ぐちゃぐちゃの最高得点【KAC2023 3回目】

ほのなえ

ぐちゃぐちゃの答案用紙

(53点……!? なんだよこのみたいな点数……っ!)


 返却されたテストの答案を一目見て、右上に赤ペンで書かれた数字が真っ先に目に入り……俺は唖然としてしまう。

 そして答案をじっくり見る間もなく、急いで半分に折りたたんだ。こんな恥ずかしい点数、周りにいる誰にも見られるわけにはいかないからだ。


 俺……高井優吾たかいゆうごは、本当は私立の名門中学校に進学予定だったのもあり、今まで学校では成績優秀な方で、これまでの生涯でテストと名の付くものは、90点以上しかとったことがなかった。

 そのため俺にとっては有り得ないはずの点数だったが……思い当たる点がひとつあった。確かテストを受けた日は寝不足で頭がぼーっとしていたから……回答欄を一つずらして書いてしまったとか、何か致命的なミスでもしたのかもしれない。

 中学受験でも同じような失敗をして……その結果、私立の志望校に合格できず、公立のこの学校に通う羽目になったという悪夢がよみがえる。また同じことをやってしまうとは……俺は思わずため息をついた。


 幸い今回はそこまで重要なテストではなく、親には言い訳すれば済むことだ。だが、学校の誰かに見られたら……絶対に馬鹿にされる。それだけは避けたい……一刻も早くこのを隠したい。

 とはいえすぐにテストをしまうのも不審に思われそうだから、授業が終わったら速攻で机の引き出し……は万が一落としたら危ないからやめて、安全なカバンの中に入れようと思っていた。


 そんなことを考えていた俺は、答案返却時、俺の次に呼ばれた女子生徒……下村しもむらなおが、先生から答案を返されたその場で、目を丸くして答案を見つめ、長いことそこにたたずんでいるのに全く気付かずにいた。



 終業のチャイムが鳴り、俺はすぐさまテストをカバンになおそうとするが……その時、後ろから肩を掴まれる。

「よお優吾。テスト何点だったんだよ」

 その「テスト」という言葉を聞いて、反射的に俺は手に持っていたテストをぐしゃりと握りつぶす。

 振り向くと、後ろの席の平沢ひらさわがニヤニヤ笑ってこちらを見ている。こいつはいつも俺にテストの点数を聞いてくるから警戒はしていたが……。


 平沢の学力は平均くらいだ。いつもならこいつより下になることはないからと、得意げに教えてやるところだったが……今回の53点は流石に、平沢よりも下回るかもしれない。

 この平沢に馬鹿にされるのは俺のプライドが許さない。なんとかしてバレないようにしないと……。


「教えねーよ。おまえ、毎回テストの点聞くの、流石にうざいからやめろって」

「何でだよ。さては……結構悪かったな?」

「ああ。歴代最低点だったよ」

「優吾の最低点? ますます気になるな……」

 しまった……つい口が滑った。平沢のやつ、余計に興味を持ってしまったようだ。

「つっても俺よりいいんだろ? 何点なんだよ? 俺のも教えるからさぁ」

 このままでは、強引にテストを奪われかねない。それならいっそ……。


 俺はそう思うと、テストを握っている手を……平沢に不審に思われないように気を付けながら、窓の外にこっそり出す。そしてぱっとその手を開き……ぐちゃぐちゃに握りつぶしたテストを真下に落下させる。

 ……窓際の席で助かった。平沢に見られるよりは、こうやって捨てる方がマシだ。誰かに見られる危険性もあるけど、知らない人なら別にいいし……それにぎゅうぎゅうに握りつぶしておいたから、それをわざわざ開いて見る暇人はいないだろう。


