家族の確執

 セイクリッド山脈の麓、春は花が咲き乱れ、夏は高地の為涼しく過ごしやすいこの場所をルセの町と言い、森の奥にはターセエグリス家の館がある。

 ルセの町の目の前には馬が走り回るには最適な平原が広がっており、ここは、昔から野生の馬が生息する場所だった。


 ターセエグリス家がこのコルディールの地で馬の民をまとめる立場となったのは、この野生馬の存在が大きい。

 気性の荒い野生の馬を調教し、そしてそれを乗りこなすことのできる騎士の育成を可能とした彼等は、騎馬隊を結成した。どんな土地でも素早く行動することのできる最強の騎馬隊は瞬く間にシュヴェスタル中に知れ渡り、先の大戦――いわゆる魔物大戦において、押し寄せる魔物を一網打尽にするという素晴らしい働きを果たした。

 この輝かしい功績のおかげで、しがない辺境の地の領主でしかなかった彼等は、王に忠誠を誓う騎士団の一つとして認められ、馬の民をまとめ上げる一族として不動の地位を手にした。その時に騎士団隊長を務めていたのが、ファーガス、ギレマール、ホリンの曽祖父であり、一族はそれからずっと騎士団の隊長として君臨している。

 ターエグリス家の率いる騎士団は、今は主に辺境、つまり、魔物がやってくる南の大陸との境目に辺境騎士団として常駐していた。

 本来ならば誰も担当したがらないような場所で、嬉々としてその役目を買って出たのは、その場所が最も栄誉に近いからに他ならない。


「僕は死に損なったんだ!放っておいてくれ!」


 イヴァリオ達がターセエグリス家の英雄の館に辿り着き、見舞いとしてホリンの部屋を訪れると、怒声と共にガラスが割れたような音が聞こえた。

 ベッドの上には包帯をあちこちに巻かれ、痛々しい様子のホリンが寝ており、その周りには割れた皿が落ちて、パンとスープが床にぶちまけられている。

 ベッドの側に立っている女性はどことなくホリンと面立ちが似ていた。緑色の細身のドレスを身に纏い、白髪交じりの茶色い髪を編み込んで垂らしている。ホリンの母親のゲアラハだ。暴れつづけるホリンに手がつけられず、すっかり困っている様子だった。


「ホリン、落ち着きなさい」

「僕はこれ以上、母上に恥を晒したくないんだ!敵に敗れ、名誉の死すら叶わなかった息子を哀れと思って下さるなら、今すぐ出ていってください!」

「次こそは必ず貴方にも名誉の死が訪れますとも。まずは怪我を治すことを第一に考えなければいけないのに、何も食べてないではないですか。今は泣いている場合ではないのですよ」


 ホリンは涙を流しながらベッドの横にあった花瓶を床に叩き落とした。花瓶が割れ、イヴァリオめがけて飛んできた破片をレヴェッキオが素早く掴む。

 見かけはすっかり大人になったと思ったが、癇癪をおこして騒ぐ様は幼い頃とあまり変わっていないようだ。しかしこれでは、彼から詳しい話を聞く為にあと数日は待たなければいけなさそうである。イヴァリオにそこまで猶予は無い。


「母上の言う通りだ、ホリン」


 なす術もなく立ち止まっていたイヴァリオ達の背後から突然声がしたかと思うと、そこにはファーガスが立っていた。

 

「兄上……」

「今は怪我を治す事が先だ。こんな事で駄々を捏ねていては、次の戦いに臨めない。それこそ騎士として恥ずべき事だ」

「……ですが、僕は完膚なきまでに負けたのです。砦は壊され、さらに敵を取り逃がすなど騎士失格です。僕は、兄上のように有能ではありません。きっと次もうまく戦えない……」 


 ホリンは涙ぐみながら、まるでこの世の終わりだとでもいうような情けない声で呟く。


「何を言う。お前は私の弟で、勇気ある誇り高きターセエグリス家の男だ。今回の事は、天が、今はその時ではないと思われたのだろう。努力を重ねていれば、いつかお前も必ず名誉ある死を迎え、その魂はアスランの御許みもとへ迎え入れられるはずだ。こんなところで挫けるな。私はお前を誇りに思っているのだから」

