ゲームチェンジ
「さて、はっきりさせておこうか」
そう言って、イヴァリオは目の前の一輝を睨みつけた。
いきなり敵意を向けられ、一輝は目を丸くして驚いている様子だ。
「え、何ですか?いきなり」
「僕は回りくどい事が嫌いなんだ。だから今のうちに言っておこうと思ってな。一輝、君は僕の敵だ」
「……え?」
「既に知っているはずだ。ユピテルが君を利用して、僕を側近の立場から引き摺り下ろし、フルーヴァング家の権威を失墜させようとしていることを」
すると、先ほどまで温和だった一輝の顔からすっと表情が消え去った。
部屋の温度がいきなり下がったかのように肌に震えが走る。しかし、怯むことなくイヴァリオは言葉を続けた。
「そしてその為に、ユピテルは北の洞窟の獣を君の力を使って消滅させようとしている。確かに、君の魔力は強い。しかし、先程も言ったように魔力自体はただの力、エネルギーだ。使いこなせるようになる為には時間がかかるし、決して一筋縄ではいかない。君は簡単に魔物を倒し、北の洞窟の獣も消滅させる気だったろうが、きっとそう上手くはいかないだろう。変に手出しをすれば、洞窟の獣の封印が解けてしまう可能性もある。それだけは避けなくてはならない」
「……」
一輝は黙ってイヴァリオの話を聞いていた。焦茶色の瞳が、イヴァリオを観察するようにじっと見つめている。
「何よりも、フルーヴァング家は祖先の罪を償う為に今までずっと獣の封印を守ってきた。そして、これからもそう在り続ける。それが僕達、狼の民の、このシュベスタルでの存在意義だ。いきなり
一輝は黙っている。
しばらく無言の時が流れた。
「……嫌だって言ったら?」
その時だった。
一輝が素早く動き、デスクに腰かけていたイヴァリオの頭を鷲掴みにして、そのままデスクに後頭部を強く打ち付けた。
ゴン、という鈍い音と共に、目の奥で火花が飛び散る。
「ぐっ、痛っ……!」
「やっぱり、さっき広間で言ってた通り、魔力は使えないんだな。それに思った通り、あんたには魔力以外の力は大して無い。横にいたあの男が護衛ってところか」
今目の前にいる男は、先ほどまでいた一輝と本当に同一人物なのかと思うほど、様子が違っていた。
一輝はイヴァリオの頭をデスクに押し付けながら、冷静に、イヴァリオが痛みに呻くその様を観察している。
胡散臭い笑顔を見て、猫をかぶっているとは思っていたが、もはやこれは別人格と言ってもほどだ。
「貴様……やはりそれが本性だな……」
「あ、バレてた?俺、外面だけはいいんだけどな」
一輝は先ほどのわざとらしい笑顔を浮かべると、イヴァリオから手を離した。
イヴァリオは急いで起き上がり、一輝から距離を取ると、腰元に下げていた短剣を抜いて剣先を向ける。
隙を見て出口のところまで走ろうと思ったが、扉の前にはすでに一輝が立っていて、退路は塞がれていた。
後頭部に違和感を覚えて手をやると、ぬるりとした感触がして、手には少量の血がついている。
「あはは、ごめん。ちょっとやり過ぎたよ。まぁ、落ち着けって」
「貴様、僕を殺すつもりか?」
「まさか!別に殺そうとかそんな事は思ってないから。俺、二十一世紀で生まれ育ってるから、そこまで野蛮じゃないよ。倫理感と道徳は持ち合わせてるからね」
「……デスクにいきなり人の頭を叩きつけた奴がまともな倫理観と道徳感を持ち合わせるとはとても信じ難いが?」
「少し立場をわかってもらわないと、と思ったんだよ。最初が肝心。舐められちゃ終わりだろ?」
一輝が一歩踏み出すと、イヴァリオの身体が反射的にびくりと動いた。それを見て、一輝はニヤリと笑みを浮かべる。
「俺が怖いんだ?」
「馬鹿を言え。……暴力で僕を脅そうとしたって無駄だ。これは、ただの反射反応だ。貴様の様な奴に、僕は決して屈しない」
