第八章:もう一つのその後
「三つ目の選択肢は、ありませんか?」
あの時。女神様二つの選択肢を突きつけられたわたしは、身勝手な願いを口にしていた。
「わたしは、女子の自分や声優の自分も、美音さんに幸せになって欲しいとも、どっちも願っていて……二つから一つを選ぶことなんてできません」
話しながら、少し違うかもと思った。
「もっと正確に言うと、わたしが片方を選ぶことでもう片方の世界が消えてしまう、あるいはわたしにとって消えてしまうことが嫌なんです。伊佐美が消えることであちらの母さんたちと会えなくなるのも、伊佐武の世界を選ばないことで美音さんがいなかったことになってしまうのも、耐えられません」
「君ならそう言うかもと思っていた」
女神は微笑んだ。
「三つ目の、最後の選択肢はあるよ。ちょっと手間ではあるが、君の魂を二つに分けるんだ。そしてそれぞれの世界で生きれば、二つの世界でそれぞれに君は生きていける」
新たに示された選択肢は、この前アニメ第二話の台本で見た展開に似ていた。
「じゃあ――」
ただし、と付け加えて相手は言う。
「それが君の喜ぶ形になるかはわからないけれど」
*
目を覚ますと、今朝もトイレでは立っておしっこをした。ランドセルを背負い、小学校へ。
教室では、トシオと遊んだり、富樫さんにちょくちょく絡まれたり。
この生活を選んで一ヶ月ほど経ったけど、男の子であることにも小学生であることにも慣れていない。今でもわたしは、自分は本当は女子高生なのにという気持ちが残っているし、もしかしたらこの先もずっと残り続けるのかもしれない。
それでも、わたしは今日も、伊佐武として生きていく。
この世界で育んだ、この世界で美音さんを助けたい・傍で支えてあげたい・美音さんと一緒にいたいという気持ち。
この世界へ来るきっかけとなった、元の世界で女性声優として活躍したいという気持ち。
二つの気持ちはきれいに切り分けられるものではなく、『わたし』をどう分けてもどちらのわたしにもこの二つの気持ちは残り続けるのだと、あの時に説明された。説明されたからといってじゃあやめますともならず、わたしはそれを受け入れて『伊佐武』になり『伊佐美』のわたしと分かたれた。
つまり、こちらのわたしが日々後悔しているように、あちらの『わたし』も美音さんと一緒にいられないことを日々後悔しているんだろう。そう思って自分をなだめる。
うん。後悔は毎日のようにしている。
あのまま元の世界にいれば、わたしは女子高生のままで、夢を叶えて声優になっていて、これからはもっと活躍できたはずなのに。
今のわたしは男子小学生として人生をやり直している。この先どんな自分になれるかわからない。そもそも男として生きていく覚悟なんてろくにない。
毎日おしっこのたびに落ち着かない気分になる。ここ最近は、妙に硬くなってしまったりすることもあって、ますます戸惑いは増えていく。
*
「伊佐武くん、こんにちは」
それでも、美音さんと会うとすごく幸せな気持ちになれる。
公園で会って話すだけ。ちょっとボルモンを遊ぶだけ。時々スマホでメッセージをやり取りするだけ。手をつないだことすらない。
けれど、間違いなくわたしは幸福なんだ。
「この前は新しいオーディションに二つ受かったの。来年の春に始まる、漫画が原作のアニメと……」
美音さんは、どんどん活躍の場を広げつつあった。
あの時のわたしのアドバイスのおかげ、なんてうぬぼれるのはやめておきたい。でも、ほんの少しはわたしも役に立てているんじゃないかなと、それくらいは思いたい。
ただ。
「だから、ごめんね。もう少ししたら、火曜日と水曜日は収録の関係で公園に来れなくなっちゃう」
申し訳なさそうに謝る美音さん。
しかたのないことだ。演技や歌で、声で活動したい。仕事をどんどん増やしてみんなに知られたい。そしてこれからの新しい仕事につなげたい。そんな気持ちはこの前まで同じ立場だったわたしにはよくわかる。
ちょっと縁のある男の子と少しおしゃべりしたりゲームで遊んだり、そんな時間は真っ先に削られる。彼女と一緒にいたいというわたしの願いは次第に叶わなくなりつつあった。
同じ高校生なら、せめて中学生なら、付き合うという可能性もあるかもしれない。仕事の合間を見つけてデート、とか。けれどランドセルを背負った小学生が何を言っても、ませた子のたわ言としか受け取られないだろう。
かと言って、このまま流れに身を任せていたら、彼女にとってのわたしは「デビューした頃に偶然出会い、少し仲良くしていた男の子」以外の何者でもなくなってしまう。
だから。
「あの、」
わたしは彼女に伝えたいことを言うため、声を発する。
この世界では、伊佐美を喪ったわたしの母の悲しみが、結果的に美音さんを産んだ。さらにさかのぼればこの世界自体が、たぶん宇賀神さんの後悔によって作り出された。
だけど母は娘がいないと悲しんで終わったわけではなくて、伊佐武も産んだ。宇賀神さんの強い思いが、この世界を作り美音さんを産み出した。……ということでもある。
なくしたものはあるけれど、これから得られるものもある。転んでそのままで終わりにしない場合もある。
わたしの言葉を待っている美音さんに、宣言する。
「ボクも……声優になりたいなって思ってて。だから、新人発掘オーディション、受けてみるね」
女性声優でなくなったわたしも、もう一度掴み直せばいい。この子と一緒にい続けるために。
男子は声変わりが終わらないと受けられないんだろうか。そんなことすらまだ調べてないわたしだけど。声変わりしたら自分がどんな声になるのかだってもちろん知らないわたしだけど。
「いいね! 君が声優になったら、収録現場で会おうね!」
新たな一歩を、わたしは踏み出した。
この夢で本気の恋をしてはいけない 入河梨茶 @ts-tf-exchange
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