見晴らし峠壊滅
レグルス王からの命を受けたイヴァリオ達魔力部隊は、すぐに支度をして南の辺境基地へと向かった。
コルディール領に入り、セイクリッド山脈にある見晴らし峠辺境基地に辿り着いた時、既にあたりは真っ暗になっていた。
夜目がきく狼の民のイヴァリオ達が目を凝らすと、そこに広がっていたのは予想していたよりも凄惨な光景だった。
砦は炎が燃え広がったのか、燃え尽きてあちこちが黒焦げになり、あたりには魔物と兵士たちの死体が無惨に転がっている。鉄くさい血の臭いと酷い腐臭が漂い、イヴァリオは思わず口元に手をあて、胃の中身を吐き出しそうになるのを必死に抑えた。
「くっせぇ……ひどい臭いだ」
イヴァリオの隣で顔を顰め、あまりの臭いのひどさにブツブツと文句を言っているのはスキルヴィルだった。
魔力部隊の最年少の十三歳。青い髪には銀色のメッシュが入っている。丸く大きな眼が、眉間に皺を寄せているせいで小さく、鋭くなっていた。
「そうか?俺はそんな気にならんけどなぁ」
「それはおっさんの鼻が悪いからだろ」
「おっさんとは失礼な!三十五はまだいけるだろ?!」
「俺からしたら充分おっさんだから」
年少のスキルヴィルに言い負かされ、項垂れているのは魔力部隊のヤヌシュ・シルバーである。
彼は特に高い身分ではなく、アーナガルムの一般庶民で、村で鍛冶屋を営んでいたが、見かけと違って繊細な仕事をするということでイヴァリオが魔力部隊にスカウトしたのである。気さくで明るい性格なので、どちらかといえば陰気な者達の多い魔力部隊の中では貴重な存在だ。
「あちこちの辺境砦が壊滅的な被害を受けています。騎士団長ファーガス様と主力部隊が不在だった事も大きいですが、一体どれだけの大軍がここに押し寄せたのか……。ホリン様曰く、魔物はまだ生きている人間がいたにも関わらず、途中で攻撃をやめて南へ戻って行ったとの事。これは、前代未聞の事です」
エリーゼが言った。
「ホリンは生きているのか?」
「はい。重傷を負ってはいますが、命は取り留めたとの事です。今は英雄の館でお休みになられています」
イヴァリオはそれを聞いてホッと胸を撫で下ろした。南の辺境基地が襲撃を受けたと聞いた時、真っ先に頭に浮かんだのは幼い頃よく遊んだホリンだったからだ。
辺境騎士団に入団したということはなんとなく知っていたが、久々の再会がこのような形で果たされるとは思っても見なかった。
「あっちもこっちも死体だらけ、こいつはひでぇや」
スキルヴィルは小柄な体でうろちょろと動き回って、あちこちの死体を見て回っていた。
おおかた、貴重な品や使えそうな物があれば頂こうと考えているのだろう。イヴァリオが「やめておけ」と注意すると、スキルヴィルは舌打ちをして、どこかへ行ってしまった。
死者の、しかも敵と戦った誇り高き戦士の
「エリーゼ、魔物が途中で去っていったというのは確かなのか?」
「はい。生き延びた兵士達数人が証言しています。今回の魔物は、いつもの魔物とは少し様子が違ったと」
「少し違う?」
「はい、知恵がついたような感じがしたと言っていました。統率がとれたような動きをする時があったようです」
「魔物の知能は高くないはずだ。奴らは欲望のまま、人間を食らう事しか考えない。集団で行動するなどありえないだろう」
「ですから、今回まだ戦いの途中で、そこら中に生存者がいたにも関わらず、奴らが途中撤退していることが気になるのです。本来ならば、奴らは人間を食い尽くすまで止まらないはずでしょう?」
「それはそうだが……、奴らに知恵がついたとなると、ずいぶん厄介な事になるな」
魔物とは、シュヴェスタルの南方からやってくる異形の怪物である。
イヴァリオが初めて魔物を見たのは、まだ彼が四つか五つの頃だった。
