大いなるゲーム

「痛っ」

「じっとしてください」


 知恵の塔の一室、大量の本に囲まれ、イヴァリオはレヴェッキオからの治療を受けていた。

 消毒液がしみる痛みに顔をしかめるイヴァリオを軽くいさめ、レヴェッキオは血のついた髪を拭い、傷口を消毒する。

 後頭部には一箇所切り傷があったが、大したものでは無さそうだった。もうすでに血も止まり、瘡蓋が出来始めている。

 

「何でお前が治療するんだ」イヴァリオがボヤく。

 

「他の人にこんな情けない姿を見られたいですか?それに、王都の医者は噂好きですよ。フルーヴァング家当主が物騒な喧嘩をしたらしいと、明日の朝までには広まってるでしょうね」

「…………」

「頭の他は?」

「……手を擦りむいた」

「それは唾でもつけておけば治ります。目眩はしませんか?吐き気とか」

「いや、大丈夫だ」

「なら問題なさそうですね」

 

 レヴェッキオは何があったのかとは聞かなかった。

 

「お前、僕がどうしてこんな風になったのか、聞かないのか?」

「何となく想像はつきます。ただ、俺が予想していたよりもが本性を出すのが早かったのと、思ったよりも暴力的でしたね」

「なっ……だ、だったらお前は僕の護衛として側にいるべきだろう?!全く、信じられないな!」

「それについては本当に申し訳ありません」


 そう言うレヴェッキオはあまり申し訳ないとは思って無さそうだった。表情を変えずに、淡々と手当を続けている。イヴァリオは大きくため息をついた。


「……内心、呆れているんだろう」

「何がですか?」

「僕にだ。姉上と違って、僕はいつまでも弱い。姉上なら、こんなヘマはしない」


 レヴェッキオの手がぴたりと止まった。

 やはり、という気持ちがイヴァリオを憂鬱にさせる。


 イヴァリオには姉がいた。

 

 イザベラ・フルーヴァング、長女として生まれ、フルーヴァング家の当主の座を継ぐはずだった少女だ。

 美しく黒い髪に青白い肌とアイスブルーの瞳。顔はイヴァリオに似ているが、性格は驚くほど正反対で、陽気で前向きな性格、誰とでもよく話し、よく笑う少女だった。

 魔力は歴代のフルーヴァング家の誰よりも高く、そして賢く、美しかった。誰もが彼女こそ次の当主だと疑わなかったし、それはイヴァリオにとっても同じ事だった。彼女は自慢の姉だったのだから。

 

「姉上は強かった。僕じゃなくて、姉上がフルーヴァング家の当主になっていたら、きっとあんな男が来たって怯まずに堂々としていたはずだ」

「イヴァリオ様」

「お前だって、本当はあのまま姉上に仕えていたかっただろう?」

「イヴァリオ!」


 いつもはピクリとも動かないレヴェッキオの表情が怒りを表していた。しかし、イヴァリオが一瞬怯えた表情をしたせいか、それはすぐに穏やかな表情へと変わる。

 

「確かに、イザベラ様は俺にとって大事な主でした。……あんな事が無ければ、俺は今でも、彼女の為に尽くしていたでしょう」


 イヴァリオの顔が曇る。

 レヴェッキオがイザベラに心の底から敬意を払い、仕えてきたのを知っている。

 元々、レヴェッキオはイザベラの従者だった。そしてレヴェッキオが、従者でありながらも、ただの忠誠心以上の感情をイザベラに抱いていた事も何となく気がついていた。


「しかし、イザベラ様は亡くなり、俺はあなたを主と決めた。……俺は別にあのまま家に帰ったって良かったんです。誰にもお仕えする事なく、一生を終える事を選択する事もできた。でもそうしなかった。何故だかわかりますか?それは、貴方がいたからです」


 レヴェッキオはイヴァリオの瞳をじっと見つめていた。

 金色の、狼の瞳だ。

 その奥には確かな忠誠心が在り、嘘をついているようには思えなかった。


「アーナガルムがアドラー家の奇襲を受けたあの日、貴方は毅然と立ち向かった。領民には指一本触れさせないと、自分こそがフルーヴァング家当主であると、あなたは言った、そして証明してみせた。……強さには、肉体的な強さだけではなくて、色々と種類があります。そして俺はあの日、ずっと弱いと思っていたあなたの中に強さを見た。だから俺はあなたに仕える事を選びました」


