幼きギレマール

「勇敢な死なんて、ちっともえらくない。家族を残して死ぬなんて馬鹿のすることだ」

 

 八歳の子供としては随分と似つかわしくない言葉を憎々しげに吐き出したイヴァリオの横顔を、ギレマールはきょとんとした表情で見つめた。

 

 二人が立っている丘の下では、魔物に立ち向かった末に亡くなった騎士の葬儀が行われている。

 斜面には彼の墓碑がたてられ、その周りには沢山の花と馬の蹄鉄が飾られていた。人々は笑顔で拍手を送り、歌を歌い、勇敢な騎士の死地への門出を祝っている。しかし、その様子を見ていたイヴァリオは目に涙を浮かべて、雫が今にもこぼれ落ちそうだった。

身体をぶるぶると震わせて、その小さな体に詰まった沢山の感情が溢れてしまうのを必死に抑えているかのようにも見える。ギレマールは、イヴァリオの言った事の意味がわからず、手に持ったリンゴをサクリと齧った。口の中で爽やかな酸味が広がる。青空の下、喜びの歌が聞こえる中で、イヴァリオだけが異質だった。

 

「死ぬことが名誉だなんて言うのは、残された人のことを考えてないからだ。自分のことばかりで、自分さえ良ければいいから、そんな考え方になるんだ」

 

 イヴァリオは全ての言葉に濁点がついているような声で、ほとんど泣いているようだった。

 リンゴをすっかり芯まで食べ尽くして、ギレマールは「そういうものなのか」と初めて出会った価値観を新鮮に受け止めていた。

 自分の故郷であるコルディールでは、そんな事を思う人はきっと一人もいないだろう。

 少なくとも、ギレマールの周りの皆は、小さい頃から辺境に赴く騎士団に憧れ、遊びをする時はもっぱら騎士団ごっこだった。手には剣の代わりに木の枝を持ち、シーツをマント代わりにして、勇敢な最期を演じるのはお気に入りの遊びの一つだ。

 ギレマールは「わたしは戦場ではなばなしく散ってみせよう!おぉ、精霊よ、われのたましいを天空のきゅうでんへみちびきたまえ!アスランにむかえいれられた時、わたしは真のこうふくをえるのだ!」と本で読んだ騎士の台詞を何度も誦じて、白銀に輝く甲冑を身につけ、馬に乗って黄金の槍を構える自分の姿を何度も想像して遊んでいた。

 ギレマールやコルディールの馬の民にとって、死とはだったから、イヴァリオの言っている事の意味はギレマールにはよくわからなかった。狼の民は自分達、馬の民と随分考える事が違うのだなぁと、興味が湧き、そしてふと、思った事を口に出した。


「じゃあ、ぼくの父上もそうだったの?」


 ギレマールがイヴァリオに尋ねると、イヴァリオはしまったと、気まずそうな表情をして見せた。


 ギレマールの父は、ギレマールが小さい頃に魔物との戦いの中で亡くなった。砦を破壊しようとするおびただしい数の魔物の群れの中に、先陣を切って突っ込んで華々しく散った。そのおかげで絶体絶命だったレグルス王率いる軍隊は魔物を倒すことができ、ルセの町は魔物の被害を受けずに済んだ。死んだ父は魔物狩りのディアンとして人々の記憶に刻まれ、英雄になった。

 その父も、イヴァリオからすれば馬鹿な人間の一人なのだろうか。母は父を誇りに思い、兄やギレマールに「お父様のようになりなさい」と、息子達を立派な騎士にする為の教育への投資を惜しまないが、それは間違いなのだろうか。

 イヴァリオは、唇を噛んで答えなかった。

 ギレマールが「ねぇ」と声をかけると、そこでやっと、小さな声で「ごめん」と呟いた。


「違うよ、あやまってほしいわけじゃないんだ。どうして、イヴァリオはそんな風に思うの」


 ギレマールは、責めているわけではなかった。

 純粋に、イヴァリオがなぜそんなふうに考えるのか、自分や母達と、なぜここまで考えが違うのかを問いたかっただけだった。


「だって、さびしいじゃないか」

「さびしい?」

「ずっとそばにいた人が、いきなり会えなくなる。声もききけなくなって、顔もみれなくなる。僕は姉上や母上ともっとたくさん話したいことも、やりたいこともあったのに、いきなりいなくなってしまわれた」


 イヴァリオの目から涙が零れ落ちた。その姿を見て、ギレマールの胸には針で突かれたような痛みがはしり、痛みの正体がわからなくて思わず胸元に手をやった。


「みんな、ぼくがいるのに、ぼくを置いて行った。ぼくはこんなにさびしいのに、辛いのに。ぼくがこんなに悲しむってわからなかったのか。どうして一緒に生きようと思ってくれなかったのか、みんな、きっと僕が大事じゃなかったんだ」


 イヴァリオは早口でそこまで言うと、うわぁんと泣きじゃくり始めた。いつもは大人しく、利口そうな顔ですましているイヴァリオがこんな風に泣くのは本当に珍しい事で、ふと気づけば、ギレマールは泣きじゃくるイヴァリオを抱きしめていた。いつも自分が母親にやってもらっているのを思い出しながら、背中をさすり、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と囁いてやる。


「死んだらさびしい、なのにそんなこともわからない奴はバカだ、大バカだ。良いことなんて一つもないんだ」


 イヴァリオの涙で、ギレマールの肩はぐしょぐしょに濡れてしまっていた。それでも、ギレマールはイヴァリオが泣き止むまで、しばらくそのまま肩を貸してやった。いままでずっと、悲しみにひたる時間がなかったのだろう。いきなり家族を亡くし、フルーヴァング家の当主というあまりにも重すぎる役割だけが残され、アーナガルムの地と民の命を背負う事になってしまったイヴァリオにそんな暇はなかったに違いない。

 自分の中の価値観を覆されるというのは、ひどく奇妙な気分だった。新しい世界が目の前に開けたような高揚を感じながら、同時に見たくないものを見つけてしまったような恐怖もある。

 今まで、母の言葉に疑いを持ったことなどなかった。戦士としての死は誇りであり、敵を倒すこともできずに生き延びるのは何よりの恥辱だと教えられてきた。父のように戦士として華々しく散ることはギレマールにとって夢で、おとぎ話のようにふわふわとしたものだったから、人が死ぬという事は、この世からその人がいなくなってしまうこと、二度と顔を見ることもできず、声も聞くことができないことなのだと現実的に考えたのは初めてだったかもしれない。


「でもさ、死んだら天空の宮殿に行けるんだよ。それでまた、魂はこの地に戻ってくる。それでも僕が死んだら悲しい?」

「そんなの関係ない。死は死でしかないんだ」

「……そっかぁ」


 自分が死んだら、この小さな友人は悲しむと言う。しかし、きっと自分がいつまでも戦いに身を置くことなく生き延びれば、母や兄は、それは意気地無しのする事だと責めるに違いない。ギレマール自身も、戦いを避け、生き恥を晒すような人生は遠慮願いたかったので、正直、この先どうすればいいのかわからなかった。

 ギレマールはそのまましばらくイヴァリオの背中を撫でてやることしかできなかった。

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