第5話 世の中、思い通りにはいかないものです。
都内近郊の閑静な住宅街の一角。
今どきのスタイリッシュな一戸建て住宅の駐車場に、二人の乗った車が止まった。
「…………着いた?……やっと、着いた!? も、も、も、も、しかしなくても、ここはご自宅ですよね!?やった……やったぞー!」
ここまで憑いて来た私の精神は、ちょっとばかり…………いや、かなり擦り切れていた。
****
廃墟から帰る朔夜くんとコタローくんに憑いて行くには、二つの選択肢があった。
①自力で空中を飛んで憑いて行く。
②彼等の車の屋根にしがみ憑いて行く。
……幽霊初心者の私には、どちらも極めて難しい選択だ。
まず①。高所恐怖症な上に、飛び方もよく分からない。例え、飛べたとしても、二人の車を見失う可能性が高い。
次に②。車の屋根なんて……推しのすぐ真上じゃないか!朔夜くんはともかく、コタローくんに、私の存在が気付かれる可能性が高い。というか、そもそも幽霊の私は擦り抜けてしまわないの?
……どうしよう。
私が物陰で考え込んでいる間に、片付けを始めた二人は、使用した機材を手際良く積み終えてしまう。
後は乗り込んで出発するだけ。
「ああ、待って……!」
自分のこともよく分からない私を、こんな寂しい場所に置いて行かないで。一人にしないで。
懇願し、縋るように右手を伸ばしたその直後。
私は自らの身体に起こる異変に気付いた。
「…………え?……何、これ」
伸ばした右手の五本の指の先に、白い湯気のようなものが、揺らめいているのが見えた。
その白い湯気のようなものは、手を握ったり開いたり、手を振ったりしても消えない。
「……不思議」
――まるで昔に見た漫画のようだと思った。
あの漫画に出てくるキャラ達は、身体から出るオーラを自由自在に変化させながら戦っていた。
その中の一人に、オーラを接着剤のようにして戦うキャラがいた。
私もそれができたなら…………。
時間がないので、早速実行に移る。
『憑いて行きたい、憑いて行きたい』と強く願いながら、車の後ろに回り込んだ私は、人差し指でリアバンパーに触れると、ピンポンダッシュさながらの素早い動きで、元いた物陰まで戻って来た。
ドキドキしながら確認してみると、人差し指から伸びた湯気のようなモノは、しっかりと彼等の車に繋がっていた。
「よっしゃー!」
振り回しても切れる気配はない。
これで一緒に行ける!!
――そう、喜んだのも束の間。
私は直ぐに後悔することになる。
何故ならば………。
「あ、ば、ば、ばば……!ひゃ……ぁあ!た、すふぇへ、ぇぇ……え!!」
リアバンパーと繋がった私は、紐の付いた風船のように風に煽られる羽目になったのだ。
****
車のスピードと幽霊になった自分の軽さを舐めてたのだ。
『ふわふわ』なんて可愛いレベルではない。
『ぶるんぶるん』『ぶぶぶぶるん』と上下左右に振り回され続けることになるなんて、思ってもみなかった(泣)。
怖かった。すんごい怖かった。
死んでるのに、もう一度死ぬかと思った……。
朔夜くんとコタローくんの自宅に来れたことの喜びよりも、地に足が付いた喜びの方が遥かに大きなかったのは余談だ。
これからも二人の心霊スポット巡りに同行するには、移動問題はどうにかしなければならないのだけれど……一先ずは、推しの自宅に来れたという幸せに浸りたい。
そして、自分が地縛霊じゃなかったことが分かったのも嬉しい。
『成仏するために推し活します!!』とか豪語しておいて、実は動けませんでした。――なんて、洒落にならない。
……おっと、二人が車から降りてくる前に、身を潜めなくてはいけない。
朔夜くんはともかく、コタローくんには私の姿が視えてしまうのだ。
廃墟から自宅まで、図々しくも憑いて来たなんて知られたら、怖がらせてしまうかもしれない。
寡黙で表情の乏しいコタローくんが、怖がる姿なんて、どんなご褒美だ――ん゛ん゛ッ。ゲフンゲフン。つい、本音が漏れてしまった。
私は良識のある立派な(?)二十七歳の社会人ならぬ、社会幽霊デス。
大好きな推しのことは、ちゃんと陰から見守ります!驚かせたりしません!
プライベート空間にも、勝手に踏み込んだりしません!!
……って、あわわわっ!本当にマズイ!
お隣さん家の高い垣根の裏側に潜り込んだのとほぼ同時に、車のドアが開いた音がした。
ひゃー!ギリギリセーフ!!
あらかじめ必要なものは、コタローくんが持っていたようで、車から降りた二人は、トランクから機材を取り出すことなく、玄関の方へと歩いて行く。
慣れた手付きで鍵を開けた朔夜くんが、少し緊張した顔でゆっくりと扉を大きく開けると、滑り込むようにコタローくんが家の中に入った。
先に入ったコタローくんが、靴を脱いで上がった位のタイミングで、朔夜くんもまた身を翻して家の中に入ると、ゆっくりとした動作で扉を閉め、内鍵を掛けた。
只今の時刻は、午前四時半。
まだ起きるには少し早い時間だ。
確か以前に、両親との四人暮らしだと話していたのを覚えている。
二人は寝ている両親を起こさないように気を使ったのだ。
『心霊』というジャンルは、日が落ちてから早朝までの撮影が一般的なので、昼間の仕事をしている家族とは、行動する時間が大きく違う。
更には、撮った動画の編集など、不規則な生活にもなる。
【ツヴァイリングホラーチャンネル】の登録者と、動画の再生数が増えたことで、安定した収入が得られるようになった朔夜くんとコタローくんは、家を出ることにしたそうだが、『家族に気を使うな』と却下されたそうだ。
『そんなことにお金を使う位なら、将来のために貯金をしなさい。ああ、でもお母さんとお父さんに温泉旅行をプレゼントしてくれても良いのよ?』と言われたと笑ってたっけ。
仲の良い家族だな。
ほっこり温かい気持ちになる。
……私が覚えていない両親は、どんな人達だったのだろうか。
思い出そうとすると、頭の中に霞がかかったように白くぼんやりとしてしまう。
そして、霞が晴れれば思い出せない申し訳さから、胸が締め付けられそうになる。
「…………」
私は胸に手を当てて、大きく深呼吸をした。
成仏するまでに記憶を取り戻せるだろうか。
それとも、いっそのこと最後まで思い出せない方が、幸せ……?
その問いに答えてくれる人はいない。
――――ならば、今は考えるだけ無駄だ。
ネガティブモード、禁止!!
油断すると、ついネガティブ思考になるのは、多分私の悪い癖だ……。
せっかく今日から、大好きな推し達と一つ屋根の生活ができるのだ!
「悔いが残らないように推しまくるぞーー!!………あ、っ」
隠れていた垣根の裏側から勢いよく飛び出すと、タイミング良く現れた黄色と青色のオッドアイの黒猫と目が合った。
「えへへ?怖くないよ〜?」
愛想笑いで誤魔化そうとしたものの、既に遅し。
「フギャァァァア!!」
全身の毛を逆立てて飛び上がった黒猫は、あっという間に走り去ってしまった。
「あ、逃げられた……」
猫などの動物には幽霊が視えるという。
ご近所さんになるかもしれない子だったのに、悪いことしちゃったな。
次は驚かせないように気をつけないと。
幽霊初心者の私は、また新たな教訓を胸に刻んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。