ぬいぐるみ

一河 吉人

第1話 ぬいぐるみ

「ええと、本屋、本屋……」


 買い物客でごった返す通路を、キョロキョロしながらゆっくり進む。地域最大級と謳う新しいショッピングモールは、宣伝文句に恥じない巨大さだ。お気に入り小説の新刊を買いに来た私は、人気に当てられすでに後悔気味だった。オープン直後は人が集まるに決まっている、大人しくネット通販しておくべきだった……。


「楽器店、眼鏡屋、手芸店……あれ?」


 備え付けのパンフ片手に通路の端をのろのろと歩く私の目に飛び込んできたのは、ファンシーなイラストと可愛らしい文字だった。手元の地図には手芸店とあるが、看板に記されているのは「ぬいぐるみショップ テオドロス」。


 フラフラと誘い込まれるように、私の足は店内へとひとりでに向かった。


 何を隠そう、私はそこそこのぬいぐるみ好きだ。ベッドサイドに並んだお気に入りの数は両手ではきかず、リビングのソファや玄関の靴箱、父の車に出張している子たちも多い。母は子供っぽいと笑うけど、小さい頃にあなたが作ってくれたウサギさんが原因だ。


 カラフルな内装の店内には、所狭しとぬいぐるみが並んでいた。熊や犬といった定番はもちろん、焼き魚(秋刀魚?)やリュウグウノツカイなど、マニアックな子もちらほら。かなり気合の入ったお店のようだ。


「いらいっしゃいませ、ごゆっくりご覧になってくださいね」


 チョウチンアンコウに顔を近づけていた私に、そう声をかけてきたのは店の奥から現れた店員さんだった。線の細い、温和そうな眼鏡の男性。めちゃめちゃガン見してたのを見られて恥ずかしい……。


「あの、地図には手芸店ってありましたけど」

「はい、ぬいぐるみ専門の手芸店なんですよ」


 そう案内された先の棚には、布や綿、目や鼻のパーツに洋裁用品が並んでいた。


「わ、すごいですね。こんなにたくさん。私も最近、ぬいぐるみの自作に興味があって」

「でしたら、ご相談に乗りますよ」

「いいんですか?」

「はい、何でも聞いてください」


 店員さんは嬉しそうに微笑んだ。母がぬいぐるみを作ってくれたのはあれっきりだったけど、いつか自分も挑戦してみたいと思っていたのだ。しかし、私はドのつく不器用。針仕事なんて細かい作業、手に負えなそうでなかなか踏み出せないでいた。でも、この人なら、この優しそうな店員さんなら――。