イヴァリオはそう強がっていたが、正直に言えば、背中には冷や汗をかいていた。
イヴァリオはこれまで、暴力というものにはあまり縁がなかった。剣の技を磨く為に訓練を受けるくらいが関の山で、実際に他人から殴られたり、蹴られたりした事はない。
しかし今日イヴァリオが一輝から受けたのは紛れもない暴力であり、それには生々しい人間の感情が乗せられていた。
「俺、日本でも割と才能豊かに生まれちゃったから、なんでも出来ちゃってさ。人生がつまらなかったんだ。でもここの方が、あんたみたいにわざわざ突っかかってくる奴もいるし、よっぽどワクワクする。せっかく異世界に転移できたんだから、俺の楽しみを邪魔しないでくれよ。そのかわり、つまらなくなったら帰ってやるからさ。まぁ、そもそも帰れるか分かんないけど」
ハハ、と一輝は笑った。
力を持つが故に傲慢な男の軽薄な笑顔だ。
人生をゲーム程度にしか思っておらず、人の命や国の事など、その盤上の駒程度にしか思っていない奴だ。
「随分とこの世界が気に入ったんだな。変だとは思っていたんだ。来たばかりなのに、貴様は随分あっさりとこの現実を受け入れていた。普通なら、少しくらい動揺してもおかしくないはずだろう。なぜだ?故郷が恋しくはないのか?家族だって、居るはずだろう?」
一輝はイヴァリオの言葉に一瞬思案を巡らせると、「どうでもいいかな!」と笑顔であっさり答えた。しかし、口元は笑っていたが、その瞳は笑っていない。
「俺にとって、元の世界はそこまで愛着ないんだよね。だったらこっちの方がよっぽど好きになれそうだ」
イヴァリオには一輝の言葉が理解できなかった。
故郷や家族は、少なくともイヴァリオにとってはとても大事なものであって、どうでもいいとあっさり切り捨てられるようなものでは決してない。
側から見れば好青年なのに、一輝の目がまるでナイフのように鋭く、冷ややかで、底がしれなかった。外見と中身のあまりのチグハグさに、思わず肌が粟立つ。
「救世主がこんな奴だったなんて民が知れば、さぞ皆がっかりするだろうな」
「言いふらしてもいいけど、損をするのはあんただと思うよ?俺は皆の為に魔物だって倒すし、北の洞窟の獣も消滅させてみせる。そんな『救世主様』の悪口を吹聴したら、あんたの評判が悪くなるだけだ。俺がそんな噂程度で足をすくわれるような男じゃないって、あんただってわかってるんだろう?」
一輝が手をイヴァリオに向けて差し出した。
「正々堂々、
ふざけている。
イヴァリオは拳をきつく握りしめた。
最初に一輝に感じた違和感と、嫌悪感の正体はこれだったのだ。信念も何もない、ただ自分の楽しみの為だけに生きる男。その為なら、周りがどんなに被害を被ろうとも気にしない。一輝はそういう男なのだと、イヴァリオは結論付けた。
短剣を鞘に戻し、息を吐く。
イヴァリオは差し伸べられた一輝の手を強く握った。
「良いだろう。その勝負、受けてやる。救世主なんて、僕は絶対に認めない。貴様はこの国から追い出してやる。必ずな」
思わず握った手に力がこもる。
ギリギリと、まるで力比べのような握手を交わした後、イヴァリオは一輝の手を払い除けた。強く睨みつけ、一輝を押しのけて部屋から立ち去る。
まだ、手が震えている。
今までに王宮の中で陰口を叩かれたり、権力争いの過程で悪意を浴びた事はあったが、ここまで訳の分からない敵意を向けられたのは初めてだった。
何かが変わる。
巨大な力持った
水面に石を投げれば波紋が広がるのと同じように、それは誰にも変えられない。
イヴァリオはシュヴェスタルに忍び寄る不穏な気配を感じていた。
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