 レヴェッキオは、心の底から真実を伝えているようだった。いつもなら見せない真剣な表情に、イヴァリオは何と返したらいいかわからない。言葉が出てこない。


「それだけは勘違いしないでください。アーナガルムにおいて、あなたの実力を疑うものは一人もいませんよ」

「悪かった……八つ当たりだ。わざわざそんな事を、お前に言わせてすまなかった」

「これぐらい平気です」

「でも……一つ言わせてくれ。僕に心から仕えているなら、もう少し丁寧に僕を扱ってくれてもいいんじゃないのか?」

「それはそれ、これはこれです」

「……なんだそれは」


 イヴァリオが小さく笑うと、レヴェッキオも同じように笑った。普段無表情なせいか、下手くそな笑顔だった。


「イヴァリオ、いるかい?」

「レグルス陛下?!」


 コンコンと扉がノックされ、扉の向こうから、本来なら聞こえる筈のない声が聞こえて、イヴァリオは思わず座っていた椅子から飛び降りた。

 レヴェッキオが大急ぎて扉を開くと、そこにはレグルスが立っていた。長い金色の癖毛を揺らし、赤い豪奢なマントを羽織った王の姿は、このおんぼろの知恵の塔には不釣り合いだ。


「レグルス陛下!なぜこんな所まで?」

「故郷に帰ったばかりだったところを呼びつけてしまったからな。お前の機嫌取りだ」


 レグルスはそう言って爽やかに笑い、イヴァリオに小さな包みを渡すと、そこらへんにあった木製の椅子に腰かけた。レヴェッキオは二人の会話を邪魔しないよう、そっと部屋から出て行った。


「カズキの様子はどうだ?」

「彼の魔力保有量を調べましたが、今までに見た事が無いほどの量です。確かにあれだけの魔力があれば、この国にとっては非常に大きな戦力となる事は間違いありません」

「そうか、さすがユピテルが『救世主』と言って連れてきただけの事はあるな。しかし、お前にとっては面白くないだろう?イヴァリオ」

「何をおっしゃいますか。カズキ殿がこの国の為になるお方であるのなら、私はそれを喜んでお手伝いいたします」


 イヴァリオが表情も変えずにそう言うと、レグルス王は「言葉ではそうでも、顔に出ているぞ」と言って小さく笑う。


「まぁ、お前がそういうのならそういう事にしておこう。私は現状維持でも構わないのだが、評議会の中には、北の洞窟の獣を怖がってユピテルに賛同する者も多くいた。ユピテルは一輝を側近にして、アドラー家の地位を強固なものにしたいのだろうが……。私としてはこのままお前に側近として働いてもらいたいと思っている。しかし王として中立でなければいけない以上、表立ってお前を支援するわけにはいかん」

「……以前から気になっておりましたが、なぜ陛下は私をそんなに買ってくださるのです?……やはり私が、フェンリル・フルーヴァングの息子だからですか?」


 イヴァリオがレグルスに尋ねる。


「もちろんそれもある」

「確かに私の父は陛下の親友でしたが、あの男は……当主の義務を放棄し、逃げた男です。いきなり消えて、陛下の信頼も裏切りました。私にとってあの男は汚点なのです。正直、父親とは思いたくもない」

「イヴァリオ」


 イヴァリオの言葉をレグルスが強く遮った。

 自分が王の気を害する言葉を発してしまった事に気が付き、「申し訳ありません」と急いで謝罪する。すると、レグルスの目はすぐに優しいものに変わった。


「そんな風に言ってやるな。子供を失うという事は、お前が考えているよりもはるかに辛い事なのだ。私にはあいつの辛さがよくわかる。そもそも、私が夏の間、イザベラを宮殿に招くなどと言い出さなければ、あんなことにはならなかった。私があいつにそうさせてしまったのだ」

「おやめください。陛下は何も悪くありません」


 イヴァリオの父、フェンリル・フルーヴァングは、イヴァリオがまだ八つだった時に失踪した。

 イザベラの死が原因だった。

 流行り病によって最愛の娘を亡くしたフェンリルは絶望し、妻のスヴェトラーナと息子であるイヴァリオを置き去りにして、父親としての役目も当主としての義務も全て捨てて消えてしまった。そのせいでもともと体の弱かった母のスヴェトラーナは悲しみに耐えられず亡くなり、イヴァリオは姉と父だけでなく、母も、全てを失ったのだ。

