第9話 親思う子ども心
二十、
郊外とは言え、二百万都市の街中で熊に注意することになるとは思いもしなかった。
札幌中心部の大通公園から南に約一五キロ。南区
真駒内は、札幌市の最南端に位置し、南北に細長い地形で東西を山林に囲まれている。山林と住宅街との間は果樹園と畑で隔てられていた。近年は、農家の廃業が相次ぎ、耕作放棄地が広がり始めた。結果、人間と野生動物の境界線があいまいになり、春から初夏にかけて住宅街にもヒグマが出没するようになった。
禍々しいヒグマのイラストが入った「熊注意」のポスターがいたるところ目につく。きょう訪れる佐々木洋子・真帆母娘の家の近くにある公民館の掲示板にも貼られていた。
洋子からは、公民館の駐車場に車を止めるように指示を受けていた。車外に出ると、中心市街地と比べて幾分空気は冷ややかだ。万一に備えてヒグマ撃退用の辛子スプレーがハンドバックに入っていることを確認して、恭子は住宅街を歩き始めた。
季節は六月。北の大地が最も花で色づく季節だ。ライラック、スズラン、ラベンダーなどが道内各地で見ごろを迎える。だが、コロナ禍とヒグマ警戒の影響で真駒内の住宅街には、人の気配が殆どなく静まり返っている。
静けさの中だからこそ余計に、佐々木家の前に乗りつけられたハイヤーのエンジン音は耳についた。傍らに立つ老婦人が発する甲高い声も同様だ。老婦人に何度も頭を下げて宥めようとしているのは、洋子だった。
「…だいたい何の資格があってあんたは私に指図するのよ! そもそも嫁が姑に物申すなんておこがましいとは思わないのかい? 」
「夫が留守の間は、家を預かる責任は私にあります。お義母さんにもしものことがあったら、私が叱られます」
「だからって家に押し込めていい法があるもんかね。もう勘弁しておくれよ、あの子が家に居るかと思うと気が気じゃないんだよ。いつ意趣返しされるか心配ったらありゃしない」
「真帆は、孫じゃないですか。そんなお義母さんに何かするようなことは…」
「あんな娘、孫だなんて思ったことは一度もないよ! 何さ、いつも白目向いてあたしを見て、憎らしいったらありゃしない。まあ、あんたがそう手なずけてきたんだろうがね、自分の番犬として、何かあったら意地悪な姑に噛みつけってさぁ! 」
老婦人は叫び声を上げた後、口角をあげて冷ややかな笑みを浮かべていた。
年齢は七十歳くらい。ヘアスタイルは銀髪のショートボブ。口紅と爪のマニキュアの赤さが妙に目についた。羽織ったジャケットもその下のブラウス、パンツも高級ブランド品だ。
そんな義母に比べて、洋子は引きつめた髪を後ろで束ね、化粧気もなくインナーウェア姿だ。目の下に隈も浮かんでいて生活上の疲れがにじみ出ている。
諍いに巻き込まれないように、恭子は物陰から女二人の様子をうかがうことにした。数分後、ヒールの音を響かせながら老婦人はハイヤーに乗りこみ、走り去った。苦り切った顔でハイヤーを見送った洋子が家に入ったのを見計らい、恭子は、佐々木家の玄関前でインタフォンを鳴らした。
「ご覧になってたんでしょう。うちの義母の剣幕。普通、歳とともに性格は穏やかになるものなのに、最近、さらに剣呑になってきちゃいましてね」
恭子にお茶を出しながら、洋子はため息をついた。
「最近は、コロナでなかなかお出かけもできませんからね。お元気そうだから、かかるストレスも大きくなるんじゃないかしら」
コロナだから仕方ないですね――ということで恭子は受け流そうとしたが、それが気休めであることは洋子にもすぐ分かったようだ。
(気遣いは嬉しいけれど、義母との確執はそんな俄かなものじゃない。孫にさえあんなひどいことを言っているんだから、分るでしょう)
洋子の顔に浮かんだ寂しげな笑みからは、そんな胸の内が読み取れた。
娘の病気には複雑な家庭事情も絡んでいるのでは、と恭子の勘が働いたが、まずは娘の状態の把握が先決だ。恭子は頭を切り替えることにした。
「それで真帆ちゃんは、これから私と二人だけでお話するのは構わないとおっしゃってるんですね」
恭子の問い掛けに洋子は時計で時間を確認しながら答えた。
