第二章: いざ、南へ
防衛ライン
シュヴェスタル南方部 見晴らし峠辺境基地
シュヴェスタルは、二つの島を橋が繋いでいるような形の、縦に長い大陸である。
最北端に獣を封印した洞窟があり、その周辺の土地が狼の民達の暮らすアーナガルム領だ。そして大陸の中央に王都ラインハルトがあり、大きな湖、ザラウィア湖の向こうの東部には牛の民達の豊穣の地、セレリアスがある。
そして王都より西側に隆々連なるオストラーバ山脈を超えると、その向こうに鷲の民の住まうスカイラインが在り、南に在るのが馬の民の地であるコルディールである。
馬の民が住まうコルディールの最南端には、南からやってくる魔物からシュヴェスタル王国を守るかのように、防御壁のようなセイクリッド山脈が聳え立っている。
馬の民を統べるターセエグリス家はこの地に屋敷を構え、セイクリッド山脈に砦を設けて見張り櫓をあちこちに設置した。ここは、南方からやってくる魔物にたいする防衛ラインとしての役目を担っているのである。
辺境騎士団の隊長を代々務めるターセエグリス家は、魔物が来れば、誰よりも早く先陣を切って敵を倒し、騎士の誉れを勝ち取る事を理想と考え、その為ならば死ぬことなど恐るるに足らずと考えている節があった。
彼らが、この世で最も勇敢な騎士の一族であると自らをうたう理由である。
そんなターセエグリス家の三男、ホリンは、焦茶色の三つ編みを後ろに垂らし、深緑色の軍服に身を包んで、峠の見張り台に立っていた。
その姿は兄であるファーガス•ターセエグリスによく似ている。しかし、ファーガスより一回り身体が小さく、ずいぶんとぱっちりとした目をしている。ちょうど少年と青年の中間と言ったところだ。
翠色の瞳が、望遠鏡を通して眼下に広がるプレーヴェニ平原の様子を観察している。
「ホリン様」
部下の兵士の一人がホリンに声をかけ、手紙を差し出した。
ホリンは手紙を受け取ると、封を乱暴に破って中身を確かめる。王都に召集をかけられて向かった長兄、ファーガスからだった。
「兄上が戻られる!……なんと、救世主の話は本当だったらしい」
手紙には救世主の存在をこの目で確かめたという事と、数日でこちらの方に戻ると書かれていた。
「あの話は本当だったのですね。それは吉報だ!」
「いや……吉報かどうかはまだわからないな。莫大な魔力は持っているが、使いこなすにはまだしばらくかかるらしい。フルーヴァング家が魔力について色々と教えるらしいが……救世主の後ろ楯がアドラー家というのはなんとも皮肉だな」
「末子のユピテル様があれこれ画策しているらしいとは耳にしていましたが、まさか救世主の召喚とは驚きですね」
「チャレンジ精神旺盛な鷲の民らしいじゃないか。おそらく、フルーヴァング家はこれから大変だろう。王の側近の地位を巡って争いが起きるかもしれない」
イヴァリオのしかめっ面がホリンの頭に浮かぶ。
イヴァリオの方がホリンよりも二つ歳上だが、まだ二人が幼い頃、イヴァリオの両親がまだ存命であった頃は、よく一緒に遊んだものだった。
しかしイヴァリオの両親が突然亡くなり、彼が当主の座を継いでからはもうしばらく会っていない。
おそらく、最後に会ったのは数年前、ホリンがこの辺境騎士団に入団し、王都でその叙任式が執り行われた時だ。
式典で久々に見たイヴァリオは随分変わってしまっていた。昔はいつも笑顔で、天使のように可愛らしかったが、今はしかめっ面で眉間に皺ばかり寄せている。しかしなまじ顔が良いせいで、氷の女王のような美しさを保っていた。
「一ヶ月後、南で魔物掃討作戦が行われる。その救世主様がやってきて、我等と共に魔物の討伐に参加されるらしい」
「……随分急ですね。しかも南へ向かうのですか?この前デネボラ様が南の湿原に行かれたばかりではありませんか」
「だからだろう。一カ月程度では魔物もそこまで増えていないだろうし、ちょうど良い試験という事だ。さっさと救世主の力量を計りたいのだろう。王家も、アドラー家も」
すると、ふと、焦げくさい臭いがホリンの鼻腔を掠めた。
振り返り、見張り台から平原を見渡したが、特に炎の陰はみえなかった。火事が起きているわけではなさそうだったが、どうにも気にかかる。この焦げくさい臭いには覚えがあった。
ホリンは腰元にぶら下げていた望遠鏡を手に取り、前方に広がる平原へと目を向けた。レンズを通して、平原の奥にぽつんと一点、黒いシミの様なものが見えた。
「……なんだ?あれは」
じっと観察していると、その小さなシミは動いているようだった。そしてそのシミがはるか向こうから、こちらに向かってきており、何かが燃えたような焦げ臭いにおいは、そちらの方角から漂ってきていることにホリンは気が付いた。
「狼煙をあげろ!!」
「えっ、ホリン様?!」
「魔物だ、しかも大群のな。今すぐ戦闘準備に入れ。騎馬隊を一隊送り、時間を稼ぐ。その間に盾舞台と槍部隊を奴らの正面に配置し、左右から騎馬部隊で奇襲をかける。全員に通達しろ」
「はっ、はいっ!」
黒いシミのようなものは魔物の大群だった。群れを成した彼らはまだ随分遠くにいるようだったが、ここからの距離であれだけ見えるとなると、相当な数であることが予想できる。
今まで、こんなに魔物が大挙して押し寄せてきたことは一度もない。いつもなら数匹、多くても数十匹の魔物が襲ってくるのみである。しかも、つい先日、デネボラが率いる討伐隊が南の湿原に行って魔物を蹴散らしてきたばかりだ。しばらく魔物による襲撃はないものと誰もが思っていた。
騎士隊長のファーガスは王都に召集されて不在、今狼煙をあげても王都からの援軍を待つだけの時間はなさそうだった。
ここはシュベスタルの防衛ラインである。ここを突破されれば、シュベスタル全体に被害が広がってしまう。なんとしてもここで食い止めなければならない。
想定外の事態に、ホリンの背中をつうと汗が伝った。
「遅かれ早かれ、死は訪れる。それが少し早いだけのこと」
ホリンは吠え、自らの頬を強く叩いた。
騎士として恥じぬ戦いをする。
情けない惨めな生き様を晒すくらいなら、今ここで華々しく死ぬ。
「母上、兄上、ホリンはやります。やりますとも」
たとえ命を落とそうとも、この砦は死守しなければ。
ホリンは輝く銀の甲冑を身に纏い、走った。
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