ターセエグリス家に招待を受け、彼らの館に滞在していた時に、イヴァリオはホリン達との遊びに夢中になってしまい、立ち入ってはいけないと言われていた森の奥に入ってしまった。
鬱蒼と生い茂る森の中はひどく静かで恐ろしく、不気味だった。自分が言いつけを破ってしまった事に気がついたイヴァリオは引き返そうとしたが、後ろを振り向くと、そこには狼のような牙や爪を持ち、体に鱗を纏ったおぞましい怪物が立っていた。その時に嗅いだきつい獣の匂いと、何かを燃やしたような臭いは、恐ろしい記憶と共に今でも覚えている。
その時は、運よくイヴァリオを探していた父が駆け付けて魔物を追い払ったが、タイミングが悪ければ、イヴァリオは魔物に八つ裂きにされてこの世にはいなかったかもしれない。
当時の恐ろしい記憶が甦り、イヴァリオは身体をぶるりと震わせた。
「スキルヴィル、魔物の死体からサンプルを採取しておけ」
「えぇ?!なんで俺が!!」
「持って帰ったら、そのポケットの中のものに目を瞑ってやってもいい」
スキルヴィルはぶつぶつと小言を言いながらも、落ちていた魔物の腕を拾い、持っていた麻袋に乱暴に放り込んだ。
先ほどエリーゼの言っていた事が本当ならば、今後の為に魔物についても調査が必要だ。イヴァリオの頭に、一人の幼馴染の顔が浮かんだ。
「ギレマールなら何か分かるかもしれない。彼は確か館で魔物の研究をしていたはずだ」
ギレマールは、ターセエグリス家の次男でホリンの兄にあたる男だ。イヴァリオとは同い年で、小さい頃はお互い家同士の交流があった為に、よく一緒に遊んでいた。しかし、ギレマールはここ数十年、館から出て来ず、王都にも顔を見せていない。人づてに、今は魔物の研究に熱心らしいと噂を聞く程度だった。
「イヴァリオ様、戻りました」
レヴェッキオとムラージが近辺の調査から戻ってきたが、特にめぼしい収穫は無かったという事は彼らの表情から見てとれた。
「やはり、ホリン様に直接お話をお聞きしたほうが早そうですね」
「そうだな、館に向かおう」
イヴァリオは踵を返し、そして何かを思い出したのか、スキルヴィルの方へ向き直った。
「スキルヴィル、一つだけ注意しておく。ホリンには無事でよかったとか、生きててよかったと言うのは禁句だ」
「は?なんでだよ」
イヴァリオの言葉にスキルヴィルは首を傾げた。
「馬の民、特にターセエグリス家の者達にとって、勇敢なる戦死は
「なんだよ、それ。馬鹿みてぇ!死ねなくて残念でしたねって言うのかよ!どんなにみっともなくたって生き残った奴が勝ちだろ?!わざわざ死にたいなんて俺にはわかんないね」
「別にそこまで言っていない、考えは人それぞれだから、無駄なトラブルを避けるためにも、相手には敬意を払って余計な事は言うなという事だ」
イヴァリオも、スキルヴィルの言っている事はもちろん理解できた。
幼い頃は、イヴァリオもスキルヴィルと同じ様に、死が名誉ある事で喜ぶべきであるという事を一切理解できなかったし、その事でホリンやギレマールと喧嘩をしたのもしょっちゅうだった。
しかし、人間にはそれぞれ信条があり、幼い頃から植え付けられた価値観というものは変える事が難しいのだという事を年齢を重ねるうちにわかるようになった。そして、スキルヴィルも、同じようにその事を理解するようになるのだろうということも。
「とにかく、ここは馬の民の地なんだ。僕等は客人、お前は人を余計な事を言う事が多いのだから、もう黙っていろ。絶対ヘマをするなよ」
イヴァリオはスキルヴィルに釘を刺し、馬に跨った。後ろからは「なんだよあいつ、エラソーに!」と憤慨しているスキルヴィルをヤヌシュがなだめている声が聞こえていた。
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