 もちろん、イザベラを失ったその辛さはイヴァリオにだって理解できる。でも、だからといって自分と母を置いて行ってしまう父親のことなど、理解したくなかった。姉を失って辛い思いをしたのは母も自分も同じなのだから、父親は自分達家族を支えなければいけなかったのに、とイヴァリオはフェンリルを強く恨んでいた。もちろん、レグルスにそんな事を言う事はできなかったが。


「フェンリルは本当に良い奴だったのだ。私が王になれたのは彼の力が大きい。彼が私を信じてくれたからこそ、今の私がある。そしてイヴァリオ、息子のお前にもその力がある。誰かを強く信じるという気持ちは王を王たらしめるのだ。だから私はお前を信頼している。お前を側近にしたのは、単純に魔力が強いからというだけではない」


 初めて聞くレグルスからの言葉に、イヴァリオは驚いていた。

 自分が思っていたよりも、レグルスは自分を信頼してくれていたのだと。


「私もあの時、息子のレオニスを同じように流行り病で失った。代わりというわけではないが、私にとってお前は可愛い息子のようなものだ」

「陛下……」


 レグルスがイヴァリオの頭を撫でる。

 幼い頃は、父のフェンリルも、こんなふうにイヴァリオの頭を撫で、褒めてくれていた事を思い出し、何とも言いようのない気持ちが湧き上がる。


「お前はお前らしく戦ってカズキに勝てば良い。それに、ここだけの話だが、カズキが脅威だというのはにとっても同じ事なのだ」

「陛下にとっても脅威というのは、どういうことですか?」

「私は、人を見る眼には自信がある。今のところアドラー家がカズキを利用しているようだが、おそらくそのうちアドラー家は彼をコントロールできなくなるだろうな」


 イヴァリオは驚いていた。

 レグルスはあの広間での会話から、レグルスはカズキが猫をかぶっていたのを見抜いていたようだった。


「彼は私と同じくらい尊大な男だろう。しかも莫大な魔力を持っているときた。そんな彼が側近の座につくだけで満足するとはとても思えない」

「まさか、さすがにそんな大それた事は」

「彼は異世界から来たのだぞ?我々とは見てきた世界も、価値観も、常識も違うだろう。警戒しておくに越したことはない」


 イヴァリオは先ほどの一輝の姿を思い出していた。

 愛着もなく、戻りたいとも思わない故郷からこの世界にやってきた彼は、「ただ楽しみたいだけだ」と言っていた。 


 その時はてっきり、イヴァリオとの権力争いの事だと思っていたが、もし、そもそもの目的が違ったとしたら。


 ――この世界の王としての座、そのものだったとしたら。


 イヴァリオは自分の肌が粟立ったのを感じた。


「強いものが生き残り、力を手にする。それがこの世界の唯一の真理。これは我等獅子の民の掟であり信条だが、カズキはおそらくを理解している男だ。だから私はお前をカズキにつけたのだ。彼を見張り、彼の目的を探るために」


 やっとレグルスの意図していた事を理解し、イヴァリオは頭が痛かった。

 これはもはや、一輝とイヴァリオの王宮での椅子取りゲームどころではないかもしれない。


「レグルス様、イヴァリオ様、お話し中失礼致します」


 イヴァリオが頭を抱えていると、扉を叩く音がして、外で待機していたレヴェッキオが部屋の中へと入ってきた。

 その手にはほとんどメモに近いような手紙のようなものをもっており、おおざっぱに馬の紋章の封蝋がしてあった。


「南から、緊急の連絡が」


 レグルスの表情が変わる。

 レヴェッキオから手紙を受け取って中身を見ると、レグルスの目が大きく開かれた。


「……魔物の大群が出現し、辺境基地に甚大な被害が出た」

「なっ……この前、南の湿原での討伐作戦が行われたばかりなのに?!」

「どうやらそのようだ」


 最悪の知らせだった。イヴァリオが知る限り、魔物によるここまでの被害は聞いた事がない。


「イヴァリオ、魔力部隊を連れて南へ向かってくれ。……我、王なる者は、狼の魔力の行使を許す」


 レグルスがそう唱えてイヴァリオの首元に触れると、チョーカーのようなものが外れ、首筋が露になる。そこにはうっすらと一本の線のような傷が見えた。


「行ってまいります」


 イヴァリオとレヴェッキオはレグルスに深々と頭を下げると、素早く部屋を出て行った。

 南へ向かう為に。

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