 しかし平沢は案外鋭く、今の行動を少々不審に思ったようで、いぶかしげに尋ねてくる。

「あれ、優吾……今何か落とさなかったか?」

「……え? マジか、しまった!今手に消しゴム持ってて……おまえが話しかけるから気が逸れて落としちまったじゃねぇか!」

 俺はとっさに嘘をつき、驚いた演技をしてみせる。

「何だよ、俺のせいにすんなよー」

 平沢が口を尖らせる。

 よしよし、テストのことはなんとかごまかせそうだ。そう考えた俺は演技を継続し、いかにもだるそうな顔をしてため息をつく。

「ちょっと、次の授業までに取ってくる」

 握りつぶしておいたとはいえ、テストを後で回収に行かなきゃな……と考えていた俺は、平沢から逃れて探しに行けるいい機会だと考え、席から立ち上がる。


「あ、あの……」

 その時、女子生徒の声が近くから聞こえてくる。見ると、クラスメートの下村しもむらなおが立っていて……どうやら、俺に話しかけたようだった。

「高井くん、ちょっと……いいかな?」

「……俺? 何か用?」

「ちょっとここでは……一緒に来てくれない?」

 下村は緊張した面持ちで俺に言う。

「……わかった」

 一刻も早くテストを回収したかった俺は、面倒なタイミングだなと思いながらも、渋々引き受ける。


「……何だ何だ? 告白か?」

 下村が向こうに行ったタイミングで平沢がひそひそ声で言う。

「告白って……授業と授業の合間のこんなタイミングでするか?」

「別にありえなくは無いだろ? それに、それ以外に一体何の用があんだよ」

「それは……俺にもわかんねーよ」

 確かに、そこは平沢と同意見だ。下村とはほとんど接点がなく……思い当たる用事はひとつもない。下村は女子の中でも比較的おとなしく、目立つことをするタイプじゃないし、男子と話しているところもあまり見たことがないようなヤツだった。

「もし下村に告白されたらおまえ、どうすんだ?」

 平沢がニヤニヤ顔で尋ねる。

「もしそうだったら、普通に断るけどな」

 俺があっさりそう言うと、平沢は納得したように頷く。

「確かに、優吾は頭悪い女はタイプじゃなさそうだよな」

 下村は、平沢の言う通り……頭が悪い。先程彼女を目立つことをするタイプではないと言ったが……授業中に当てられると、とんちんかんな解答を連発し、皆をくすりと笑わせ教室を和ませる……そこに関しては目立つ存在とも言えるようなヤツだった。

「……とりあえず行ってくるわ」

 俺はそう言うと、平沢をその場に残し、下村の後を追う。


(告白……か……)

 俺は下村の後ろを歩き、下村の背中を見つめながら考える。

 告白されたことは……小学生の頃にはあったけど、思えば最近はなかった。そう思うと、相手が特にタイプでもないし頭の悪い下村だとしても、少しドキドキしている自分に気がつく。

(くそっ、平沢のヤツが余計な事言うから、変に意識しちまうじゃねーか! 本当に告白だったらどうすれば……)


「高井くん、あのね……」

 人気ひとけのない廊下まで来ると、下村が突然足を止め、こちらを振り向く。

「な、何だよ。一体何の用なんだよ」

「さっきのテストなんだけど……ちゃんと?」

 突然テストの話をされ、俺はきょとんとしてしまう。と同時に、一瞬忘れていた先程のテストの点数を思い出し、冷や汗をかく。

「……は? み、見たって……普通、テスト返されて点数見ないなんてヤツいねーだろ」

「でもさ、あたしのとこに、その……テストが返されて……」

 そう言って、下村はテストを見せる。確かに俺の名前が名前の欄に書かれていて……それは紛れもなく、俺の字だった。

「たぶん、あたしと高井くんの……返却されたテストが、逆になってるんじゃないかなって思って。教室のみんなの様子見てたけど、他に困ってるような人はいなかったし」

(じゃあ、53点ってのは下村のテストだったのか……。確かに、あの時は点数の低さに動揺して、点数以外は目に入っていなかったかもしれない……。それに、よく考えれば、俺がミスしたとしても、さすがに53点は低すぎるよな……)

 俺はほっとすると同時に、本当の自分の点数が気になり、ついでに見ておこうと思ったものの……ちょうど下村の指に隠れていて点数は見えなかった。


 俺はテストを返してもらおうと手を出しながらも、尋ねる。

「じゃ、なんで先生に言わねーんだよ」

「だって、もう高井くんの点数見ちゃったし、なんか先生には言いづらくて……高井くんのとこに直接持ってきちゃった」

「俺の点数……見たのかよ」

「うん、見たよ」

「何点だったんだ? ……ってそこにあるのに聞くのもおかしいか。早く返せよ」

「じゃあ高井くんも、あたしのテスト返して?」

 さらりと返す下村のその言葉に、俺は思わず顔を青くする。

(……あ、まずい。あのテスト……ぐちゃぐちゃに握りつぶして窓から捨てちまった!)

