曖昧な記憶

井上 幸

曖昧な記憶

『あなたのお友達お返しします』


 そんな奇妙なメッセージと共に、手のひらサイズのぬいぐるみが届いた。

 宛先は間違いなく僕。送り主の名前に心当たりはなく、電話番号も無効。住所に至っては存在しない場所だった。

 仕方なく、再びぬいぐるみへと意識を戻す。元は真っ白だったであろうふかふかの毛並みは薄汚れていて、直接手に取るのは躊躇われた。箱を覗き込み、まじまじと見つめてみても思い出せなかった。

 キッチンへと使い捨て手袋を取りに行く。キュッキュと響く音は好きになれないが、自分を穢れから守ってくれると思えば有難い。ようやく箱から取り出せた。長い耳に丸い尾っぽ。困り顔の虚ろな目でこちらを見ている。

 やはり記憶の何にも引っ掛からない。溜息を落として洗面台へ移動する。ぬるま湯にそれを浸してゆっくりと押し込むように洗う。引くほど湯が黒く変色した。湯を換え、洗剤を溶かして二度、三度。色がマシになるまで繰り返す。無心で手を動かして、すすいでぎゅっと絞ってみれば、深い紺色の瞳と目が合った。


『僕たち、ずっと友達だよ!』

『うん、ずっと友達!』


 はっと息を呑む。

 記憶の中で僕に話しかける、吸い込まれそうな星空の瞳を持つ彼は誰?

 指切りをしようと伸ばした小指に触れたのはふかふかの手触り。不意にその感触が消える。


『ほぉ、動くぬいぐるみとは面白い』

『おじさん、誰? それ、僕の友達だよ。返してよ』


 そして記憶は途切れる。手の中のはぐったりしたまま動くことはない。


「この記憶は一体?」


 混乱する頭で、しかしとにかく今はに集中しよう。直射日光に当たらない場所にシートを置いて陰干しする。まだ早春の光。乾くまでには時間がかかる。


「早く起きて。一緒にこの謎を解き明かしてくれよ」


 ぽつりと溢れた言葉に自分で驚いた。そうだ、こんな風にいつもは僕の相談役。どうして忘れていたんだろう。こんなに大事な相棒のこと。

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曖昧な記憶 井上 幸 @m-inoue

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