第8話 男たちが背負うもの②

十八、

(昔の俺と同じ目をしているな…)

 徹は、慶子の息子・悠太と初めて会ったとき直感した。自分より力のあるものに対する強い敵意。「父性」への反発と言えばいいだろうか。恐らくは父親からの愛情に浴することができなかった寂しさからくるものだと思った。

 

 挨拶もそこそこに悠太が切り出してきた。

「あのう、気を使わせても悪いですから僕は三十分ほどでおいとまします。この後、バイトの予定もありますんで」

「ちょっと、そんな落ち着かないこと言わないで。お母さんと原田さんとのことをちゃんとあなたにも分かってもらいたいから、こういう席を設けたのに」

「お二人のことは見れば分かりますよ。だから余計、僕はお邪魔かなと思って」

「茶化さないでちょうだい! あなたの将来にとっても大事なことなんだから」

 

 悠太の言葉に冷やかすような響きを感じた慶子はいら立ちを露わにした。慶子が助け船を求めて徹に目を向けてくる。

 ここは努めて誠実に大人の態度をとらなくてはなるまい、と徹は口を開いた。

「かえって気を使わせてしまってこちらこそ申し訳なかったですね。でも、まずはちゃんとあなたに挨拶しておきたかったんですよ。決して慶子さん――お母さんとはいい加減な気持ちでお付き合いしているんじゃない。

できるならこの先、人生のパートナーになってもらいたいと真剣に考えています。そして悠太さん、あなたのことも支えていきたいと…」


「未だ、すねかじりの分際で生意気なことを言わせていただきますが」

 徹の言葉を遮って、悠太が言葉を発した。口ぶりは丁寧だが、これ以上言うことを聞いていられない、と言うような強い語気だった。


「いい大人どうしなんですから、母との関係をとやかく言うつもりはありません。母とこの先どうしていくかはお二人で決めればいいことでしょう。でも、僕の人生にまで口を挟んでもらいたくはないですね」

「いや、出過ぎたことを言って、不愉快な思いをしたなら謝ります」


 徹は素直に頭を下げた。今度は慶子が助け船を出す番だった。

「悠太、何もそんなきつい言い方しなくてもいいんじゃないの。原田さんも悪気があってのことじゃないんだから」

 慶子の言葉に、悠太は目を細めて笑みを浮かべた。母親への愛情に満ちた優しい笑みだと徹は思った。

「お母さん。多分、原田さんは紳士的ないい方だと思うし、お母さんにとっても、いいお相手なんだろうなとは思うよ。でもね」

 悠太は徹に目を向けた。慶子に対する視線とは異なり、とりつく島もないような冷たさに、徹は唾を飲み込んだ。

「僕はこの先、どういう形であれ、父親という存在とは関わりたくないんですよ。だから、原田さん。母とお付き合いされるのは結構ですが、父親として私に接しようなどとは思わないでください」


 悠太の物言いからは殺気すら感じされ、徹は言葉を失った。

悠太が実の父親に冬の大雪山で殺されそうになったとは聞いていた。父親というものへの拒否感が強いと想像はしていた。

だが、こうして向き合うと、悠太が負った心の傷と憎悪の深さに徹は慄然となった。

 会食が始まって三〇分きっかりで悠太は席を立った。

徹が重ね重ね払う必要はないと言ったものの、悠太は慶子に食事代を強引に握らせて出て行ってしまった。あくまで施しは受けたくないようだ。


「ごめんなさい。せっかく息子との顔合わせということで席を設けてくださったのに、失礼なことをしてしまって」

 徹に侘びる慶子の表情には、息子の心の問題にどう対処すればいいか分からない深い苦悩があった。

徹もその根深さを実感したが、ここは慶子を励ますしかない。


「大丈夫、俺は焦らないよ。あの子が抱えている心の傷の深さは、俺にも少しは分かる気がするんだ。あの子ほどひどい目にあったわけじゃないが、俺自身も父親には嫌われた子どもだったからね」

 そう言いながら徹は、グラスに残った赤ワインを飲み干した。父のことを思い出したせいか、鼻腔に抜ける香りよりも舌に伝わる苦みの方を強く感じた。



十九、

「・・・では皆さま、グラスをお持ちください。弊社社長、原田隆作はらだりゅうさくからご挨拶をさせていただきます」

 宴会場には遅れて到着したため、近くのテーブルにはビールグラスは残っていなかった。徹は、ボーイに勧められるまま赤ワインのグラスを手にした。金屏風が据えられた演壇上を見ると父・隆作が満面の笑みでマイクの前に立つところだった。


