坂の上の本屋にはバイトがいる

@ihcikuYoK

坂の上の本屋にはバイトがいる

***


「零次くんはクリスマス、なんか予定あるのー?」

「バイトですよ。年頃の人間の皆が皆、誰かと予定あると思わないでください」

帰り道に割引になったチキン買って帰って食うんです、と俺が嘯いたのは、バイト先の本屋の三軒隣にある、佐々木千歳&千鶴母子の住んでいる家であった。


 ひょんなことから両名と顔見知りになった俺は、父の死後あれこれ気遣われているうちに、気づけば彼女たちとおかしな友人関係のようになっていた。

 父の葬儀の際も世話になった。俺は出たこともない葬式の喪主となってしまい勝手がまるでわからず、本屋のおじさんに葬式関連の本はないだろうかと泣きついたら、たまたまそれを千鶴が聞いており、慌ててその母・千歳に伝えた。そして彼女の世話焼きっぷりが炸裂したというわけだ。

 父とはまるで面識がなかったにもかかわらず、本屋のおじさんと共にあれこれ手配を手伝ってくれ、挙句受付までやってくれた。世話になった周囲の人間には、改めて感謝しかない。


 あれ以来、「これから千鶴と七並べするのよー! ふたりじゃつまんないから零次くんも混ざりなさいよ!」だの「ごはん作りすぎたのよ! 食べに来なさいな!」だの「……零次さんの都合が悪くなければ、ぜひ」と連れ込まれ、佐々木家にすっかり入り浸っていた。


 父子家庭で育った俺は、父亡きあと完全に身寄りを失った。

 世話焼きの千歳は、天涯孤独の身の上となった俺を、たぶん愛娘の未来の姿に重ねて憐れんでいたのだろう。千鶴も、千歳がいなくなると頼るあてをなくしてしまう。親戚付き合いのまるでない家庭の娘だった。

 とはいえ、まだ高校生の千鶴と違い俺は大学生、それもちょうど成人したところである。世間知らずには違いないのでやや心許なくはあるが、幸運なことに地域住民は優しく、相談できる大人もいた。ひとりで生きていけないような、幼い年齢でもなかったのが不幸中の幸いであった。


 ただ、父のいなくなった一軒家はいつも寒々しく、いつも俺からなにかしらの気力を少しずつ黙って奪ってゆくのだった。

 もともと、あまりよい父子関係ではなかった。悪い、と言ってしまえるほど積極性のある悪さじゃなかった。父は俺がなんとなく苦手で、俺も父がなんとなく苦手だった。親子というより、いまいち親しくなれないままの同居人という感じだった。

 自分の家だというのに俺は本でも読んでおらねば家にいられず、父もいつもあまり居心地がよくなさそうだった。帰ってくるなり、風呂に入ってすぐ寝てしまうような人だった。どうせ話すこともないし、顔を合わせているのが気まずかったのだと思う。

 小さい頃はまだあの人も気を遣って、共に本屋へ行ってなにか買い与えてくれたりしてくれていたものだが、俺が中学に入るころになると思春期も相まって、みるみる関係が希薄になっていった。

 父は俺に深く干渉しなかったし、俺も父には積極的に関わらなかった。三者面談前に、教師との話題に上るであろう進路希望などをざっくり確認されるくらいだった。

 葬式のとき、父の会社の同僚と名乗った人たちが泣いているのを見て、あの人が死んで泣く人間がいる事実に内心驚いた。いい人だった優しい人だったと口を揃えて言ってくれたが、その人たちが語る父の姿は、俺の知る父と違いすぎて別人の話を聞かされているようだった。

 なんの現実味もない、父の人柄の話。俺の知らない、優しく親切だったという男の話。


 父の死後、なんとなく父とのSNSでのやりとりを読み返してみたら、本当に必要事項のみが往来していて乾いた笑いが出た。自分が学生じゃなくなったら、就職をしたら、きっとこの人との縁もこのまま切れてしまうのだろうなとなんとなく思っていた。

 その前にこうした形で切れてしまったわけだが、数年前に余命宣告をされた話も聞いていたし、あまり驚きはなかった。


 結局、どう接したらいいのかわからないままの人であった。そのわだかまりが解消しないままだったので、どこか宙ぶらりんな気持ちだった。恨む気持ちはないが、もうちょっとやりようはなかったのだろうかと思ったものだ。

