本当に別の世界から召喚された人間だ。召喚が事実ならば、それに伴う莫大な魔力が生み出され、消費されたはず。強力な魔力ならば、確実にこの世界に何らかの影響を及ぼしているはずなんだ。だから俺は、救世主の召喚が今回の事になんらかの形で関連しているんじゃないかと思ってる」

「魔物を倒すための救世主を呼んだのに、それが事態を悪化させたかもしれないと?」

「俺の想像が正しければ、そういうことだ」

「それが本当ならなんとも間抜けな話だな」


 イヴァリオは大きくため息をついた。


「今回の魔物の発生原因がわかれば、何か掴めるかもしれないぞ。俺だったら、まずアドラー家を調べる」

「そうか……アドバイスをありがとう。また何かわかれば教えて欲しい」


 イヴァリオが礼を言うと、ギレマールは机に向き直り、先ほど受け取った魔物の腕をルーペを手に取ってじっくりと観察し始めた。

 夕食の時間まであと少し、そろそろ広間へ向かわなければいけないが、ギレマールが動く様子はない。


「君は行かないのか?」

「俺は後で食べる」


 そう答えた背中からは拒絶の意思が見てとれた。

 先程のギレマールとホリン、ゲアラハのやり取りを思い出し、どうしても気になった事を尋ねてみる。


「一体、君達になにがあったんだ?さっきの君と母君、それにホリンも……昔はあんな風じゃなかったじゃないか」


 イヴァリオの知っている限りでは、ターセエグリス家は仲が良い家族だった。幼い頃はイヴァリオもよく三人と一緒に遊んでいたし、母のゲアラハも、ギレマールの事を可愛がっていたはずだ。


「……色々あったんだ」

「ターセエグリスの死に損ないって何のことだ?君に何があったんだ?」


 ギレマールの動きがぴたりと止まった。イヴァリオの方にくるりと向きを変えると、右手の手袋をおもむろに外し始める。手袋を外し、手のひらを開いてイヴァリオを見せた。ギレマールの右手は歪な形をしていて、よく見ると親指がなかった。


「ある意味、お前のせいかもな」

「えっ?」

「いや、俺が騎士への入団を拒否したんだ」

「なっ……」


 だからターセエグリスの死に損ないだ、と自嘲気味にギレマールは笑った。

 戦士としての死を至上の喜びと考えるコルディールの馬の民、しかもターセエグリス家の息子が騎士団に入団しないというのは前代未聞の事であり、それがいかにありえない事なのか、それはイヴァリオにも理解できた。


「母上は卒倒していたな。どうにかして俺に考え直させて、騎士団に入れようとしたみたいだったが、俺が親指を切り落としたら諦めたみたいでな。ホリンは、それ以来俺の事を軽蔑して、あの通りさ。兄上は……心配してくれているが、本心のところはよくわからないな」


 ギレマールの親指は、付け根のところから先がすっかり無くなっていた。親指があったはずの付け根は、傷はふさがり、肉が盛り上がって歪な形をしている。


「でも、なんでそんな事を」

「俺にとって死はもう栄誉じゃなくなったってことだ。俺は戦いたくないし、死にたくもない。小さい頃は英雄に憧れてた。父上と同じ、戦場で華々しく散る英雄になって俺の名を歴史に刻んでやるって、確かに思ってたんだ。でもある日、騎士団に入る前のことだ。魔物に襲われて俺は死にかけた。恐ろしかったよ。痛くて辛くて、真っ赤な血が自分の肩からダラダラと流れてた。その日がきっかけだったのかもしれないが、俺はもう騎士として死ぬことに喜びを感じられないと思った。英雄としての死に意味を見出せなくなった。それで騎士団に入りたくないって言ったら、母上は泣いて、俺がおかしくなったと思ったみたいだった。カウンセリングを受けさせられたりもしたが逆効果、騎士団に入らなかった俺の噂はたちまち広がって、今や一族の汚点扱いだ」


ギレマールは歪に笑った。まるで泣いているようにも見える。


「でも、死にたくないと思うのは普通の感覚じゃないか。君は何も悪くない。騎士団に入らずに魔物の研究をするのだって、君の自由だ。誰にも責めることなんてできない」

「俺だって、別に自分が悪いなんて思ってない。他の場所では、死にたがりの馬の民の考え方のほうがよっぽど異常だっていうのも理解してる。でも、俺はここに生まれた。俺の家族はここで生きてる。コルディールから出ていくのは簡単だ、でも出ていって、もう二度と故郷に帰れなくなるのが怖い。一族の恥である俺なんて、あっという間に居場所がなくなるだろう。どんなに嫌われていても、俺は家族が大事だ。そうなったら、何を言われようと俺はここで生きていくしかないだろ」


 ギレマールの言っていることはイヴァリオにもよくわかる。故郷や家族は、イヴァリオにとっても大事なものだ。それは決して捨てる事はできない。しかし今は、それがギレマールの枷となり、呪いとなっているようにも思えた。


「なぜ俺だけが、皆と違うんだろう。あのままみんなと同じように騎士団に入って無邪気に死ねていたら、死が怖いなんて知らなければ、そのほうが楽だったのかもしれないって、たまに思うんだ」


 イヴァリオは言葉を失い、何も言葉をかけることができなかった。

 ギレマールはずっとこんな風に、一人で自分を責め続けながら生きてきたのだろうか。人と違う考え方を持つばかりに周りに馴染めず、罵られる日々をずっと送ってきたのというのか。

 そう考えると、胸が締め付けられる様に苦しい。


「湿っぽい話をして悪かったな。今のところ俺は平気さ、館から追い出されているわけでもないし。お前はあまり気にするなよ」


 ギレマールに促され、イヴァリオは納得がいかない気持ちで部屋の外へでた。

 コルディールの馬の民の伝統的価値観を否定する権利はイヴァリオにはないのだ。だからこそ歯がゆく、もやもやとした気持ちになる。


「イヴァリオ様、そろそろ広間の方へ。晩餐会の準備が整ったようです……どうかなさいましたか?」


 部屋から出てきたイヴァリオの顔を見て、レヴェッキオが少し驚いたように声をかけた。どうやら、ずいぶんと怖い表情をしていたらしい。


「いや、なんでもない。行こうか」


 しかし、今イヴァリオにできる事は何もない。仕方なしに頭を切り替えて、廊下を進み出した。晩餐会では一輝やユピテルと顔を合わせなければならないのだ。隙を見せるわけにはいかなかった。

 

 

 

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誰が為の救世主 茶々丸 @beansmameko

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