一時、空に向かいて

葉霜雁景

なんてことない独白

 宇宙というのは虚空、真空だ。けれど、塵や氷やガスで、ぐちゃぐちゃな色彩の宝箱でもある。

 人気のない廊下に設置されたベンチ……ほぼソファーから、彩られる真っ黒のキャンバスを眺めるのが好きだ。途方もない冷酷な黒は、時に恐ろしくもあるけれど、やっぱり美しい。


 祖父母の世代に、人間はかつて住んでいた「地球」という惑星から離れた。元々ギリギリな瀬戸際で、きりきり舞いをしながら繋いでいたのだけれど、決定的にバキッといってしまったらしい。住めないとまでは行かないけれど、何十億という人間を抱えてはいられなくなった。

 たくさんの話し合いが行われたのち、色んな事情で人々は分けられた。地球残留組、他惑星に一時移住組、宇宙船で虚空旅行をする組、惑星近くに留まって仕事をする組。一番多いのは虚空旅行組で……というか、惑星云々の仕事に携わらない一般人は、ほとんどが宇宙船で冷たい海に放たれた。惑星が何とか持ち直すまで、ぐるぐる宇宙を巡っている。

 宇宙船内は快適だ。多様かつ適度な仕事を当番制で行いながら、娯楽や休息も存分に取れる。分けたと言っても相当な人数を抱えているのに、不満がほとんど上がらず、上がっても解消できる。たまに通路を繋げて行き来できる他船も同じだというから、虚空旅行組は恵まれた環境下で生きている。


 特殊な金属で造り上げられた外装に、温かく守られた内装。よろいまとった巨大生物のような船。黒ときどき鮮色ぐちゃぐちゃな海を往く平和な世界。けれどこの中もぐちゃぐちゃだ、色んなものが。

 人間には色んなものがある。言語、出身、宗教、人種、肌や髪や瞳の色、趣味嗜好。相容れるもの、相容れないもの。一個人の中でも、たくさんのものがぐちゃぐちゃに入り乱れているのに、それがたくさん、船内でうごめいている。衝突を事前に防ぎながら……衝突したら、かさぶたになって消えるまで、傷を絆創膏で隠しながら。


 不思議だな、と。巨大で分厚いガラスの前に、星雲が時折現れるのを見ては思う。ぐちゃぐちゃなのは宇宙に行っても変わらない。無統制の権化みたいな状態なのに美しい。もっとも、こうして透明な板一枚を挟んで見ているから、静かな場所に座っているから、落ち着いてそう言えるだけかもしれないけれど。


 人気のない廊下に設置されたベンチ……ほぼソファーから、彩られる真っ黒のキャンバスを眺めるのが好きだ。眺めて、色々考えるのが好きだ。

 たったそれだけの空間。無音と、ひんやりした空気が染みてきて、自分も虚空の一部になっていくなんて、空想に浸れる時間。

 内側にどんなぐちゃぐちゃが渦巻いていても、ずっと静かな外側がある。不変のものは無いと言うけれど、これは変わらないのではなかろうか。変わらないものであってほしいな、なんてことも思う。


 ピピッ、と。腕時計が小さくも鋭いアラームをくれた。日課終了三分前。以前ここで寝落ちてしまい、見回りロボットにお小言を貰ってからは、気をつけるようにしている。

 立ち上がってぐいっと伸びをすれば、いつもの整った自分。整っているからこそ、ゆるゆる溶けて漂う感覚が心地よくなる。


 もう静穏とは切り離されてしまったので、後ろ髪を引かれることなく歩き出す。でも、また明日もここに来る。そうして、冷たい黒ときどき鮮色ぐちゃぐちゃな虚空を眺めながら、物思う。

 なんてことない数十分程度の日課。いつか母星に戻る日が来たら、できなくなってしまう日課。それまで存命かどうかは分からないけれど、その日が来たらちょっと寂しくなる……だろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一時、空に向かいて 葉霜雁景 @skhb-3725

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説