「昨晩も、明け方近くまで眠れなかったようですけど、午後二時を回ってますからもう大丈夫だと思います」
「お母さんには心苦しいところではあるのですが…」
「他ならぬ笠井さんが原田さんのことを間違いない人だと太鼓判を押してらっしゃるんですから。お任せします」
患者から強い信頼を得ている先輩・笠井の力量に恭子は改めて感服した。
二十一、
この日から一週間ほど前、佐々木母娘は、北斗医科大学病院の「新型コロナ後遺症外来」を訪れた。診療に立ち会った総看護師長の笠井は、母・洋子を交えずに娘の真帆から話を聞く機会を持つことを提案した。真帆が心の病になった一因には、母親にも話せない何らかの事情があるのではないか、と笠井は推論した。
笠井から見て、佐々木母娘は密着しすぎていた。病気を乗り越えるには,真帆の精神的な自立が欠かせない。そのためには、真帆が母親に対して押さえている感情を解き放つことも必要だと訴えた。
さらに笠井は、真帆との面談を恭子に任せることにしたと母娘に伝えた。
「原田恭子は、私の最も信頼する看護師です。必ず真帆ちゃんの心に抱えているものを受け止めてくれます」
笠井に全幅の信頼を置いている母娘は、提案に応じることにした。
また笠井は、この面談を恭子の立ち直りのきっかけにしようとも考えていた。病院での診療では、恭子が適応障害の発作を起こすかもしれない。病院外での訪問診療ならば、今の恭子にもできるのではないかと考えたからだ。
この日、恭子にとって、真帆と向き合うことは看護師としての再起をかけた挑戦でもあったのだ。真帆の部屋の前に立ったとき、緊張はピークに達していた。
病院では、診察室に近づくとどこからか恭子を苛む声が聞こえてきた。
「亡くなった患者に、どうお詫びるするんだ――」
「お前のやったことは許されてはいないぞ――」
だが、今は何も聞こえてはこない。
「――よし、いける!」
深呼吸した後、恭子はドアに向かって声をかけた。
「お邪魔します、原田です。真帆さんいいかしら?」
数秒、間を置いて返事があった。
「どうぞ」
ドアを開けた恭子を迎えた真帆の部屋は、全体が淡い黄色のトーンの寝具やカーテンで彩られていた。灯りはついていないが、窓から差し込む陽ざしを受けて部屋全体がほんのり明るく見える。
ミッフィーがお気に入りなのだろうか。かわいいウサギのキャラクターがデザインされた枕やクッション、チェアマットが目につく。
壁にはアメリカのプロバスケットボール、NBAのスタープレイヤーのポスターが貼られ、書棚にはバスケットボールを題材にしたコミックが並んでいる。
バスケット好きな少女の部屋の光景はだいたい同じようなものだろうが、娘の奈々のことが思い出されて恭子は自然と鼻の奥が熱くなるのを感じた。
「私、何からお話したらいいんでしょうか?どんなことでもお答えしますので…」
青白い顔に不安そうな表情を浮かべて真帆が問いかけてきた。椅子から立ち上がって出迎えた真帆の身長は、奈々や恭子よりもやや高く一七〇センチほど。顔は面長だが、目鼻や口は、こじんまりとしていて、神経の細やかさが感じられた。
ひと言話した後は、口元を強く真一文字に結んでいる。恭子は、緊張をほぐそうと優しく語りかけた。
「あなたから根ほり葉ほり話しを聞こうと思っているわけじゃないわ。きょうはね、私が以前やってしまったことについて、あなたの考えを聞かせてもらえたらと思っているの」
恭子に促されて椅子に腰かけた真帆は、怪訝そうな表情を浮かべていた。穏やかに微笑みながら恭子は話し続けた。
「私にもね、あなたと同い年の娘がいるの。バスケットが大好きなところもそっくりでね。自慢になっちゃうかもしれないけど、可愛くて男の子にももててね。文句のつけようがない子だったわ。でもね、男の子にもてることで、やっかみを買って、ひどいいじめを受けるようになったの」
自身の記憶に重なるところがあったのだろう。真帆の表情が悲しげに歪んだ。
「服や上履きを汚されたり、机に落書きされたりという目に見える形だけじゃなくって、LINEを使ったものもひどかったわ。同級生たちのグループの中で、根も葉もないことを流されたり、卑猥な画像と顔写真を合成したものを流されたり。
