虚しき深謀③

 フラッシュがまたたき、十数台のテレビカメラの放列が赤絨毯の敷かれた演台に上がっていく男を追っていた。演壇上で満面の笑みを浮かべた男の農夫然とした赤裸顔がライトに照らし出されると、会場の来訪客からは盛大な拍手が沸き起こった。

(ほう……思った以上に江藤派の連中が来ているな。まぁ、節操がないのが揃っているから、ある程度予想はできたがな)

 演壇に立った男——黒崎昭造は、パーティ参加者の顔を見渡しながら大いに満足していた。

 二〇一九年一月半ば。新しい年は日本の政界の主役交代を予感させる動きで幕を開けた。

 国後島の太陽光発電施設をめぐる疑獄事件で、外相を辞任した黒崎昭造が、新派閥の結成を宣言するパーティを東京港区の高級ホテルで開いたのだ。

 「国後疑獄事件」の捜査自体が、黒崎の追い落としを謀った「国策捜査」だったことに加えて、月刊「セレクト」の報道から始まった検察幹部による公安調査活動費を流用した「裏金問題」も大いに黒崎の追い風になった。

 特に「裏金問題」で検事総長、次長検事という最高検察庁のトップとナンバーツーが辞職に追い込まれたことで、黒崎は「悪の組織」に汚職の濡れ衣を着せられたと見られ、完全に名誉を回復していた。

 そのうえで黒崎は、「江藤一強政治の刷新」と「積極外交」を唱えて新派閥を立ち上げ、この日のパーティでは、四月の保守党総裁選挙への出馬を正式に表明すると見られていた。

 勝ち馬に乗ろうとする弱小派閥や、江藤派の一部の議員たち合わせて二百名余り。会場には、実に保守党国会議員の半数以上が顔を見せていた。

 黒崎が左手を上げてマイクに向かって軽く咳払いすると、間もなく演説が始まると見た会場の人々のざわめきが納まった。

「一度は、汚名を受けた私のような者のために、これほど多くの方々にお集まりいただきまして。不肖、黒崎。皆さまのご厚意に、誠に、誠に……感謝に堪えません……」

 話し始めて早々、黒崎は涙ぐみ言葉を詰まらせた。

こういう時に自然と泣きを打てるところが政治家の政治家たる所以だろう。庶民的な人情派の人柄を醸し出したことに会場からも声援が飛ぶ。

「よっ! 待ってました黒崎節! 」「先生、がんばって! 」「ファイト! 」

 掛け声にさっと右手を上げてにこりと笑って答えると、黒崎は目を潤ませながら熱弁を振い始めた。

「私が特に行く末を案じておりますのが、生涯をかけた命題と考える北方領土交渉についてであります。昨年、ロシア政府が公表した〝さる密約〟——不肖、黒崎とクーデターを起こした責任者との間で交わされたとされる密約を理由にロシアは我が国との一切の交渉を拒否するばかりか、外交官の国外追放という暴挙に及んでいます。

 領土交渉について全く見通しが立たなくなったことは誠に残念なことではございます。

 さりながら、不確かで曖昧な〝密約〟などというものを根拠に、信義に反した行動をとるロシア政府に対して、「二島返還」で決着をつけるためにひたすら経済援助を与えていくという江藤総理の方針は、甚だ我が国の国益を害していると言わざるを得ない!

 この『媚ロ外交』とも言うべき姿勢を正すことこそ、我が国の国益を守るために一刻も早く取り組む必要があると考えるのであります! 」

 割れんばかりの拍手がパーティ会場を響き渡り、右手を上げて答える黒崎に向ってカメラのフラッシュが一斉に浴びせられた。

 このひと月余り前、二〇一八年十二月初旬。ロシア政府は八月に発生したクーデター計画が、一部のロシア軍・治安機関関係者と日本の政治家の間で交わされた密約に基づいて実行されたことを発表した。

 ロシア政府は、国家転覆を図る勢力を日本政府の要人が密かに支援していたことを厳しく非難し、一切の外交交渉の凍結と日本政府と企業関係者の国外追放を通達してきた。

 この密約に日本側の代表として署名し、外交的に好ましからざる人物ペルソナノングラータとして名指しされたのは黒崎昭造だった。

 密約の暴露によって北方領土返還交渉は完全に暗礁に乗り上げ、再開の見通しは全く立たなくなった。黒崎は、自らの行動で返還交渉を頓挫させたとも言える。

 だが、あくまで密約は密約であり、条約など正式な国家間の取り決めを定めた文書ではない。一国の外交政策を転換するにはあまりにも根拠として弱い。日本側としては、これまで経済援助を重ねて信頼関係作りを進めてきたのに、いきなり“ちゃぶ台返し”をするとは何事か——