「御来賓の皆さまには、遠路はるばる屈斜路湖畔までお運びいただき誠にありがとうございます。陽は東より出ずると申しますが、北海道東部は長く発展から取り残されてまいりました。このイースト・レイクリゾートのオープンでいよいよ、この道東にも本当の夜明けがくる。内地と変わらぬ発展の時代が来るものと、私は確信いたしております!」

 会場は万雷の拍手に包まれた。その盛り上がりに隆作の顔はますます紅潮したが、徹は、赤ワインを飲みながら冷めた目を向けていた。

 

 平成七年(一九九五年)八月。北海道東部の屈斜路湖畔に建設されたリゾートホテル「イースト・レイク」の大広間で、オープンレセプションが開かれていた。

 ホテルは、一〇階建て三五〇室。その他、ゴルフ場、マリンスポーツ基地、テーマパークとしての「ロシア村」が今後、半年以内でオープンする予定だ。運営にあたるのは原田建設を母体にした不動産投資会社「ハラダエンタープライズ」で、総事業は六〇〇億円。資金は、北海道拓殖銀行、いわゆる「拓銀たくぎん」が全面支援する。

 「イースト・レイク」は、この頃、拓銀が最も力点を置いていた「新興企業融資」の目玉だったことから、レセプションには融資担当だけでなく、副頭取も出席。さらに、地元選出の国会議員の姿もあった。拍手がおさまると、再び隆作が口を開いた。

 

「もともと私は、道東とはご縁の薄い旭川の建設業者です。明治時代に屯田兵として入植した曾祖父が始めた小さな会社を細々と続けておりましたが、やはり、男として北海道の発展に力を尽くしたい。その心意気を、きょうお見えの拓銀の皆さまに見込んでいただき、さらに国政、外交に八面六臂の活躍をされている黒崎昭造先生からの応援も賜り、こんにちに至った次第であります」

 すると、カメラのフラッシュを浴びて血色のいい農夫然とした顔の男が演壇に駆け上がってきた。道東地方選出の与党衆議院議員・黒崎昭造だった。満面の笑みで隆作と握手を交わし、会場に手を振っている。

 この時、黒崎は外務政務次官として北方領土返還交渉を担当。北方領土でのロシアの主権を認めずに、元住民が現地を訪問できる枠組みとして「ビザなし交流事業」を立ち上げることに成功した。

 一九九〇年代半ば、新生ロシアは、旧ソ連崩壊後の混乱から経済危機に見舞われていた。そのため領土交渉で譲歩姿勢を見せて日本から経済援助を引き出そうとしていたのだ。黒崎はロシア側の事情に乗じて「ビザなし交流」を勝ち取り、この年(平成七年)、北方領土を訪問して注目を浴びていた。

 

 黒崎は、隆平からマイクを受取り、スピーチを始めた。

「陽は東より出づる――その言葉どおりの信念で、縁もゆかりもない道東のためにひと肌もふた肌も脱いでくださった原田さんの心意気に、感謝ひとしおであります。

 ご存知のように、私、黒崎の音頭で始まった日ロ間のビザなし交流でございますが、対象になるのは北方領土の元島民の皆さまだけではありません。ロシア側のクリル諸島、ひいては極東地域の人々も日本を訪れることができるんです。

 まさに道東こそが今後、ロシアの皆さまをお迎えする一大観光地として、新たな時代を迎えようとしているわけでございます。その可能性に注目して、思い切った融資を行なった拓銀の皆さんの英断も誠に素晴らしい。道東住民を代表して御礼を申し上げます」


 黒崎の言葉を受けて、にこやかに頭を下げる拓銀の幹部たちに拍手が送られた。会場の盛り上がりとは対照的に、徹は冷めた目で拓銀幹部たちを見つめていた。

(来るかどうかも分からないロシア人をあてこんで数百億円も融資するなんて。この連中の中では、まだバブルが終っていないのか…)

 と言うよりも、北海道内に有望な投資先のなかった拓銀は八〇年代後半、バブルの恩恵に浴することがなかった。収益は、都市銀行中最下位であり続けた。

 そうした中、九〇年代に入って新興企業のリゾート開発に目を向けて大規模投資に乗り出し始めたのだ。「遅れたバブルの夢」を見ようとしていたのがこの時の拓銀と道内企業の関係だった。その浮かれた関係が票になると見て政治家も近づいてくる。