タイムラインと言うんだっけ。そこに画像を載せると仲間と共有ができて、最初に投稿した者が消してしまえば、誰が載せたのか分からなくなるんですってね。
本当に卑怯で陰湿! 娘は誰を信用していいか分からなくなってしまったみたいなの」
真帆は耐え切れなくなったのか、目を閉じてうずくまってしまった。
LINEのタイムラインは、「友だち」登録した相手に知らせたいことを一斉通知する機能だ。この機能が、いじめのターゲットになった子どもを攻撃するために、しばしば悪用されている。古い情報を削除する機能を使えば、いつでも投稿した画像を削除できて、形跡も残らない。しかも「友だち」の中で共有された画像は、Twitter等にも拡散される。
自分が手を付けた証拠を残さずに、SNS上でターゲットにした相手へ攻撃を仕掛けて、拡散できるという寸法だ。
「本当に心細くてつらかったと思う。でも、娘は私に何も話そうとしなかった。
私も娘の様子がどこかおかしいと感じてはいたけど、仕事に精一杯であまり真剣に考えようとはしなかったの。それが娘にも伝わったのかしらね。この人に話しても無駄だと思った、と後で言われたわ。楽になるには死ぬしかないと思った娘は自殺を図ったの」
死ぬしかない…と言ったあたりから恭子の声は震えていた。こみあげてくる自責の思いで一旦、言葉が途切れたが、こらえて話しを続けた。
「何とか娘は命を取り留めたけど、サインを見落とした私を娘は許してくれなかった。
確かに自殺未遂を防げなかったことは罪深いとは思ってる。
でもね、どうして本当に困った時、助けを求めてくれなかったのか。どんなにいじめがひどいものか、もっと私に向きあって話してくれなかったのかという悔しさがあるのよ。
娘に信じてもらえなかったことが悔しくて…こんなこと思うのは、ひとりよがりのわがままでしかないのかしら…」
訪問診療のはずが、いつの間にか自分の感情を吐き出す場になってしまっていた。
――『相手から話を聞き出そうとするんじゃないよ。あんたが娘さんとの間に抱えている気持ちをぶつけてみるんだ。あの子はきっと答えてくれるし、心の中に抱えているものを吐き出してくれるはずだから』――
出かける前、笠井にかけられた言葉を恭子は改めて思い返していた。果たして真帆はどう答えてくれるだろうか。
「娘さんは…、原田さんが信じられないから助けを求めなかったわけじゃないと思います。原田さんが大事な人だから何も言わなかったんだと…私は思う」
恭子の視界が涙でかすむ中、顔を上げた真帆は、ためらいがちに語り始めた。
二十二、
真帆がLINEでいじめられるようになったのは、バスケットボール部員の間での練習に取組む姿勢をめぐっての諍いがきっかけだった。
真帆のいる中学のバスケットボール部は、道内大会で常に上位の成績を収めている強豪だった。自分たちの代で何とか全国大会に駒を進めたい。真帆は、その急先鋒で、練習に取り組む姿勢の熱心さでも顧問の教師や先輩たちから期待されていた。
だが、その優等生ぶりが気にくわないという同級生のグループが現れる。
特に合宿中に新型コロナのクラスターが発生してからは、練習中に大きな声を出して周りに指示を出していた真帆が感染を広げたのだと、LINE上で中傷を始めた。
結局、感染ルートは分からないままだったが、LINEの効果によって、バスケット部だけでなく学校全体に「真帆がコロナ感染を広げた」という噂が広がってしまった。
「LINEで私がコロナを広げたって言われている時も何も言いませんでした。
だって、そんな問題が起きているって知れたら、家の中でママを守ってあげられなくなるから。私、ママのために完全無欠じゃなきゃいけないって思っていたんです」
真帆のその後の証言から、彼女の心の病には家族の問題が深く絡んでいることが分かってきた。
真帆の生家である「佐々木家」。
道東の釧路市発祥で、現在、北海道内全域に百を超える食品スーパーチェーン「ササキ」を展開している企業グループのオーナー一族だ。
拓銀破綻後の北海道では、地域に古くからある中小零細企業の倒産・廃業が相次いだ。
