娘の眼差し

白部令士

娘の眼差し

 日曜日、正午前。自宅。

真奈まなちゃん。お昼ご飯はなにがいい?」

 絵本を読んでいた娘の真奈に声を掛ける。真奈は幼稚園でも絵本ばかり読んでいて、友達と一緒に遊びたがらないそうだ。父親として気にはなるが、今は私にも余裕がない。

「真奈ちゃん。お昼ご飯なんだけど……」

「いい。食べたくない」

 絵本から顔を上げることもしない。

「また女の人が来るんでしょ」

 真奈が怒ったように言う。

 女の人、というのは同僚の下川しもかわ成美なるみのことだ。真奈は下川さんが家に上がるのを嫌がるようになった。


 妻がパート先で知り合った学生バイトと逃げてしまい、我が家の食生活はしばらく貧しかった。家事分担で掃除洗濯ゴミ出しは、元々私がやっていたのだが、料理は妻に任せっ放しだったのだ。私はジャガイモの皮むきもまともに出来ない。事情を知った下川さんが食材の費用のみで平日の夕食と土日の昼食夕食作りを買って出てくれた。だから最近は充実した食事が摂れていた。初めの頃は真奈も喜んでいた筈だが、いつの間にか真奈が下川さんを嫌っていたのだ。


「今日は、下川さん来れないんだよ」

 昨日の夕食後、駅まで送った際に明日は用事があって行けないと彼女に言われていた。

「本当? 本当に?」

 真奈が顔を上げ、私を見つめてくる。

「ああ、うん。本当だ」

 口にした途端、真奈が嬉しそうに絵本を閉じた。

「あたし、食べたいもの、あるよ? お父さんの作ったぐちゃぐちゃ」

「ん? ぐちゃぐちゃ?」

「そう。卵をといて、フライパンの上でぐちゃぐちゃにするの」

「あぁ……」

「お母さんと同じように玉子焼きを作るのかと思ったら、お父さんはぐちゃぐちゃにするの。おっかしい」

 と、真奈が目を輝かせた。

 私は笑うしかない。妻のように玉子焼きを作ろうとして失敗しただけなのだ。

「はは……。スクランブルエッグね」

「そう、それ。スクランブルエッグ。ぐちゃぐちゃ」

 真奈が手をたたく。

「あたし、お父さんの料理好き。たから、女の人はもう来なくていいよ」

 真奈は、はっきりと下川さんを拒んだ。

「でも、父さんは料理下手だからなぁ」

「いいの。あんまり上手い人がうちにいたら、お母さんが帰って来れなくなっちゃう」

 と、真剣な顔の真奈。

 ぐちゃぐちゃ――スクランブルエッグは、失敗作だと気付いているのかもしれない。

 帰って来れなくなっちゃう、か。どうしたものかな。

               (おわり)

 

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