 徹は、父・隆作を主賓としたこの宴の意味あいを敏感に感じ取っていた。ワインを煽っても、酔いは一層冷めていくようだった。



「少し都会を見てきたからって、世の中分かったようなことを言うな!半人前にもならんくせをしおって!」

「東京で起きたことが、この先、北海道で起きないとは言い切れないじゃない。僕は父さんにも、もう少し広い視野で物事を見てほしいと・・・」

「俺を田舎者だと思って馬鹿にするのか!誰のおかげで大学まで行かせてもらったと思っとるんだ!」

「でも、本当なんだ。大学のクラスメートのお父さんが首を吊ったんだ。急に銀行から融資を引き上げられて会社の資金繰りがつかなくなって…」

「じゃあ俺も銀行から借りた金が返せなくていつか首括るっていうのか? 中小の町工場が運転資金に困るような目に遭ってたまるか! 俺はな、北海道の将来を見据えて計画を立てたんだ! 」


 イースト・レイクリゾートのオープンレセプションの翌日、ホテルのスイートルームに宿泊する父母を訪ねた徹は、父の激しい怒りに直面した。予想通りの反応ではあった。だが、イースト・レイクの経営は一家と原田建設の社員たちの将来を左右するだけに「後継者」として徹は言うべきことは言わねばならなった。

 曰く、ゴルフ場などリゾート施設の建設を中止すること。ホテルについても本州の大手資本への売却を早々に進め、銀行からの借り入れ金返済を早急に進めること。つまり、イースト・レイクリゾート計画の事実上の白紙撤回だ。景気後退で、本州からの観光客増大が見込めず、ましてやロシア人観光客の見込みなど、今後の日ロの領土交渉次第でどう転ぶか分からない。傷が大きくならないうちにギャンブル性の高いビジネスからは手を引くべきだ、と徹は父・隆作に直言したのだ。

 心が痛まなかったわけではない。大型リゾート開発は、隆作が経営者として新たに切り開いてきた不動産投資事業の集大成でもあった。それを否定することは隆作のこれまでの人生を否定するに等しい。

 隆作は、亡父や兄に対して強い劣等感を抱いてきた。そこから抜け出すために見出したのが不動産投資だったのだ。そんな人生をかけた事業を、特に徹から否定されたことは隆作の言動を極めて感情的なものにした。

 

「賢しらなことばかりほざきおって、そういうところがやっぱりお前はな。兄貴とよく似てるんだよ! 」

 ハッとなって徹は、隆作の傍らの母を見た。すでにうつむき涙ぐんでいた。やがてその場にいたたまれなくなり部屋から走り去っていった。

 徹は、隆作の実の子ではない。隆作の亡くなった兄・哲雄と母の間に生まれた子どもだったのだ。

 

 徹の実父・哲雄は、幼い頃から神童と呼ばれ、東大工学部に進学。一族の期待を一身に背負っていた。一方、弟の隆作は哲雄への反発から若い頃非行に走り、一時は実家を飛び出して、札幌で放蕩生活を送っていた。

 徹が三歳の時、哲雄は交通事故で急死。隆作が急きょ呼び戻されて家業を継ぐことになった。隆作の方は、兄に対抗するように札幌時代に飲食、風俗、不動産などの業界に食い込もうと交流を広げていた。

 札幌で培った人脈を活かして、隆作は社長就任と同時に不動産投資事業に乗り出した。新しい経営路線を打ち出すことで兄との違いを世間に認めさせたかったようだ。


 時勢も隆作に味方した。バブル経済下の地価高騰が追い風となり、不動産事業は成功。明治から続く老舗企業を新規事業で盛り立てた四代目社長として、隆作は旭川の経済界での地位を揺るぎないものにした。さらに、兄の未亡人だった母を妻に迎えることで、隆作は徹の「父親」になった。

 「息子」となった徹の中に、隆作は亡くなった哲雄の影を見ていた。哲雄には、才知に長ける一方、才を鼻にかけて隆作を貶める裏の顔があったらしい。隆作は哲雄を憎んでいた。その憎しみは徹に対する敵意となっていった。

 

 母は隆作との再婚後、妹の智子を生んだ。だから智子は「異父妹」ということになる。

結局、男の子は徹しかいなかったため、徹が後継ぎになった。だが、隆作は「兄憎し」の感情から脱することはできず、徹との間に信頼関係を築こうとはしなかった。

 イースト・レイクリゾートが始動した時、すでに土地バブルは崩壊し、銀行の融資は不良債権化し始めていた。徹は時勢の流れを見て、リゾート事業を拡大する危うさを訴えたが、隆作が耳を傾けることはなかった。