「私、あれをやってみたいんです。ほら、最近流行ってるじゃないですか、あみぐるみ」

「アァ!!??」

「ヒッ!?」


 店員は激怒した。目は釣り上がり、口元は歪み、優しそうな雰囲気はどこかへと消え去って、残ったのは一人の悪鬼羅刹のみだった。


「ここはぬいぐるみ専門店つってんだろ! あんな縫ってねぇやつと一緒にするんじゃねえよ!!」


 あまりの変わりように驚き思わず一歩後ずさった私を、切れたナイフと化した店員さんが一歩追い詰める。


「それとも何か? ぬいぐるみが好きだってのは嘘だったのか?」

「そ、それは本当です!」


 私はバッグを持ち上げ、吊り下げられている猫型のぬいぐるみを必死でアピールした。


「ほら、今もここに小さいぬいぐるみ付けてます!」

「コラアアァァアァ!!!!!!」

「ヒィィッ!?」

「目玉んとこ縫い付けじゃなくて貼り付けてあるじゃねぇかよ! これじゃぬいぐるみじゃなくて貼りぐるみだろうがよ!!」


 店員さんが今にも猫ちゃんを呪い殺さんばかりのオーラで言った。


「いいか! 目も鼻も口も、貼り付けは許さねえ。全部きちんと縫い付けなければ、ぬいぐるみとは認められない!!」


 彼は過激派だった。私は原理主義者の巣に囚われた、哀れな子羊だった。


「そ、そうですよね! やっぱりきちんと縫われたぬいぐるみのほうが可愛いですよね!」

「そう! そうなんです!!」


 私の言葉に、店員さんが元の菩薩のような顔に戻る。


「ぬいぐるみは本当に素晴らしい。世界中の人達を楽しませ、心を豊かにし、明日また頑張ろうという活力を与えてくれます」


 店員さんは愛おしそうに棚の上のぬいぐるみに目をやった。とてもさっきのアレと同一人物には思えない、温厚そうな佇まい。


「あみ――」

「アァ!?」

「――柄のぬいぐるみもいいですよね!」

「そう! そうなんです!! チェックのぬいぐるみも根強い人気ですね」


 ふう、危なかった。


「フェルトで作るのもいいですよね」

「そう! そうなんです!! ソフトな手触りが別格で」

「あの針でちくちくする――」

「羊毛フェルトは縫ってねぇだろうがよォ! あれじゃぬいぐるみじゃなくて刺しぐるみだろうが!! 叩き出すぞ!!!!」

「ぬいぐるみ、可愛いですよね!」

「そう! そうなんです!!」


 ぬいぐるみを褒めるとリセットが掛かる、切れやすいチャットAIみたいな人だ。よほど学習したデータが悪かったらしい。


「私、熊が好きなんです。ほら、テディベアとか」

「テディベア、素晴らしいですよねえ。近代ぬいぐるみの祖として、世界中で愛されているのも頷けます」

「あと、熊本の――」

「きぐるみはぬいぐるみじゃねえだろうがよォ! アイツらは中身が空っぽ、くるんでねえんだよ!! 猫と虎くらい違う!!」


 虎はネコ科だし、大体一緒ではないだろうか?


「北海道――」

「木彫りはぬいぐるみじゃねえだろうがよォ! あれはフィギュア、模型!! 犬と狼くらい違う!!」


 狼はイヌ科どころかイヌ属だし、ほぼ犬ではないだろうか?


「藁――」

「藁人形はぬいぐるみじゃねぇだろうがよォ! あれはただ藁を紐で縛っただけ! 縫ってない! イルカとクジラくらい違う!!」


 作ったことあるのかよ。


 しかしイルカとクジラの違いはサイズだけなので、実質同じ生き物だ。この人、さっきからわざとやっているのではないだろうか……?


「それに全然効果無えし、ただの燃えるゴミかっての!!」


 作ったどころではすまなかった。


「くそっ、思い出したらムカムカしてきた。あの女、絶対許さねえ……」

「ぬいぐるみってとっても可愛いですよね!!」

「そう、そうなんです!」


 私はまだ見ぬ女性の無事を祈った。


「3――」

「アァ!? 3Dプリンターで作ったやつなんて縫ってねえからダメに決まってんだろ!」


 反応速度が段々早押しクイズみたいになってきた。よく3だけで解ったな。


「あんな樹脂で固めたような、人の手を経てないやつは温かみが無え!! しかもな、アレはこうやってグルグル回って下から積み上げるように印刷していくんだぞ。完全にマキグソだろ!!」

「それは流石に言い過ぎでは……」

「ん? 確かにそうだな。マキグソと違って、硬すぎてケツに入らねぇからな」


 入れるなや。


「その点柔らかくて出し入れしやすいし、中でふんわり広がって密着感があってぬいぐるみは最高だぞ」


 いや最低だよ。


「そう! そうなんです! ぬいぐるみは最高なんです!!」


 自分で褒めて自分で感動している。永久機関だ。


 私は録音機能付きのくまちゃんに「ぬいぐるみって、本当に素晴らしいですね」と吹き込み、店員さんに手渡して店を後にした。願わくば、あの音声データが後のお客さんを救わんことを。

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ぬいぐるみ 一河 吉人 @109mt

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