 小説に出てくる親子というのは大抵、佐々木親子のように仲が良かったり、ドラマティックに憎み合ったりしていたものだが、それらのどれを読んでもまったくピンと来なかった。うちは、なんとなくいた人が、またなんとなくいなくなってしまっただけなのだから。

 俺と父は、たぶんよく似ていた。関わり方がわからない相手からは、そっと距離を置くのだ。

 あの家は、俺の家ではなく父の家だと思っていた。だからこそなおのこと、父のいない家は他人の家に勝手に住んでいるようで落ち着かなかった。


 なので、千歳たちの気遣いは俺にとってありがたい話だった。

 バイトが終わるときに千歳か千鶴がいれば家に呼んでもらえ、食事や風呂がもらえ、ついでに泊まって行けばと言ってもらえるのだ。父の家に帰らずに済むのは、ありがたいことだった。

 だが毎度世話になるのも、そろそろ申し訳なかった。いくら二人が優しくても、赤の他人の俺が甘えるには限度があるだろう。家に居づらいのなら、引っ越しをすればすむ話なのだ。ただ、整理をする時間と金がもったいないし、なにから手を付けていいかわからないから、結局そのまま住んでいるだけで。

 春までに引っ越そうか、とぼんやり思う。


「ね、暇ならうちでクリスマスパーティーしましょうよ!」

「パーティー? 盛大な響きですね」

その声に、パッと顔を上げた千鶴と目があった。慌てて、また目を伏せられた。

 会う頻度が高いのでそれなりに仲良くなったつもりだったが、向こうはそうでもないのかもしれない。

 千鶴は男が苦手なの、と千歳から聞いていた。

 普段気弱なはずの父親が酔うと暴力を振るう男だったらしく、暴力を振るいそうなわかりやすい厳つい男も苦手だが、父親と印象が被る気弱そうな男も苦手なのだと言っていた。

 零次くんはそのどちらでもないから、慣らし運転にはちょうどいいのよ、と千歳さんは言った。

「暇じゃないですよ、バイトあるんですから」

「もォ~若いのにバイトごときでなにを言うのよー! バイトだけしてクリスマスが終えられるっての~?? ガツガツしなさいよもっと」

「若さ関係ないです」

 おっさんになっても、きっと俺はクリスマスには暇をしていると思う。

 学校行事以外で、ああいったイベントごとをやったことがほとんどない。クラスメイトからクリスマス会に呼ばれたときに、あんな物語の中みたいなことを一般家庭でやるやつが本当にいるのかと思っていたら、結構普通に行われているらしくて驚いた覚えがある。


「ふたり分って意外と売ってないのよ、ケーキもチキンも奇数ばっかり。ちょうどいいから3人でしましょ!」

「小さい子もいないのにパーティーするんですか」

「あら、ちーちゃんは未成年だし私だって永遠の18歳なのよ。零次くんだけなんか成人してるけど、学生なんだからギリギリ子供みたいなもんでしょ」

「どこからツッこんだらいいんだ」

勝気な顔の上で、真っ赤な口紅がキュッと弧を描き口角を上げた。

「可愛い千鶴さんと麗しい千歳さんと過ごせるのよ、楽しみでしょ?」

「夕飯食べるだけなら普段と同じじゃないですか……? あっ、チキン齧れば一応クリスマスか」

チキン齧るだけで終わらせるわけないだろうがっ! と机を叩かれた。

 千歳さんはなにを一生懸命になっているのか。


「仕方ないわねー。零次くんがそんなに言うなら、プレゼントでも買いっこすればいいのよ! そしたら多少はクリスマスっぽいじゃない」

ねっ、ちーちゃん! と突然呼びかけられ、俺の横で黙っていた千鶴が慌てて頷いた。

「俺はバイトしてるからまだいいけど、千鶴さんは」

お金ないでしょう、と言い掛けたら、

「それはっあの、大丈夫です……、最近、受験勉強で本読めないし、買えていないので……」

お小遣いが残ってます、と続いた。

 そのわりにいつも本屋には来る。習慣なんだろうなと思う。わかる……。本屋とは意味も用もなく通える場所だ。


「そっか。千鶴さんは受験生か」

「零次くんとおんなじ大学行くのよねー?」

「……うん」

へーと口から漏れた。

「学部なに?」

「零次くんとおんなじとこよねー?」

「……うん」

へぇー、と間の抜けた声が漏れた。

 あのキャンパスはここから一番近いのである。何を隠そう俺は近さを理由に選んでいた。一人娘だし、千鶴も家から通いたいのかもしれない。母親をひとりにするのが心配なのだろう。

