第35話 一人検証(Мダム)と新しい御守りと⑤
※グロ注意です。
**
「どなたか俺の近くにいらっしゃいますか?いらっしゃいましたら、返事をしていただいてもよろしいでしょうか?」
朔夜くんが、スピリットボックス越しに問いかけると、ずぶ濡れの女性は、少しだけ俯けていた顔を上げて正面に向けた。
すると、長い髪の間から、だらりと不自然に伸びたものが私の目に入ってきた。目を凝らして見てみれば、ソレは何と外れかけた顎であった。
呆然とする私を見ていた方の目が、スーッと細くなった。
『いるよ』
顎をかろうじて繋ぎ止めている下唇を何度か動かしながら、声を発した女性は、ニイッと笑うように下唇を外側へと動かした。
……ぐっ。
もう機能していないはずの胃腸から、胃酸が込み上げてきたかのように、口の中に酸っぱさが広がったので、私は思わず口元を押さえた。
キッツ……。
私も幽霊ではあるが、だからといってグロやスプラッタが平気なわけではない。
同じ幽霊であってもキツイものはキツイ。
しかも、先ほどからポタポタと落ち続けているのは水滴なんかではなく、腐り落ちている肉片だと気付いてしまった。
身体全体も歪で、首は曲がっている。
肩は平行ではなくて左右の高さが違ってしまっている。し、更に右の足首は千切れて無くなっている。
フェンスを掴む指は肉が腐り落ち、骨だけになってしまっている部分もある。
……コレが身投げした末路か。
この姿のまま、永遠にこの場所に留まり続けなければならないのだと思うと心底ゾッとする。
しかし、同時に吐き気以外の何とも言えない気持ちが込み上げてきた。
「お返事ありがとうございます。ここには何名の霊がいらっしゃるのでしょうか?」
『……%$#@、たくさ……ん』
「はじめの方は聞き取れませんでしたが、『たくさん』と答えていただけました」
朔夜くんは視聴者に伝えるように、一度カメラの方を向いた後に、また欄干の方を見ながら口を開いた。
「今までお返事いただいた女性にお聞きします。どうしてこの場所にいらっしゃるのでしょうか?」
『し……んだから』
「……ここで身投げをされたのですか?」
『そ……う』
今まで正面を向いていた女性は、両手で顔を覆って俯くと、啜り泣きはじめた。
『ひ……っく。……こんなはず……じゃ……なかった……。わたしは……ただ……』
スピリットボックスから聞こえていた女性の声はそこで止まった。
その後はいくら朔夜くんが呼び掛けても何の返答も返ってこなかった。
――『わたしは……ただ……解放されたかっただけ』
それは、スピリットボックスからは聞こえてこなかった言葉だった。
同じ幽霊である私にだけは、何故か女性の気持ちが痛いほどに伝わってきた。
ずっと『痛い』『どうして私ばかり……』『淋しい』と悲鳴を上げていたのに、彼女はフェンスを越えたりと、必要以上に朔夜くんに近付くことだけはしなかった。
私に睨まれていたからとか、御守りにパーンされることに気付いたとかじゃなくて……あの女性が真面目でとても優しい人だったからだと思った。
若々しくて、生命力にも溢れた朔夜くんを見ていると、道連れにしたいという気持ちが無意識に湧いてくる。
――現に、彼女もまた無意識に、縋るように朔夜くんに伸ばそうとしたところを私は見ている。
しかし、伸ばしかけた右手を自身の左手で押さえつけると、朔夜くんをこれ以上巻き込むことがないように、背後から身を投げて一人で落ちて行った。
返答が無くなったのは、この場から女性がいなくなったからという単純な理由だったのだ。
女性に向かって咄嗟に手を伸ばしかけた私は、唇を噛み締めてぐっと堪えた。
私の手はフェンスなんか楽に擦り抜けて、彼女の手を掴むことができるだろう。
……しかし、掴んだ後はどうする?
彼女に寄り添い、永遠に側に居てあげられるほどの深い愛情も、同情心も持ち合わせてはいない。
私は冷たくて自分勝手な幽霊だから、自分だけ成仏するために、これからも推し活を続けるだろう。
私は絶対に地縛霊や悪霊になりたくない。
今でさえ冷たい幽霊なのだから、きっと多くの人に迷惑をかけることだろう。
……そう。彼女のような優しい幽霊になんてなれるはずがないのだ。
私が彼女の気持ちを理解したように、彼女もまた私が抱いた様々な悪感情を理解したはずだ。
それなのに、彼女は文句の一つを言うこともなく、一人でいなくなる道を選んだ。
好きで死を選んだわけじゃない。
平凡な日々の中。細やかな幸せを見つけながら、穏やかに生きていたかったはすだ。
それなのに……どうしようもないくらいに追い詰められて、それしか方法がなかったから選んでしまった。
ただそれだけだったはずなのに、痛みと絶望を抱えたまま、自死したことを悔やみ続けても、救われる日はやって来ない――なんて、悲しすぎる。
死んだ理由も何も分かっていない私は、きっと彼女が救われたら自分が救われるはずだという、希望が欲しいのだろう。
だから、こんなにも彼女のことを考えてしまうのだ。
――『どうしたら生前の綺麗な姿に戻って、安らかに眠れるだろうか』と。
「新しい御守りでどうにかできないのかな……」
朔夜くんが呟いた言葉は、私も少しだけ考えていたことだった。
顔を上げて、勢い良く朔夜くんの方を振り返ると、カメラに向かってではあったが、まるで自問自答のようだと思った。
「スピリットボックスで、こんなに会話ができたことは嬉しけど……流石にコレは予想外だって。生々し過ぎるって……」
顔を歪めた朔夜くんの瞳が潤んでいた。
撮影がまだ終わっていないから泣くのを我慢しているのかもしれない。
朔夜くんはその場に立ち竦んだまま、動かなくなってしまった。
――今の朔夜くんはとても危ない。
先ほどの女性は大丈夫だろうが、あの女性の他にもここで身投げしたであろう霊はたくさんいる。
スピリットボックスから、他の霊達の声が聞こえてこなかったのは、顎が完全に砕けてしまっている霊ばかりが多く、話せる状況ではなかったからだ。
彼等は単に話せないだけなので、心が弱っている人間を見つければ、惹かれるようにどんどん集まってきてしまう。
朔夜くんの真上から威嚇をしているものの、ワニワニパ◯ック状態である。
他の霊を威嚇している隙を狙われ、朔夜くんに近付こうとした霊が、次から次に『パーン』されていく。
朔夜くんを狙う不届き者が、パーンされて消滅しようとも、正直どうでも良いのだけれど……この騒ぎを聞き付けたのか、先ほどのずぶ濡れの女性が、欄干の手摺の上からひょっこりと顔を覗かせていた。
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