 世論は一気に「反ロ」へと傾いた。その「反ロ」感情も追い風にしようと黒崎が打ち出したのが「積極外交」だった。その意味するところとは。

「……ロシアの侵略政策の犠牲となっているウクライナ、ジョージアなどを支援し、去年のクーデターに失敗したロシアの反政府勢力への支援も行います。

 ベゾブラゾフ政権は我が国の行動を内政干渉として国連安保理での制裁決議にかけるかもしれません。たとえそうなっても賛同する常任理事国は中国だけです。むしろ、我が国としてはロシアのこれ以上の暴走を食い止めるため、対ロ干渉にアメリカやEUを巻き込んでいく。我が国が今後の世界の行方を左右する外交の主導権をとっていくのです……」

 ロシアの日本に対する断交措置を逆手にとって、世界的な対ロ包囲網を構築していく。

 黒崎の雄大な構想は、これまで、黒崎をロシアのエージェント政治家と見なしていた右派・保守層や経済界からも注目を集め、メディアや世論もこれまでの江藤総理の「二島返還論」を弱腰外交だとして、黒崎の「積極外交」への支持を高めるようになった。

 保守党内でも急速に江藤離れが進み、その他の少数派閥も、新・黒崎派への合流や協力関係作りを始めたのである。

「……まさにこれからが日本の正念場です。この困難なかじ取りをぜひとも私に任せていただきたい! 不肖、黒崎昭造は本日、只今、保守党総裁選挙への出馬を正式に表明するものであります!」

 再び万雷の、と言ってよい大きな拍手と歓声がパーティ会場の大広間に響き渡った。

 演壇から降りた黒崎のところへ与野党の国会議員や経済界の関係者が次々と歩み寄ってくる。黒崎は一人一人とにこやかに握手を交わし始めた。

 時勢を味方にして権力の階段を駆け上ろうとする者と、利権の分け前に預かろうとする者たちの交歓。その賑わいを大広間の外の廊下から見つめている影があった。

 本田一馬である。

(随分、鷹揚に構えているもんだな。内心では、俺の持ってきた〝爆弾〟に怯えているだろうに……)

 顔を紅潮させる黒崎を見つめる本田の顔には冷ややかな笑みが浮かんでいる。

本田は、このパーティ後の深夜、衆院第二議員会館にある黒崎の事務所で面会の約束を取り付けていた。本田が言うところの〝爆弾〟に黒崎が喰いついてきたからである。

 

 クーデター鎮圧の際、本田はミシチェンスキーの仲間たちに監禁されていたウラジオストクの地下要塞から一度は救出された。が、その後再び、ウラジオの北方一〇〇キロの位置するウスリースクの地上軍駐屯地に収容された。

 本田の扱いをどうするか。ロシア側はかなり苦慮したらしい。

 クーデターの主謀者とされたミシチェンスキー・ルスモスコイ社会長とともに記者会見で、日本の江藤総理とアメリカ・CIAが、黒崎前外相に仕掛けた国策捜査の陰謀を告発した、あの日本人記者はどうなったのか? 特に欧米のメディアは関心を持ち、日本政府も人道上の観点から身柄の引き渡しをロシア政府に要求した。このまま告発者をロシアに握られていてはどう利用されるか分からない、というのが本音だったようだ。

 欧米からの経済制裁でベゾブラゾフ政権への信頼が揺らぐ中、これ以上国際的な孤立は何としても避けたい。結局、ロシアとしては厄介払いするしかないということで、二〇一八年十二月初旬、ロシア国境警備部隊庁が北海道・小樽の第一管区海上保安本部に本田の引き渡しを打診。年末に本田は、小樽沖の海上でロシア側から海保の巡視艇に引渡された。

 その後、小樽の海上保安留置施設に収容された本田は、黒崎に宛てて手紙を書いた。

『……ポセイドン計画実行に向けてミシチェンスキーとあなたがどんな話し合いを重ねたのか。その記録をミシチェンスキーから渡された。重要な内容が記されているので、ぜひ直接会って話をうかがわせていただきたい。応じて頂けなればこちらの一存で内容をメディアに公表する……』

 二〇一九年一月。留置施設を出た本田に黒崎は、単独での面会に応じるとメールで知らせてきた。期日は、新派閥の結成お披露目パーティ後の深夜十一時。場所は、衆院第二議員会館にある黒崎の事務所が指定された。

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