 やがて、徹の予感は最悪の形で的中した。平成九年(一九九七年)十一月、拓銀が経営破綻。戦後初めて都市銀行が消滅することになった。リゾート開発への融資がことごとく不良債権化したことが命とりになった。

 拓銀の事業は、地方銀行に引継がれ、経営再建のための債権回収が始まった。原田建設はメインバンクを失い、後継銀行から数百億円の債権回収を求められる事態になった。

 人生をかけた事業が崩壊していくと同時に、隆作の命も尽きようとしていた。拓銀破綻後に癌が見つかり、すでに末期であることが判明した。大学卒業後、東京で大手ゼネコンに就職していた徹は、旭川に呼び戻されて、隆作から後を継ぐことを託された。


 死の床にあった隆作は、これまでの猛々しさが影を潜め、穏やかに笑顔を浮かべることが多くなった。

「皮肉なものね。重い病気になったとたんに、いい人になって。早くこうなればよかったのかしらって、考えてしまうわ」

 東京から戻った徹を出迎えた母もこれまでになく穏やかそうに見えた。

隆作の気に障ることがないか、絶えず神経を使ってきた母は、帰省するたびにやつれて見えたが、漸く平穏な日々を迎えることができたようだ。

 隆作は、咽頭がんと肺気腫を患っていた。自宅で最期を迎えたいという本人の意思を受けて、酸素吸入機器につながれながら寝室のベッドに横たわっていた。咽頭がんの摘出で、すでに声を発することはできなくなっている。


「あなた、徹が戻りましたよ」

 母が声をかけると、隆作は目を開けた。徹を見て一瞬驚いた表情を見せて、いつものように剣呑な表情を浮かべたが、やがて穏やかにほほ笑み始めた。

「ね、お父さん、いい方になったでしょう。お前の前でも笑うようになって。もっと元気なころからこうであればよかったのに」

 なるほど、母から見れば「いい人」になったように見えたかもしれない。

だが、徹は、隆作の表情の変化から違う意味合いを感じ取っていた。そこにあるものは、変わることのない「悪意」だった。


「俺は好きなことをやらせてもらった。負債はみんなお前が引き受けることになる。この会社を残せるかどうか、みんなおまえ次第だ??」

 咽頭がんの摘出で隆作は声を発することはできなくなっている。だが、徹は隆作の浮かべた笑みにこちらを嘲るような感情を読みった。

 隆作は、兄・哲雄への憎しみを終生抱き続けた。徹は、哲雄の忘れ形見である自分に巨額の負債を残すことで、隆作が最大限の復讐が出来たと喜んでいるように思えたのだ。

 

 徹が帰郷して、ひと月足らずで隆作は亡くなったが、その死に顔には満足げな笑みが浮かんでいた。

 そして、会社を引き継いだ徹を取り巻く状況は、隆作が微笑みながら亡くなったことを恨みたくなるほど過酷さを増していった。

 拓銀破綻に伴い北海道内では融資先の連鎖倒産が相次いだ。政府は企業破綻の拡大を防ぐため、後継銀行に緊急融資を行なった。おかげで一部債権の放棄も行われ、原田建設はその恩恵を受けて辛うじて生き残ることができた。

 だが、依然億単位の借金を背負いながら、徹は経営者人生をスタートすることになった。

マイナスから始まった新たな人生。そのみじめさを癒し、前向きにしてれた存在が恭子だったのだが…人生は上手くいかないものだ。


 今は、支えになってくれている慶子のため、せめて悠太にとって憎むべき存在にはなるまい。父親とまでは認められなくても、人生の先輩として役に立てる存在になりたい。徹はそう心から願っていた。

 だが、慶子と悠太との関係をこれからどうするか考える前に、結論を出しておかなければならないことがある。恭子と奈々のことだ。恭子とやり直すのは無理かもしれないが、奈々には娘としての愛情を感じている。それなのに、恭子が家を出たことも、再婚を考えた相手がいることもまだ奈々には話していない。こんな俺のことを奈々はどう思うだろうか。


 奈々が、恭子に愛想を尽かしたのは、自殺未遂するまで追い詰められたのに、仕事を優先して苦しみを受け止めてくれなかったことへの怒りからだろう。母親としての役割から逃げた無責任さが許せなかったのだ。

 ならば、今の俺はどうか。父親としての役割から逃げている。そう奈々に思われても仕方ないことをやってはいまいか。

 悠太が帰った後、慶子は口数少なく食事を口に運んでいる。徹も酔いが回らず苦みばかりを感じたまま、赤ワインのボトルを飲み干していた。

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