 俺は、仕方なく正直に答えることにする。

「ああ、あれは…点数悪かったのがショックで……窓から捨てちまったんだ。悪い、点数しか見てなくて……下村のテストだって気づかなかった」

「ええーっ!」

 下村が目を大きく見開いて俺を見る。そして、俺に向かっておそるおそる尋ねる。

「そんな捨てたくなるほど悪かった? 一体何点だったの?」

「……へ?」

(聞くのそこかよ!)

 困るから返せと言われるか、さすがに幻滅されるかと思ったら、思ってもないことを言われて俺はきょとんとしてしまうが、はっと我に返り、正直ひどい点数だから言いづらいなと思いながらも、点数を答えることにする。

「ああ……えっと……53点」

「ええーっ!」

 大声をあげる下村に、さすがに俺みたいに頭良くないとはいえ、やっぱりショック受けるよな……と思いきや、下村は目をキラキラと輝かせ、頬を紅潮させている。

「すごーい! 自己最高記録だよ!」

「……は? 53点が?」

「うんっ! やったぁ! これでピアノに一歩近づいたぁ!」

「……へ? ピアノ?」

「あ、あのね。テストで50点以上取ったら、ピアノ買ってくれるって親と約束してるの!」

(ご、50点でピアノ……甘すぎないか? それに、今まで50点すら取ったことなかったのかよ、この女……)

 俺は下村の話す内容に付いて行けず、ぽかんとしてしまう。

「でも、困ったなぁ。点数、50点以上とったって証拠に親に見せないとダメなのに。ねえ高井くん……そんなわけでそのテスト、手元にないと困るの。探すの手伝ってよ」

「は? なんで俺が……」

「だって、高井くんが捨てたんでしょ? どの辺で捨てたのかあたしわかんないし」

(確かにそうだけど……くそっ、面倒なことになっちまったな。俺の点数じゃないなら素直に平沢に見せといてもよかった……っ)

 俺は今になって、テストを捨てたことを後悔する。

「返してくれるまで高井くんのテストは返さないし、点数だって教えないもん!」

 にんまりと笑ってそう言う下村を見ながら、頭悪いクセにそういうところはずる賢いんだな…と俺は苦々しく思う。



 次の授業がじきに始まってしまうため、とりあえず次の授業を受けてから、昼休み、俺は下村と一緒に外へ探しに行く。

 テストを落とした窓の下の地点をまず見てみるが、どうもそれらしいものは見当たらなかった。

(まずいな、ゴミとして回収されてたら正直探しようがないぞ……?)


 俺がそう思って焦りつつ、辺りを見渡していると、ふと校庭の隅にあるビオトープの上に、何か白いものが浮いているのを発見する。

「おい、そこのビオトープに落ちてるやつじゃないか?」

 指さしながらそう言うと、下村がきょとんとした表情で俺を見る。

「……びおとーぷ? 何それ」

「…………」

 俺は一瞬絶句してしまうも、なんとか下村にもわかるように説明しようとする。

「…理科の授業で習ったろ。生きものの生息できる空間を人工的につくってる場所で……」

 きょとんとした表情のままの下村を見て、俺は途中で説明を諦める。

「まぁ……もう池でいいよ。それより、池に落ちたんなら水に溶けてさらにぐちゃぐちゃになる前に早く拾わねーと。点数見えなくなってピアノ買ってもらえなくなっちまうぞ」

「え、それは困る!」

 下村はそう言うと、ビオトープの池の方まで全力でダッシュする。

(…こいつ、こんな元気なヤツだったんだな……)