「兄上……」


 ファーガスがホリンを強く抱きしめると、ホリンは堪えきれなくなったのか、嗚咽しながら泣き始めた。

 幼い子供のように泣きじゃくるホリンをファーガスはしっかりと抱きしめ、「お前ならきっと勇敢に死ねる」とその頭を撫でている。母親のゲアラハはその光景を後ろから涙を浮かべ、笑顔で見守っていた。

 

 ――いびつな光景だ、とイヴァリオは思った。

 

 ファーガスは間違いなくホリンを愛している。母親のゲアラハもそうだろう。

 しかし、その愛する家族に死を願う彼らの言動を、イヴァリオはどうしても理解する事ができない。

(スキルヴィルにあんな事を言ったが、僕は物わかりの良いふりをしているだけだ。僕にとって死は、どんなものであっても忌むべきものでしかない。きっとどれほど時間が経っても、賛同する事はないのだろうな)

 姉の死は父を絶望に追いやり、母を狂わせてイヴァリオの家族は崩壊した。イヴァリオにとって、死は名誉でも、救いでも何でもない。否定する事はなくても、理解できないものはできないのである。


 コンコン、と扉をノックする音が聞こえ、後ろを振り向くと、そこにはギレマールが立っていた。扉に寄り掛かり、長い前髪の奥からぎょろりとした目がファーガス達を見つめている。猫背で、黒く長いローブを着ているせいもあって陰鬱な雰囲気を醸し出していた。


「感動のシーンの最中に申し訳ないが……アドラー家のユピテル様がお越しになっています。兄上、どうなさいますか?」

「応接間にお通ししろ。私が行く。イヴァリオ、わが家族のみっともない姿を見せてしまってすまなかったな」

「いいえ、大丈夫です。ホリンに話を聞いても?」

「もちろんだ。私と母上は外そう」

 

 ファーガスはホリンの額にキスを落とすと、颯爽と部屋から出て行った。

 ゲアラハはホリンの頬にキスをおくったあと、扉の前に立っていたギレマールを憎々しげに睨みつけた。先ほどまでホリンに与えられていた慈愛に満ち溢れた視線とは全く別物だ。


「わざわざやってくるなんて……嫌な子。ホリンが死ねなかった事を嘲笑いにきたのでしょう」

「母上、俺は決してそんなつもりは」

「お黙り。ホリンはお前と違って勇気のある子です。己の責務から逃げ出したお前とは比較にもならないわ、兄として恥ずかしくないの?少しは見習ったらどうなのかしら」

「見習いたいところですが、自分の不出来さについてなら、母上よりも自分が一番よくわかっておりますので」


 ギレマールはゲアラハの言葉に怒った様子は見せず、ただ困ったように笑うばかりだ。その態度が気に食わなかったのか、ゲアラハの右手がギレマールの右頬をバチンと叩いた。しかし、それでもギレマールはただ殴られたところをさすってへらへらと笑っている。


「わが一族の恥さらしが……」

「母上!もうお辞めください。客人の前ですよ」


 さすがにまずいと思ったのか、ホリンが二人の間に割って入った。ゲアラハは気まずそうな顔をしてそそくさと部屋を出て行った。

 

「助かった、ホリン」

「母上の為です。貴方の為じゃない」


 ホリンの声は冷ややかだった。侮蔑を宿した視線でギレマールを睨みつけると、「出ていってください」と出口を指差した。長兄ファーガスへの態度とはあまりに違いすぎている。

 取りつくしまがないと、ギレマールは肩をすくめ、部屋をあとにする。寂しげな背中だったが、イヴァリオは何と声をかければ良いかわからなかった。

 ホリンは足を引きずり、ベッドに再び戻ると、ふぅと大きく息を吐いた。動いたせいで、巻いたばかりの包帯に血がにじんでいる。

 