その一方で、郊外型のホームセンターや、雑貨店、ドラッグストア、食品スーパーの中には、中小零細業者が潰れた後、地域の顧客を一気に取り込んで巨大化し、全国展開するまでに急成長する流通チェーンも現れた。
ニトリ、マイカル、ホーマック、ツルハドラッグ、などなど。
流通業界の「北海道現象」とも呼ばれている。
「ササキ」はそれほどの巨大チェーンではないものの、拓銀破綻後に地場の零細業者が姿を消した後の「焼け跡」で急成長した食品スーパーである。
成長戦略を担ったのは、二年前に亡くなった先代の社長。真帆の祖父にあたる。父である現社長・佐々木
母の洋子は釧路の店舗でパート社員として働いている時に、克典に見初められ、結婚した。だが、急成長企業のオーナー一族は、急激に名門意識を肥大化させた人々だった。
洋子は、拓銀破綻のあおりで廃業した釧路の小さな生花店の娘だった。生活苦から洋子の実家は一時、生活保護を受けていたことがある。
もともと息子の結婚に反対していた姑の律子は、そのことを論い、「貧乏人の嫁」だと言って洋子を蔑み続けた。
律子は、真帆のことを「孫だなんて思わない」と言っていたが、真帆もまた「おばあちゃん」ではなく、「あの人」と呼んだ。
「あの人は、貧乏になるのは人間として出来が悪いからだというのが口ぐせでした。
パパの考え方も基本的にはあの人と同じ。だからママと私を、あの人から守ってくれませんでした。私、悔しくて悔しくて。じゃあ、絶対あの人に出来が悪い人間だなんて言わせないようにしてやろうと思って、勉強もスポーツも人一倍がんばったんです。
がんばったから成績はよくなったし、バスケットもうまくなった。だけど、がんばればがんばるほど、友達と思っていた子がどんどん離れていって。そこへコロナの流行が私のせいだって噂が流れて、私、学校へ行くのが怖くなってしまって…」
真帆が不登校になったことで、律子は再び洋子をいびり始めた。
『学校に行けないなんて、あの子は一家の恥だ』
『あんたみたいな貧乏人の子どもだから問題を起こすんだ』
自分のせいで母・洋子が姑の攻撃にさらされるのを垣間見て、真帆は強い自己嫌悪に陥っていった。
「ママのこと大好きだから。せっかくママのこと守ってあげようと思ってがんばってきたのに、不登校なんかになってしまって。そんな自分のことが嫌で嫌で、情けなくって…。
それでリストカットをくりかえすようになったんです。
こうやって自分を傷つけていれば、私のせいでつらい思いをしているママに許してもらえるような気がしたから…」
真帆の話を聞きながら恭子は、涙があふれて目を開けていられなくなった。
(子どもって、こんなにも親を大事に思うものなんだ。親の存在ってここまで子どもの生き方を左右するものなんだ…)
幼少期に両親と死別した恭子は、親に自分の成長や頑張りを見せて喜んでもらった経験がない。そのために思春期を迎えた娘の感情を測りかねるところがあった。
真帆の言葉は、思春期の子どもが親に反発することはあっても、心に深い愛情を秘めていることを教えてくれた。
それは恐らく、自分の娘・奈々にも共通するものであろう。
大事な人を悲しませたくない。心配をかけたくないと思うからこそ、いじめのあまりに深刻な実情を言えなかった奈々の思い。恭子への愛情。
(私は、奈々の心が離れてしまったことを嘆くばかりで、あの子が秘めている愛情に思いが致らなかったのではないかしら…)
自身の不甲斐なさに気づかされたことが恭子の胸を締め付けた。真帆はベッドに座ったまま泣き崩れ、恭子も横に腰かけて真帆の肩に手を当てた。寄り添う二人の姿を枕カバーにデザインされたウサギのミッフィーが静かに見つめていた。
二十三、
石狩湾から吹き寄せる風が紫煙を空高く吹き飛ばしていく。
転落防止柵に両腕でうつぶせにもたれかかった笠井冴子は、ショートホープをくゆらさせながら目を閉じていた。
(しばらく思案の時間に入ったか…)
佐々木母娘を訪ねた翌日、恭子は北斗医科大学病院の屋上で、母娘から聞き取った内容を笠井に報告した。笠井は、重要な問題について対策を練るとき、ひとり屋上で煙草を吸いながら思案することが多い。この先輩は、どのような一手を考えているのだろうか。恭子も沈黙して、笠井が言葉を発するのを待った。