「勉強、なんかわからないとこあったら聞いて。今の俺で答えられるかは甚だ疑問だけど」

「はい。ありがとうございます……」

と、はにかむように微笑んだ。

「やったわねー、ちーちゃん。現役大学生の家庭教師をタダでゲットよ!」

「言っても、飯代とか風呂代とか結構かかってると思いますよ」

 食費くらい入れると言うのだが、そんなのもらっちゃったら、逆に献立とか色々気を遣わなきゃいけなくなるでしょうが! と、現金の類はいつも突っ返されてしまう。仕方がないので千鶴にオヤツなりなんなりを買って持ってきてやるのだが、律儀な千鶴は恐縮してしまって、いちいちお返しを渡してこようとするので阻止するのが大変だった。

 渡す品も食べ物のような消え物にしないと、わざわざ机の上に飾ったりする娘なのである。


「予算どうするー? 500円とか1,000円以内にする?

 ちーちゃんの懐も気になるし、ほんとにちょっとしたもののほうがお互い気を遣わなくていいと思うのよね。安ければスベっても傷が浅くてすむしさ」

「……。プレゼントとかわからないんで本当にスベりそうだ」

 プレゼント交換、という概念が俺にはなかった。交換せずとも欲しいものを自分で買った方が早くないか……? 謎の文化である。

「まーなにせ零次くんは、デートに誘ってくれた女の子をいつもの本屋につれてって、その子ほっぽっていつも通り過ごしてたらいつの間にかとっくに帰られてて、始まる前にすべてを終わらせるような男だもんね」

「、なんでそんなこと知ってるんですか? え、怖……」

「本屋のおじさんに無理やり聞いたのよー、零次くんの弱み握りたくてさー」

「俺はいいですけど、……いやあんまりよくないけど、おじさん困らせるのはやめてくださいよ、あの人本当にいい人なんですから」

俺に気を遣い困りきっているのを、千歳にガンガン攻められて押し切られるさまが目に浮かぶようである。


「……本屋さんで、デートしたんですか?」

隣で、千鶴が巌のように身を固くしていた。

「あぁまぁ、デートってほどいいもんではなかったよ。それもずいぶん昔の話だし。遊ぼうって言われて出掛けただけだった」

中学くらいのときの話だと思う、だいぶ前の話だ。

「……デートですよ、それ」

「大不評だったし、あっちはそんな勘定に入れてない気がするけど」

どこでもいいよ、おすすめのとこに連れてって、と言われたからいつもの本屋に連れていったのだが、「寂れた本屋に連れていかれた挙句、会話もなにもなくそのまま放置された! ひどい!!」と言いふらされてしまったのだ。

 どうやら本屋じたい、その女子には不満だったらしい。だったら提案したときに言ってくれ、知らないよ。

 その子の盛大な愚痴を聞かされた友だち連中から、俺は放課後呼び出され「本屋とか放置とか会話もないとか、なにもかも全部ありえないでしょ、いやだったなら最初に断りなよ、可哀想じゃん」と苦情まできてしまった。

 別に嫌だったわけではないし、おすすめのところにと言われたからいつもの本屋に連れて行っただけなのに、ずいぶんな言われようだった。

 その友人らが言うには、その子は海やら隣街のクレープ屋やら映画館やらに行きたかったらしいのだが、言われてもいないのにそんなこと知るわけないのであった。


 あそこは子供の頃から通う気に入りの本屋だし、店主のおじさんもいい人なのに俺のせいで悪く言われた、申し訳ないという思いと、その子には確かにまぁ悪いことをしてしまったのかもしれないが、そんな言い方ないだろう、言いふらすことないだろうという思いとで、俺もそれはまぁ気を悪くしたのであった。

 しかしなぜか翌日、

「ね、みんなからきいた? よね?