「イヴァリオ、僕に戦場の様子を聞きにきたんだろう?」


 その言葉に、イヴァリオはハッと我に帰った。

 ホリンの言う通りだ、ここにきたのはターセエグリス家の家族問題に首を突っ込みにきたわけではない。


「君の言う通りだ。現場を先ほど見てきたが、ひどい有様だった。いったいどれだけの兵士がやられたんだ?」

「……三分の二はやられた。兄上と主力部隊が王都に行っていたから、戦力が弱かったのもあるが、魔物の強さが今までの比ではなかった。皮膚は硬く、刃が通らないんだ。最初に猪の様な奴等が突進してきて、扉の塀を吹き飛ばした。そこからどんどん魔物が侵入してきて、我が騎士団の指揮系統がめちゃくちゃになった。奴等はいくつかの集団に分かれて砦をそれぞれ襲撃し、陣形を組んでいたと思う。まるで砦の破壊が目的で、他の事には興味が無いみたいだったよ。今までの魔物ではあり得ないことだ」

「そんな馬鹿な、ありえません」

 ホリンの言葉に異を唱えたのはエリーゼだった。

「魔物は知性なき生物の筈です。食欲が最優先で、統率の取れた動きなど、決してできません」

「しかしエリーゼ殿、僕は実際にこの目で見たんだ。他にも生き残った奴等に聞いてみるといい。同じ事を言うだろう」

「じゃあさ、魔物が進化したってことか?」


 スキルヴィルの思いつきの言葉に、その場にいた全員が振り返った。


「進化した?」

「だって、そうだろ。ホリン……さんが見たことは本当で、でもエリーゼは今までそんな事はなかったって言う。だったら進化した新しいタイプの魔物が出てきたってことじゃん。……なんだよ、別に俺、なんも難しい事言ってないぜ?」

「でもよぉ、そしたら魔物の進化のきっかけって一体何なんだ?南で何かあったってことか?」


 ヤヌシュが口髭を撫でながら疑問を口にした。


「わからない。僕達には圧倒的に情報が不足している。ここ最近の討伐はせいぜい南の湿原までが限界だった。砦に迷い込んだ魔物を倒すか、湿原に群がっている小物を倒すのが関の山で、そこから先の地について知るものはいない」


 南の大陸はほとんどが未開の土地である。辺境基地からプレーヴェニ平原を歩き続けると、その先には湿原が広がっているが、わかっているのはそこまでだ。南の湿原のさらに奥には鬱蒼とした暗い森が広がっており、ここから先に行って戻って来れた者が一人もいないからである。そのため、この森は還らずの森と呼ばれていた。

 とにかく、何かが魔物に影響を与え、魔物が知性を持ち始めるなどの進化が起きている可能性がある事はレグルス王に伝えなければいけないだろう。

 イヴァリオは王への伝達鳥を飛ばすようにレヴェッキオに命じた。


「僕が話せる事はこれくらいだ。魔物についてなら……あいつのほうが詳しいから聞いてみるといい」

「……ホリン、君とギレマールの仲が良くないとは聞いてはいたが……いつからそんなに仲が悪くなったんだ?」


 イヴァリオは、先程からどうにも気になっていた疑問をホリンに投げかけた。幼い頃は、二人があんな風にいがみ合っていたことはなかった。ホリンはファーガスとギレマールを尊敬する兄として慕っていたし、仲の良い三兄弟だったはずだ。


「……もう、だいぶ前だ。あの男が僕達家族に汚名を着せ、へらへらと生きている限り、僕はアイツを許さないだろうな。ターセエグリスの死にぞこない、この名を聞いた事はないか?」

「いや、初耳だ」

「奴のあだ名だ。理由は本人に直接聞いてみるといい」


 ホリンは目を瞑り、「もう眠らせてくれ」と言うとシーツの中へと潜り込んだ。あっという間に寝息が聞こえ、イヴァリオはこれ以上の質問を諦めるほかなかった。


「イヴァリオ様、ファーガス様が夕食に招待したいと。ユピテル殿とカズキ殿もいらっしゃっています」


 伝達鳥を飛ばし終えて戻ってきたレヴェッキオがイヴァリオに囁く。

 全くもって嬉しくないご招待だ。

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