動乱の前夜へ②
「トータルのⅤ尺はどれくらいになった? 」
本田一馬の問い掛けに、VTR制作を担当した編集マンが答える。
「二分三十秒です! 」
「少し長めだけど……BBCにロイター、ABCとCNNまで注ぎ込んだからな。いいだろう! これで仕上げの作業を進めてくれ」
二〇一九年四月二十一日。この朝のトップニュースは、ウクライナの大統領選挙だった。結果は、ロシアとの対決姿勢を続ける現職の大統領に対して、親ロ派との対話を訴えるテレビタレント出身の候補が勝利した。
このひと月前。古巣の東日新聞社国際部の上司や同僚たちが、会社上層部に掛け合ってくれたおかげで、本田は職場復帰することになった。
勤務先は、かって知ったる札幌の北海道支社だった。
記事に合わせて新聞社と契約している外国メディアのニュース映像を編集。翻訳テロップをつけて新聞社のWEB欄に掲載する。動画作成班のデスク業務が、本田の新たな仕事になっていた。
本田の指示を受けて、記者たちは英語と日本語翻訳の確認に入り、編集マンたちは確認が終ったテロップを動画に載せる作業を進めていく。映像はあと三十分もすれば完成だ。最終試写までの時間、本田は煮詰まったコーヒーに代わり、豆をミキサーにかけて新しいコーヒーを入れることにした。
窓の外を見ると夜が明けて車の通りも増えていた。さわやかな晴天で、札幌大通り公園から大倉山ジャンプ競技場までくっきりと見渡すことができた。引きたての豆の香りが鼻孔を刺激し、眠気がとれてくる。
(原稿が書けるわけじゃないが、何とか現場に戻れたことを喜ぶべきだろうな……)
本田の職場復帰には、社内でも江藤総理に近い前澤政治部次長などからの抵抗があった。黒崎昭造が亡くなったことで、四月末に行われる保守党総裁選挙で江藤晋作総理の再選が確実視されるようになり、再び社内で前澤たちの発言力が強まっていた。
「そもそも我が社の憲法九条改正に慎重な論調も江藤総理には面白くない。そのうえ、総理に大恥をかかせた記者を現場に復帰させるなんて、総理に喧嘩を売っているのと変わりません。黒崎が死んで、当面、江藤政権は続きます。少なくとも本田を東京本社に置いておくとこの先、総理からどんな報復を受けるか分かりませんよ! 」
前澤はたびたび編集局長に圧力をかけた。
結果として本人の希望もあり、本田は北海道支社勤務となった。取材業務からも外されて、動画制作班に回ることになったのだ。
ウクライナ大統領選挙の動画をネットにアップした後、動画班はウクライナ東部で続く戦闘を伝える動画ニュースを制作することになった。昼までにこの一本を仕上げれば、きょうの本田の勤務は上がりだった。
若い編集マンの一人が見つけてきたCNN制作のニュース動画が本田の興味を引いた。
タイトルは「傭兵たちのウクライナ内戦」とある。
親ロ派には、ロシアの退役軍人らが登録する民間軍事請負会社から派遣された兵士たちが多数入り込んでいるとされる。それに対抗して、ウクライナ側も、欧米諸国の外人部隊出身者をスカウトしており、中には義勇兵と志願してくる傭兵たちがいるという。CNNのニュース動画は、ウクライナ側に立った義勇兵たちを取材したものだった。
本田は、編集マンと一緒に映像のラッシュを見始めた。
ところどころに雪をかぶった黒い原野を走る車のドライブショットから映像は始まっていた。原野をよく見ると麦の穂らしきものが見える。映像のキャプションを読むと収獲されないまま放置された麦畑らしく、麦が雑草とともに半ば腐った状態で凍り付いたのだという。撮影時期は、二週間ほどまえの四月上旬。空はどんよりと曇り、ウクライナ東部地域への春の訪れはまだ遠いことをうかがわせる。至るところに砲火による煙がたちこめ、時おり砲声や炸裂音も聞こえてくる。
やがて車は、ウクライナ政府側に立つ義勇兵たちの駐屯地に到着した。
傭兵というのは殺しと破壊を生業とする者たちだ。犯罪者あがりや一攫千金をねらういかがわしい連中も少なくない。だが、映像に現れたのは、顔をマスクで隠したりすることもなくどこか凛とした雰囲気を漂わせる男たちばかりだった。
インタビューを聞くと、やはり何か罪を犯したり、借金を抱えていたりと、「訳あり」の連中ばかりであることが分かった。だが、不思議と陰惨さや退廃めいた雰囲気はない。受け答えも至ってキビキビとしていて、士気が高いことを伺わせる。部隊指揮官の統率がよく行き届いているようだ。
取材されているのは百数十名の中隊規模の部隊のようで、やがて中隊長だという男が、インタビューを受けるために現われた。その顔を見た途端に、本田は絶句した。