 本屋はないってわかったでしょ、今度こそどこか綺麗なとこで遊ぼうよ、ねっ」

と、また遊びに誘われた。

 だが俺はすっかりその子のことが苦手になっていたので、

「……別のやつ誘えば。行きたい場所もやりたいことも、あるなら最初に言えばいいのに。面倒くさ……」

と言ってしまい、「ひっど~!! キツすぎない!?」と、また女子連中から顰蹙をかってしまった。

 しかしそういう言動に振り回されてきたであろう男子たちには「よく言ってくれた零次!! いいよな本屋、屋根あるし近いし金掛かんないし! 俺は行かないけど!」と、フォローしてるのかしてないのかよくわからない称賛をされ、持て囃された。

 どっちにしろ面倒なことになった、というのが正直な感想だった。


 千鶴がボソリと呟いた。

「……本屋さん、楽しいですよね」

「うん? あぁよかった、仲間がいた。まぁ会話なかったのが気にくわなかったらしいから」

そもそも俺のせいであって本屋のせいじゃないんだ、と頷くと、千鶴はちょっとふくれて俺を見た。

「……零次くんってほんと朴念仁ね~。こりゃあ、来年も3人でパーティーかしら」

「なんですか、突然の悪口やめてください。ウザいくらいここで凹みますよ」

「悪口じゃないわよ、朴念仁は零次くんの愛すべき個性でしょ。そういうとこが好きって子と付き合えばいいのよ」

また勝手なことを言うのだから。コミュ強の千歳のアドバイスは、だいたい参考にならなかった。

「そんな酔狂な人はいません」

「いるわよ」

「います」

千鶴まで即答したが、俺は首を振った。

「いません。会ったこともない、そんな奇特な人」

「はーん?? 気づいてないだけよね~?」

問われた千鶴は俯いていたが、グッと顔を上げた。


「……っ、零次さんのいいところがわからないような人となんて、遊びに行っちゃ駄目ですっ」


「よく言った! いいぞー、ちーちゃーーん!」

「いや……、しちゃ駄目もなにも、あれ以来お呼びがかからないんだよ」

「自分から誘わないわけ。大学で女友達できてないの?」

「あんな酷評されたら、怖くてもう誰も誘えませんよ」

なんだこのいくじなしィー! と言われ、憮然とする。

 なぜ男だからとこちらから勇気を奮い誘わねばならないのか、と思ったが、言われてみれば確かに俺は、自ら女子を誘って遊びに出掛けたことなどないのだった。

 よく言われる受け身って、こういうことなのか? 俺は受け身なのか? 日々楽しく暮らしているだけなんだが……?

 一瞬あれこれと考えたが、すぐにどうでもよくなった。

 あれこれ考えてあれこれやってダメ出しされるくらいなら、このままでなんの不満もないと改めて思い至ったのだ。


「別にいいです、そういうのは。毎日楽しいし」

ちゃぶ台を叩かれた。

「~~ッなにもよかないわよこの野郎、私今回はうちのちーちゃんも結構頑張ったと思うわけ!」

「!? やだ! やだやめてお母さんやめて」

やめて……、と涙目になってしまった。

 千鶴は泣き虫なのである。いつまでも小さな子供のような繊細さを持った娘だった。

 笑うとなかなか可愛らしいのだが、俺のバイト先の本屋でも、知り合いと思しき男子に突然声を掛けられ怯えた顔でフリーズしていたりする。会う頻度が高いぶん自分には慣れてくれたほうだと思うのだが、それでもたまに言葉につまり、真っ赤になって固まってしまう。

 自分が頻繁に家に招かれるのも、ひとりとなった俺への気遣いはもちろんあるのだろうが、千鶴のリハビリもあるのだろうなと思う。なにせ世界の半分は男、苦手だからと無視するにはあまりにも人数が多すぎる。