笠井は、煙草の火を消して吸殻をポケット灰皿に入れると恭子に向き直った。
「コロナ後遺症とは言っても、真帆ちゃんの場合は、突き詰めていくと家族の人間関係が原因ということになるよね。これに踏み込むとなると、それは通常の医療や介護の範疇じゃあ収まらなくなるね」
その通りだ。だからこそ次の一手が重要なのだ。いら立つ恭子が笠井に向ける視線は、睨みつけるようにきつくなる。笠井は、幾分たじろぎながら苦笑した。
「そんなに答えを急くんじゃないよ。真帆ちゃんがひきこもってリストカットをくりかえすのは母親に対する罪悪感からだ。
意地悪なババアから、母親の洋子さんがいじめられないようにするには、自分が文句のつけようのない優等生でなきゃいけない。それができなくなってしまったことへの罪の意識が真帆ちゃんを追いつめている。
じゃあ、罪の意識を取り除くにはどうすればいいか。答えは、真帆ちゃんを、優等生でなければならないという強迫観念を抱かせてしまっている今の環境から救いだすしかない」
「それってつまり…」
「洋子さんと真帆ちゃん母娘に、あの家を離れてもらうしかないってことさ」
一段と強い風が吹き、笠井の長い髪が風に巻き上げられた。鋭い目つきと相まって凄みと気迫が恭子に伝わってくる。
笠井の言った答えには、恭子もたどり着いていた。家族の人間関係に踏み込み、場合によっては訴訟にもつながりかねない領域に踏み込むのは看護師本来の職分をこえることだ。
笠井の見せた気迫はそれだけの覚悟があるのかを恭子に問いかけていた。
恭子は深呼吸を一つして笠井の無言の問いかけに答えた。
「分かりました。では、私なりに考えた対応をお聞きいただいていいでしょうか? 」
「どうぞ」
「姑と夫の言動が、洋子さんに精神的な苦痛を与えるだけでなく、娘の真帆ちゃんに精神疾患を引き起こしている以上、これは虐待行為です。精神的なDVという見方をしてよいと思います。精神医療に携わる者として見過ごすことはできません。
物理的な暴力が振るわれていないので、行政のDV窓口は対応しないかもしれませんが、虐待被害者を緊急避難させるシェルターを運営する民間のNPOなら受け入れてくれるところがあるかもしれません。
私はこれからいくつかNPOを当たって、受け入れるところがあればその情報を洋子さん、真帆ちゃん母娘に伝えて判断を仰ごうと思います」
「分かった。でも、もう一つ手を打った方がいいことがあるよ」
「何でしょうか? 」
「あの母娘の問題に踏み込んだのは、あんた一人の判断でしたことじゃない。上司の承認の承認を受けて動いたんだという念書を上司に書かせておくことだよ。私、これから一筆書いてくる。
相手は、スーパー「ササキ」の一族だ。強引、強欲で知られているチェーンだからね。場合によっては裁判沙汰になりかねない。その時は、あんたも私も一連托生だ。
それから、この件に関しては事務長にも相談しておくよ。なかなか話せるところがあるんだわ、ここの事務長のオッサンは」
笠井は踵を返すと、風に髪をなびかせながら足早に歩き去っていった。
恭子は空を仰ぎながら両腕を広げて大きく伸びをした。
(まさか、母娘の家出を助けることになるとはねぇ…)
これから恭子がやろうとしていることは、形としては家族を引き裂くことだ。
だが、今のままの家庭に洋子と真帆の母娘を置いておくことは、二人をさらに追い詰めて、最悪の場合、母娘心中に至る恐れもあった。
(家族が行き詰ったときには、少々乱暴でも、互いに距離をおくことが必要なのかもしれない。でもそのあとに、どんな関係を築いていくかだけど…)
恭子は、洋子と真帆の今後についてだけでなく、離れ離れの夫と娘??徹と奈々との間でどんな関係を築いていけばいいのか、思いをはせていた。
このまま散り散りになったままでいいとは考えていない。でもその先にどんな家族のあり方があるのだろうか…。
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