(……ユリアンじゃないか)
——ユリアン・コンドラチェンコ。少し銀色が混じったブロンドの髪と髭が顔の下半分を覆っていたが、ケビン・コスナーを想わせる涼やかな顔つきは変っていなかった。
「部隊を指揮されているそうですが、差支えなければ軍歴をうかがえますか? 」
「
「つまり……ロシアのスパイだったと? 」
「ええ 」
「どこの国で活動されていたのか、伺えますか? 」
「——
「はあ? 何とおっしゃいました? 」
「あとで、通訳の方に聞いてください。ただし、少々古典文学についての素養が要るとは思いますがね」
「はあ……」
北欧系を思わせる風貌の男が、急に難解な東洋人の言葉を口走ったことにCNNのスタッフたちは戸惑っているようだ。影の世界に生きる者のはずなのに、妙な茶目っ気と人懐こさを漂わせているところは相変わらずだ。いやいや、この人たらしぶりに騙されて、俺は散々な目に合されたのだよな……。苦笑しながら本田は、旧友の健在ぶりを確かめられたような明るい気分になっていた。
気を取り直した記者が、再びユリアンに質問を始めた。
「ロシアの諜報機関に在籍されていたとすると、あなたは今、祖国と相対しているわけですね。祖国を裏切ったとも言えるわけだ。なぜ、親ロ派ではなく、キエフの政権側に着くことにしたのです? 」
「私は、キエフ近郊の農村の生まれです。意識としてはロシア人ではなく、ウクライナ人だと思っているからですよ」
「なるほど、本当の祖国はウクライナだと。やはり愛国心から義勇兵を志願されたのですか? ロシアの干渉は許せないと? 」
「愛国心か……正直言えば、そんな大層なことではありません。もっと個人的な動機です」
「はあ……それはやはりお金ということですか? 」
「金を稼ぐだけならもっと割のいい仕事をやりますよ。個人的動機というのは……復讐です。私の大事な人は、ベゾブラゾフのロシアに殺されました。父親代わりに私を育ててくれた人はベゾブラソフを倒そうとして果たせませんでした」
ユリアンのインタビューを聞きながら本田は唸り声を上げた。編集マンは一瞬、怪訝な顔をしたが本田がその後、何も言わないので、そのまま映像を流し続けた。
(ユリアンは、アリアンナの死の真相を知らないようだ……)
アリアンナは養父ミシチェンスキーのクーデター計画が無謀だと考え、本田に計画を通報して、ミシチェンスキーともども日本か欧米諸国に亡命しようと考えていた。
だが、すでに計画は動き始めていた。ミシチェンスキーは、情報漏洩を防ぐためにやむなくアリアンナの命を奪ってしまった。
ウラジオストクで本田と別れた後、ミシチェンスキーの部下たちに拘束されていたユリアンは、この真相を知らぬままなのだろう。
拘束を解かれたのは、恐らくクーデターの鎮圧後。その時、初めてユリアンは自分に課された作戦の意味を知ったはずだ。すべてはクーデターを準備するための工作だったということを。やがて、ミシチェンスキーもベゾブラゾフの放った刺客によって暗殺された。
アリアンナはベゾブラゾフ政権の手で殺され、ミシチェンスキーも反乱に失敗して斃された。そうユリアンは思ったにちがいない。そして、ロシアから脱出した。
個人的な動機——それは、アリアンナとミシチェンスキーを死に至らしめた復讐のために、ベゾブラゾフのロシアと戦うことだったのだ。
「あともう一つ、私が戦う動機についてお話してもいいでしょうか? 」
ユリアンは、少しはにかむような表情を浮かべてインタビューする記者に問い掛けた。
「ええ、どうぞ」
「もうこれ以上、人を騙す側には立ちたくないということです」
「人を騙す……スパイ行為をしていたことを言っておられるのですか? 」
「任務とは言え、私は多くの人を欺きました。その中には、深い友情を感じた人もいます。でも、その人の人生を散々、翻弄してしまった。本当にいい友達だと、私は今も思っています。でも、彼は決して私を許してはくれないでしょう」
そこまで語るとユリアンは、急にカメラ目線になった。本田は、ユリアンに真正面から見つめられているような錯覚を感じた。続いて、ユリアンの口から洩れてきたのは、日本語だった。
「友よ! きみに許してもらえるとは思っていない。だけど、俺は今度こそ、誰も騙したりはしない。本当に、自分が信じたことのために戦うつもりだ。愛した人たちを奪ったベゾブラゾフに復讐するため。祖国・ウクライナをロシアから守るため。命をかけて戦うつもりだ。友よ! どうか見ていてくれ! 」
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