 俺は下村のキャラに意外さを感じ呆気にとられながら、あったよー! と喜びの声をあげる下村を見る。


 下村はビオトープの池に浮いているテスト用紙を発見すると、池に身を乗り出して、思いっきり手を伸ばす。

「うん……しょ」

 もうすぐ届きそう、というところで、ぐちゃぐちゃに丸めたテスト用紙が風で流されて、下村とは逆の方向に移動してしまう。

「ま、待ってー! あたしの自己最高記録のテストー!」

 俺はそれを見てため息をつき、ふとその辺に落ちているほうきを見つけると、下村に手渡す。

「腕だけじゃ届かねーだろ……この箒を使え」

「わっ! 高井くん、ナイス!」

 そうして下村は箒を使って手繰り寄せ、なんとかテストを手に入れる。

「あっ……結構濡れてる」

 下村の言う通り、テスト用紙の表面は濡れていて……ぐちゃぐちゃになっていた。

「……開いてみろよ。池に浮いてるのを見たところ、テスト用紙の内部まで水は浸食してねーだろうし、中は無事かもしんねーから」

「そうかな……」

 下村はおそるおそるテスト用紙を開く。俺もその隣で黙ってテスト用紙を見つめる。


 テスト用紙が開かれる。予想どおり、テスト用紙の大部分は濡れてぐちゃぐちゃだったが……奇跡的に、53点という点数の書かれた部分と、名前の書かれた部分は綺麗に残っていた。

「あっ! やった! ちゃんと見えるよー!」

「……こんな状態でも、おまえの親、許してくれそうか?」

「うん、たぶん大丈夫。あたしの親、別に細かいこと気にしないし。『びおとーぷに落としちゃった』って言うよ!」

 下村は覚えたビオトープという言葉を早速使い、誇らしげに胸を張る。俺はそんな、特に何も気にしていない様子の下村の態度にほっとする。


「やれやれ。それにしてもテスト、誰にも見られずに手元に戻って良かったな」

 下村は再びきょとん顔で俺を見る。

「……なんで? 50点超えてたら、普通は見られても大丈夫でしょ? 100点満点中、真ん中より上の点数なんだもん」

「おまえな……」

 俺は呆れつつも、もうこいつはそういうヤツなんだと納得させ、笑みを見せる。

「ま、これですぐピアノ買ってもらえるし、良かったな」

 俺の言葉に、下村は笑顔を見せるかと思いきや……その表情が曇る。

「……まだ無理だよ。実は……テスト50点以上を、合計3回取らなきゃなんないの。だから……あと2回取らなきゃ。大丈夫かなぁ……」

 余裕だろ、と俺なら言いたいところだが、下村にとっては難しいのかもしれない……そう思うと、俺は思わず呟いていた。


「……教えてやるよ」

「え?」

 小声の呟きに反応して、下村が俺を見上げる。どこか気恥ずかしくなり、その視線から目をそらしつつも、俺は話を続ける。

「この俺が勉強教えてやるって言ってんだ。その……せっかくのおまえの自己最高得点のテスト、ぐちゃぐちゃに汚しちまったお詫びに……」

 俺は今度はぐちゃぐちゃのテスト用紙をちらりと見る。

「それ以上にいいテストの点数、俺が取らせてやるよ。そうすればぐちゃぐちゃのコレが最高得点……なんてことにはならなくなるだろ」

「いいの? でも、あたし……結構頭悪いよ?」

「知ってる」

 即答する俺の言葉に、下村は若干ショックを受けたようだが……そこは気にせず話を続けることにする。

「まぁ……誰かに教えるのは勉強になるっていうから、俺自身のためにもなるだろうしな」


 下村はそこまで話を聞くと、突然顔をパッと輝かせる。

「高井くん……ありがとうっ! 案外いい人なんだね!」

「案外、ってなんだよ」

「だって高井くんって……頭いいからかな? プライド高そうというか、なんだか人を見下してそうというか、ちょっとお高くとまったイメージだったから」

「…………」

 それが図星だと感じて、俺は思わず黙りこくってしまう。

 確かに、進学校へ行く予定だった俺は、公立の中学校に甘んじている周りのヤツらのことを、どこかで見下してきた……ことを今、気づかされた。

(……それをはっきりと気づかせてくれたこいつに、ちょっとは感謝しねーとな)

 俺はそう思うと、下村に向かってにやっと笑う。

「……な、案外いい奴だろ? だから安心して俺に任せろよな」

「うん! これからよろしくね、高井くん!」

 眩しいくらいのその満面の笑みを見ると、下村と勉強するのも、悪くはないな……と思ってしまう俺だった。



 それから数日後、教室にて――――。


「なんでこんな基礎中の基礎問題、解けねーんだよ!」

「えーん、全然わかんない! 難しいよぉ!」


 ……俺は、自分の提案を早々に後悔することになったのであった。





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