 千歳は千鶴が心配で仕方ないのだろう。

 うちの父親が亡くなった一件で、より痛感させてしまったに違いない。片方しかいない親が亡くなったとき、その子供がどうなるか。

 実は片付けの最中に気が緩み、うっかり泣いてしまっていたのを千鶴に見られ抱き締められ、慰められているところを千歳に見られてしまった。

 これは一生からかわれるなと覚悟していたが、見た瞬間に軽くイジってきたくらいで、あれ以来ふたりともあの一件についてひと言も触れてこないのであった。


***


 課題は早々にすませておきたい性質である。

 その話が出た翌日には、大学の授業中もバイト中も、なにを買うかの思案を始めていた。

 だが改めて思ったが、親世代の女性や女子高校生とは一般的に、なにをもらったら喜ぶものなのか。

 そもそも女性の好みなんて知るわけないのである。

 うちは父子家庭だった。父は女っ気がなかったし(気づかなかっただけかもしれないが)、俺に至ってはデートでクラス女子全員から顰蹙をかうような男だ。自分で考えてロクな答えが出るわけなかった。


 早々に自分で考えることを諦めた。

「うーん……。佐々木親子とは仲いいんだし、君が選べばなんでも笑って受け取ってくれると思うよ?」

それこそ千鶴ちゃんなんか、なんでも大喜びしてくれるんじゃないの? と、バイト先の本屋の店長は言った。

「千鶴さんが大喜びするとこは想像つかないです……」

気を遣った笑みを浮かべるさましか想像できない。年頃の娘さんに、あまりおかしなものは渡したくない。気を遣わせるのも嫌だ。

「おじさん確か結婚してましたよね、クリスマスはなにか贈るんですか」

「お友達とのクリスマス会とは予算が違うから、きっと参考にならないよ……?

 毎年、妻にも娘にもアクセサリーをたかられるんだよ。もうね、完璧に指定されるの。雑誌の切り抜きを渡されてね、『パパ、これのこの色を買ってね。この紙を持って行けば確実だからね』って」

僕のセンスじゃ不安だからってさ、ひどいよねぇ、と困ったような微笑みで言われたが、心底羨ましく思った。

 指定されることの何が嫌なのか。

 散々考えた挙句にスベる、という地獄を回避できるだけ、そっちの方がよっぽどありがたいだろ、としか思えなかった。おじさんは親切で素晴らしい妻子をもっている。きっと、おじさんのように性格が良いとそういう家庭がもてるのだろう。


 チキンが食えるしホールのケーキも食える、と最初は安易に楽しみにしていたものだが、なかなかの難題を振られたなと改めて思った。

 500~1,000円の予算なんて、正直俺には本くらいしか浮かばない。それこそ1冊買えばちょうどいい額だろうと、いつもの本屋でバイト中に見繕ったりもしてみたが、千歳はまったくといっていいほど本を読まない上に「零次くんてば芸がないわねー」と言ってきそうだった。千鶴に至っては、あの読書家が読めないほど受験勉強に勤しんでいるのである。あまり勉強の邪魔はしたくなかった。


 自転車に乗り雑貨屋を巡ること数件、日だけが過ぎ、気持ちだけが焦り、もはや途中でなにがいいと思えたのかすら、だんだんとわからなくなってきた。

 散々悩んだが、期日は明日である。もう悩む時間もない。ヤケクソで掴んだ。


 もうなにもわからない!! これでいいことにする!! 知るか!!


 当日のバイト終わりには、憂鬱さはすっかり抜けていた。もう買ってしまったものは仕方ない。俺は俺なりに考えに考えた。長考したしベストを尽くしたと言ってもいい。もしスベったとしても、あのふたりならきっと笑ってくれるだろう。

「零次さん」

裏口の戸を開くと、制服姿の千鶴がいた。コートにマフラーに耳あてと、着ぶくれてモコモコしていた。千歳が心配してあれこれ持たせたのだろう。

「学校帰り? なら一緒に行こうか」

ハイ、と素直に頷き隣を歩いた。

 下げていた紙袋が目についた。千歳に頼まれ、途中で売っていたホールケーキを買ったらしい。

 千鶴さんは俺たちになにを買ったんだろう、と思う。奇抜なことをする子じゃないし、案外すごく普通にセンスのいい(俺にはどんなものか見当もつかないが)贈り物を選んだのではないだろうか。

