ぐちゃぐちゃなカレー

寺澤ななお

ぐちゃぐちゃなカレー

 君が好きだ。


 子犬のような笑顔。

 活発な君にお似合いのショートカット。

 野良猫を見つけたときのキラキラとした瞳


 君一人しか世界に存在しないような真剣な表情で、大学の講義に没頭する君も好きだ。


 本当に大好きで

 ふと冷静になって考えても驚くほど大好きなんだ。


 僕は自分が人を好きになることを想像できなかったから


 いま、君を大好きな自分が

 本当の自分なのか

 恐ろしくなるときもあるんだ。


 それくらい大好きな君が僕の彼女であることも、ずっと夢だと思ってたんだ。

 大学の入学式で君と出会ってからの約3年半。

 僕はずっと夢の中に居た気がする。



 ――だからあの時


 君がぐちゃぐちゃにしたカレーを見て

 僕は唖然としてしまった。


 君はそんな僕を見て、ハッとした表情を浮かべ動きを止めた。


「ごめん」


 そして、僕と3秒ほど見つめ合ったあと、君はそう言った。


 僕はまともに絵をいたことなどない。

 けれども、あの時の君の顔だけは世界中で誰よりも鮮明に描ける自信がある。


「ごめん」


 そう言った君は半分ぐちゃぐちゃになったカレーをそれ以上崩すことなく黙々と食べた。


 僕はそんな君をただ見つめてた。本当は気の利いたコトバを投げかけるべきだった。でも僕にはそんな余裕はなかった。本当にごめん。


「今日はごめん」


 映画を見た後も、

 君があれだけ楽しみにしていたホテルのアフタヌーンティーを目の前にしたときも、

 君はずっと浮かない顔をしていて、別れ際にそう言った。



 ーー2週間後。

「今から会えない?」って僕がラインをしたら、君は既読スルーのまま、僕のアパートへ突然やってきた。


 そして、今にも泣き出しそうな笑顔で言ったんだ。


「別れるなら今すぐ言って」って。


 僕は馬鹿だから、その時気付いたんだ。ずっと君を傷つけていたことを。


 君はカレーをぐちゃぐちゃにする姿を見て、僕が幻滅したと思っていたのかもしれない。


 でもそんなことは全くないんだ。僕は「大好きだよ」とできる限りの笑顔で語り掛け、君の手を引き部屋の中へ招いた。部屋中に充満したカレーのにおいに君は何を思っただろうか。


 君が帰ってしまわないうちにカレーとご飯をよそい、二人分の夕食を用意して君の前に座る。そして僕はカレーをぐちゃぐちゃに混ぜて食べ始めた。あの時の君以上にぎちゃぐちゃに。


 君はしばらくの間ポカーンとした顔を浮かべてたから、自分の行動が正しいのか不安になったけど、そのあと、堰を切ったように笑い出すからとても安心した。

 涙を流しながら笑う君はとても美しかった。


 僕の行動を君がどう解釈したのかは大した問題じゃない。

 そもそも、僕は相手がカレーをどう食べようがまったく気にしない。


 ぐちゃぐちゃに混ぜる君を見て唖然としたのは、嬉しかったからだ。


 付き合いはじめる前、珍しく酔っ払った君は独り言のように僕に教えてくれたんだ。


 ――お父さんが大好きだったこと。

 そのお父さんが早くに亡くなったこと。

 お父さんがぐちゃぐちゃにカレーを混ぜて食べていたことを。


 中学2年生の時に、お母さんが再婚したとき、新しいお父さんに強く怒られたことも君は教えてくれた。

 事情を知ると、逆に謝ってくれたことも。


 それから君は家族の前だけでは、カレーをぐちゃぐちゃに食べるようになったんだよね。


 だからうれしかったんだよ。家族と同じくらい僕に気を許してくれたことが。


 これから節約しなくちゃいけないから、おうちカレーが増えると思うけど我慢してね。

 半年後の卒業式、君に指輪を贈るために。









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ぐちゃぐちゃなカレー 寺澤ななお @terasawa-nanao

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