実験結果

於田縫紀

実験結果

 カウンターを見る。ここへ入ってから予定通り3,000時間が経過している事を確認。 

 もういいだろう。時間は充分経過した。僕は再生槽から起き上がる。結果を検証する為に。


 ◇◇◇


 この世界に希望はない。

 遙か昔に始まった戦争は継続中。僕の記憶ではずっと戦争中だった。何時始まったかは不明だ。過去の記録は残っていないし、記録に無い事を調べる行為は犯罪となる。


 ある日突然ミサイルが飛んできて死ぬ。それが当たり前。僕と同じロットで生育された国民も生き残っているのは4割程度。


 全ては憎むべき敵、シルバースタイン連邦のせいである。そう信じられない僕は我が国の異物なのかもしれない。勿論そう思っている事に気付かれたら消去させられる。だから表には出さないようにしているけれど。


 おそらく敵の大多数の国民も僕達と同じなのだろう。ただ命令されて戦っているだけ。そして戦争は終わらない。このままではきっと。


 しかし僕に出来る事は限られている。一介の生物兵器開発者に長年にわたって強固に築かれた体制を壊すなんて事、出来る筈は無い。

 僕はそう思っていた。ある細菌兵器を開発する前までは。


 ◇◇◇


 僕は生物兵器開発者だ。既存の細菌の遺伝子を組み換えたり、組み替えた遺伝子で戦争に使える新たな細菌を作るのが仕事。


 現在は脳の特定機能部位に作用する細菌を専門に研究している。厳密には細菌が直接脳に作用する訳ではない。細菌が作り出す蛋白質が脳の特定部位に作用する事によって症状を引き起こすのだが、細かい話はまあ置いておこう。


 今までの中での最大の功績は『散布3日後に発症し両手両足を動作不能にする細菌』だ。この功績で僕は第四階級に昇進した。


 そして今回開発に成功したのは『言語中枢に作用する細菌』。主に感覚性言語中枢、いわゆるウェルニッケ中枢の働きを阻害する作用を引き起こす。

 ウェルニッケ中枢とは他人の言語を理解する働きをする部位。つまりこれが阻害されると会話による相互理解が出来なくなる。


 これが人類全般に作用すれば、社会はぐちゃぐちゃになるだろう。社会というものがそういう状態で成り立つかもわからない。敵味方なんて概念も何処かへ行ってしまうだろう。自分以外の対象と相互に理解出来なくなるのだから。


 これでこの世界を変えられないだろうか。そう僕は思ってしまった。

 勿論その為には敵だけでなく味方も罹患させなければならない。ただその辺りはある程度操作可能だ。


 例えば増殖時、十万分の一の割合で害を持つ菌に変異するなんて形に作り上げる方法がある。変異するまでの間、無害な菌として振る舞う訳だ。


 他に生存性、耐久性等にも手を加えた。更に散布のダミーとなる即効性の同種細菌、自国民投与用の一時的には感染を抑えるが変異した菌には効果が無いワクチン等を開発。

 3ヶ月でほぼ間違いなく全地球上の人類が罹患する機構システムに出来た筈だ。


 この機構システムの実行、すなわち敵国へのミサイルによる散布、自国民へのワクチン接種。

 これらの実行を確認した後、僕は休暇を取った。第四階級特権を利用して六ヶ月休暇を申請し、研究施設最下層隔離区域へ。


 自分だけが被害から逃れる為では無い。この結果どうなったかを検証する為だ。

 研究者である以上検証すべき責任が僕にはある。たとえ社会がぐちゃぐちゃになっていようと、その結果我が国、もしくは人類社会全体が崩壊していようと。


 むしろそうなる事を僕は望んでいるのかもしれない。この戦争状態が続くよりも、きっと。


 僕は身体再生槽へ入る。これは身体の主に表皮部分を修復再生する装置で、『見かけが若返った』効果を持つが、外部からのウィルス・細菌・古細菌等を一切遮断して一定期間睡眠状態に置く効果も持っている。


 次に目覚めるのは3,000時間。細菌が全地球上の人類を罹患させるのに充分な期間の後だ。


 ◇◇◇


 周囲の機器は入槽した時と変わりなく見える。電気や水も供給されているようだ。

 もっともこれらの供給は自動化されている。人が関与する必要性はない。だから人間社会がどうなっているかはわからない。


 僕は再生槽から出て身体を備え付けの布で拭き、服を着用する。再生槽室から出て無人の隔離区域を歩き、そして外部と隔離区域を閉ざしている扉へ。


 さて予定通りぐちゃぐちゃになっているか、通り越して壊滅状態になっているか。もしくは全く影響をうけていないのか……


 僕は扉を開く……


(EOF)

 

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