 千歳のことだから、千鶴のためにクリスマスのお祝いごとだってしてきただろうし、こういうイベントには慣れているのかもしれなかった。


「おかえりー」

「ただいま」

「お邪魔します」

 佐々木家には、すでに千歳さんが帰っていた。チキンだのなんだの、クリスマスっぽい雰囲気のものがあれこれ並べてあった。和室のちゃぶ台にクリスマスチキンが乗ってるの面白いな、と俺はつまらない感想を抱いた。

 いつも通り和やかに食べ進めるうち、千歳が口を開いた。

「なんかね? こういうとき、どう遊ぶのかわかんないから、ウノとかトランプとか用意したんだけど」

「それだといつもと同じですね」

そうなのよ! いつもと一緒なの! と声を張った。


「だからさっさとクリスマスぽくするわよ。プレゼント出して! 零次くんからね」

最初かい、という気持ちになったが、何番だったとしてもきっと俺の落ち着かなさは変わらないだろう。

「あっ、はい、じゃあふたりとも。どうぞ」

それぞれに、ラッピングされた袋を差し出した。

 正直、心臓は不整脈を起こしかけていた。これはスベったとしても俺のせいではない、クリスマスにプレゼントの交換なんてしたことがない。難易度が高すぎる。

 それも母親世代の女性に、年の近い少女に、である。プレゼント初心者にはあまりにも難易度が高すぎるのだ。

 俺はデートに寂れた(別に寂れているとは思わないが)本屋を選び、会話もなく女子を放置し先に帰られ、あとでクラスの女子たちから呼び出されクレームを受ける男なのである。

 今さらだが、頓珍漢なものを選んでしまった気がする。


「あっ、マグカップじゃない! 私のこないだ割れたとこなのよー」

可愛いじゃないありがとー、と言われ、俺は心の底からホッとした。

「壊れたとこだったんですか……」

「? そうよ? それで買ってくれたんじゃないの?」

「たまたまですね完全に。セーフ……!!」

あらー、この棚ボタ野郎ーと言われたが、そんな野次は吹き飛ぶくらい安心していた。


「ちーちゃんは? トンチキなものもらえたー?」

「チクチク言葉を言うな、簡単に泣きますよ俺は」

千鶴は包みを覗いてポソリと言った。

「綺麗なノート……」

「いや、あの、受験生だと思ってたらノートに行き着いたっていうか」

よくよく考えたら、千鶴の息抜きためのクリスマスで受験の現実に引き戻してどうするのか。

 色違いでいろいろと買ってみたものの、やっぱり失敗してしまった気がする。

「可愛い……」

千歳が横から覗き込んだ。

「あら、箔押し加工のちょっとイイやつじゃない」

「? 箔押しっていうんですかそれ? 案外こういうの自分じゃ買わないかと思って……」

高校生の女の子にノートってどうなんだ? と今でも思うが後の祭だ。


 千鶴は頬を赤く蒸気させ、取り出したノートの表面を優しい手つきで何度も撫ぜていた。奇跡的に好みをかすって喜んでいるのか、つまんないものをもらってしまったとドン引いているのか、まるで判別がつかなかった。

 赤くなったまま、顔を上げ俺をみてはにかんだ。

「――零次さんありがとう、すごく嬉しいです。大切に使います」

「あ、うん。つまらないものですが……」

 千鶴の優しさに救われた心地である。

 好みだろうとそうじゃなかろうと、こういう言葉を選んでくれる子で本当によかった。胸を撫で下ろした俺に、千歳さんがしれっと言いはなった。

「心配いらないわよ。ちーちゃんは零次くんがくれるなら、ダンゴムシだって喜んで転がす子よ」

「こ、転がさないよ……!」

「そんな頓珍漢なもの渡してたんですか俺……。スベった? 本当はスベってた?」

「そんなことない、そんなことないです! 嬉しかったです……!」

と千鶴は真っ赤になって首を振り、ノートを抱き締めた。

 大事そうに見えた、ということにしよう。これ以上考えても、どうせなにもわからないのだし仕方ない。


「じゃ、次ちーちゃんねー」

あ、うん……と紙袋から取り出すと、「あの、どうぞ……」と渡された。

 クリスマスプレゼントなんてもらうの、そういえば初めてだな、と思った。


 ――ん?


