生きた

山田あとり

 男は奴隷だった。使い捨てるために買われた兵士だった。

 言葉も知らぬ国のために戦い、ただ己が生き残るために戦い、そして戦い敗れ、果てる。それだけの男だった。


 だが男はまだ生きていた。幸運にも敵の刃をくぐり抜け、領主の元に戻った。

 それでも戦が無くなるわけではない。どうせまたすぐに戦場に戻され、泥濘に沈んで朽ちるのだとわかっていた。

 だからといってどうすることもない。生きるなど、そういうものだ。

 死ぬまでを過ごす時間。それが人生というものだから。



 配られたパンと干し肉をかじり、男はぶらりと仲間の輪から離れた。生き延びた興奮に沸く野卑な叫び声が煩い。

 だが奴隷達のいる一角から外に出た時に木立の向こうで悲鳴が上がり、男は足を向けた。


 細い川で洗濯をしていたのだろう。布が散らばり、女が一人の奴隷兵士に組み敷かれていた。怯えた目がこちらを向く。

 女がもがきながら何か叫んだ。わからなかった。この国の言葉は号令ぐらいしか知らない。

 振り向いた奴隷兵士も何かを言った。これもわからない。だが女の顔に恐怖が浮かんだのは理解できた。男は近づくと兵士を女から引き剥がした。


「やめろ」


 通じないのだろうが、静かに言った。

 兵士は男を振り払い、女にギラついた目を向けた。女は立ち上がり、後ずさっていた。その痩せた姿に故郷を思い出した。妹に似ている。

 男の中にわけのわからない怒りが湧いた。男は兵士に飛びかかった。


 引き倒す。殴る。殴りつけ、血が飛び、歯が飛ぶ。男の拳は血みどろで、もう砕けている。だが男は止まれなかった。



 駆けつけた兵士達に男は組み伏せられた。男が殴り殺した男の顔はぐちゃぐちゃで、もう誰だかわからなかった。


 腰が抜けていた女は、女中頭か誰かに引き摺られながら男にはわからない言葉で何かを訴えていた。男を時折振り返る。何を言っているのか知りたいと唐突に思い、言葉を覚えようとしなかったことを少しだけ悔やんだ。


 何にしても私闘の末に仲間を殴り殺した奴隷など、処分されるだろう。それでいい。何もかまわない。

 男はその場に引き据えられた。隊長が剣を抜くのがわかった。顔を上げると、連れて行かれる女の必死な瞳が男を見ていた。


 あの女を助けたのが、俺が最後にしたことか。


 生きた、と男は思った。


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生きた 山田あとり @yamadatori

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