 想像もしていなかった可愛いらしい物体と、目があった。

「クマさん」

口から見たままの音が出た。

「あのっ、あのっ! ち、違うんです!」

「えっクマだよね? これクマじゃなかった?」

クマですよ、クマですけど、と千鶴は悲鳴のような声で続け、上げた顔は首まで真っ赤だった。

「私、私、男の人にプレゼント選んだことなくって、たくさんお店も回ったんですけど、回っているうちにわからなくなってしまってっどうしようかと思ってたら、なんか……目があった気がして……、可愛かったから……」

零次さんおうちにひとりだし、置いてあったら寂しくないかなと思ったんですけどやっぱり変ですよねごめんなさい……、と顔を覆ってしまった。

「あーでもわかるわ~、零次くんてクマが好きそうな顔してるもの! クマ欲しがり顔よね」

「言われたことないんですが、そうだったのか」

千鶴は真っ赤になっていた。全然赤みが引いていなかった。

「……よくよく考えたら男の人にぬいぐるみなんて絶対ヘンなのに……小さいものとはいえ……」

なんで買っちゃったんだろう……、と泣き出しそうになっていた。

 俺は慌てて首を振った。

 千鶴が述べた悩みの変遷に、同意する気持ちしかなかった。あまりにもわかりすぎる。


「そんなことないよ、ありがとう千鶴さん。こいつの名前は熊五郎にする」

ぶっと引き出した。千歳だった。

 千鶴も耳を真っ赤にして肩を揺らしていた。

「零次くんなにそのネーミングセンス……っ、太郎から四郎はいまどこにいんのよ」

「そりゃ、よその家にもらわれていったんでしょう」

「その子ってオスだったんですね……? それも、日本の……」

「クマはオスの方がデカいし格好いいよ」

あ、でもメイドインチャイナって書いてあるからたぶん留学生だ、と続けると耐えかねたのか佐々木母子は腹を抱えひっくり返った。

「……そんなにヘンですか? どう見ても熊五郎って顔してるのにな」

「顔は完全にミッシェルでしょ、きっとアメリカ系中国熊よ」

「ぬいぐるみの名付けってクマポンとかじゃないですか……?」

三人とも互いの発言に、えぇ~~?? と漏らした。


 愛娘からの包みを開ける前に、千歳がおもむろに新たな包みを出してきた。

「……トリを飾りたかったけど仕方ないわね。この流れ、次は完全に私が出すべきだわ」

はい零次くん、と渡された。首を捻りつつ、リボンを解いた。

「? また俺ですか? ありがとうございます……、? って、ちょっと!」

小首を傾げた千鶴に向けて、袋から掴みゆっくりとふわふわの顔を覗かせた。


「まさかの2匹目だ……!」

それも、同じ種類の色違いだった。

 耐えきれなくなった千鶴が、ひぃ~と笑いながら泣いて倒れ伏した。

「あなたがた、ほんとに親子だなぁ……。クマ大好き母子じゃないですか」

「違うわよ零次くんのせいよ、零次くんがいつもクマ欲しそうな顔してるからよ」

「そうです零次さんです、零次さんがクマを呼び寄せてるんです」

泣きそうな顔をして気に病んでいた千鶴まで、珍しくふざけており安心した。

 呆れつつも、笑いが漏れた。なかなか悪くない日であった。


「名前は? 私のあげたクマにだって、当然名づけて可愛がってくれるわよねー?」

改めて二匹目の顔を見た。

「名前? 熊吉」

「ちょっとここは兄弟熊が再会するとこでしょ!? 熊三郎じゃないの??」

「いや、これは赤の他熊ですよ。毛色が違う、千鶴さんのは優しい顔してたが、こいつは凛々しい顔してる」

「異母兄弟かもしれないでしょ?」

「絶対違う、こいつは南米育ちの日本熊だ」

「またオスの留学生熊なんですね……」

「きっと俺の家は留学生に人気なんだろうな。外国人作家の本もあるから」


 ふと思い至り、ポロリと口から漏れた。

「うちの家、人間よりクマの数のが多くなった」

「もうやめて」

目尻を拭う千歳さんに肩をド突かれた。


Fin.

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