虚しき深謀②

 一〇分あまり後、二〇歳前後の若い兵士がアタッシュケースを持って部屋に入ってきた。

 ミシチェンスキーが指示を出すと、兵士はまずテーブル上に純白の布製の敷物を敷いた。続いてケースを開けると、外交文書用のクリーム色の紙に記された二枚つづりの文書が二部、敷物の上に並べられた。それぞれ日本語とロシア語で記されていて、末尾にはミシチェンスキーと黒崎の署名があった。肩書きは、それぞれの国の政府代表となっている。

 文書の表題には「北方四島(南クリル)の領有権に関する日ロ協定書」とあった。日本語版とロシア語版を引き比べながら本田は条文に目を通し始めた。

 条項は大きく三つ。「日本の施政権」「ロシア系住民と企業の法的権利」「ロシア軍の駐留」について規定していた。

 第一に、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の領有権は日本に移り、日本の施政権執行機関として「北方管理庁」を国後島・ユジノクリリスクに設置する。行政区域としては北海道根室市に編入され、日本人の往来、居住は原則自由とする。

 第二に、ロシア系住民と企業は、日本施政権下でも、ロシアの法制度の下で権利を保護される。ロシア系住民・企業に対する刑事・裁判権は「北方管理庁」に属する。つまり、ロシア系住民と企業が罪を犯せば、日本当局の手で裁くことができるということだ。

 第三に、ロシア軍の駐留は当面継続することは認める。だたし、駐留にかかる経費は全てロシア側の負担とする。また、日本施政権下での軍事基地の使用をアメリカに認めた日米安保条約との整合性を協議するため、米・ロ・日各国政府による合同の委員会を平和条約締結後、速やかに設置する。

 条文を読みながら本田は、額が熱くなってくるような興奮を覚えた。

これまで日ロ「共同経済活動」では不明確だったロシア系住民と企業の法的権利を明確に規定し、ロシア軍の駐留についても現実的な対応が示されている。特に、日米安保条約を盾にロシア軍の駐留に待ったをかけてきそうなアメリカに対して協議の場を設けることにしているのは、手堅い布石だ。

 ただ、日ロ間には安保条約もないのに、ロシア軍の駐留をいつまで続けるのか。旧ソ連軍に奪われた元住民の土地・財産の補償をどうするのか、など課題は残りそうだ。

 とは言え、第二次世界大戦以来の日本最大の外交課題に解決の道筋が示され、元住民の悲願は、ほぼ達成されたといっていい。そこには流された血に見合うだけの成果が記されているように本田には思えた。本田は、心の中で死者たちに問い掛けていた。

(もし、これが実現するのならば。俺が告発者になる意味はあるんじゃないだろうか? どうだろう? 恵雄、アリアンナ、美幸さん……)

 本田が『日ロ協定書』の文面に見入っていると、ミシチェンスキーは、兵士が持ってきたメモリースティックをテーブルの上に置いた。

「ここに協定書の本文と、締結に至るまでの私と黒崎の交渉の経過を記した議事録のデータが入っている。これをきみに託そう。きみの身柄は我々が決起した後、日本側に引き渡すことにしている。

 その頃には、きみの告発を受けて日本の政情も変わっているだろう。黒崎も復権しているはずだ。世紀の告発をやったきみは、スノーデンなみに世界注視の的になる。誰も簡単には手を出せなくなるだろう。たとえCIAや自衛隊の「別班」でもな。

 そのうえで、この日ロ協定書について報じてほしい。それをきっかけに日ロ両国の世論を高めたうえで、私たちと黒崎は一気に平和条約の締結と北方四島の日本への返還を実現させる」

 日本とアメリカの謀略を告発したうえで、速やかに北方領土返還に向けた次の一手を打ってくる。したたかな戦略だ。だが、俺を野に放つということは、彼ら自身も殺人を含めた謀略に手を染めたという「不都合な事実」を暴かれる恐れがあるということだ。

 そんな本田の思惑を見通したようにミシチェンスキーは、相変らず穏やかな口調で話しを続けた。

「我々が決起した後、きみが何を言おうが、どう振る舞おうがそれは自由だ。きみの身の安全は保障しよう。きみが、いかに我々の手が汚れているかを論おうと、世界を救うことができた事実を人々が感謝してくれると私は信じている。歴史には必ず闇の側面があるものだからね」

 ミシチェンスキーは不敵な笑みを浮かべていた。そこからは時代が求めるものを背負っているのだという揺るぎのない自信が感じられた。

 確かに時勢を背負う怪物たちの前で、一介の記者など無力なものかもしれない。

ミシチェンスキーは本田の記者としての習性も見据えたうえで情報を与え、巧みに自らの目標実現のために利用しようとしてきた。本田が「国策捜査」の実態をつかむに至った経過がそうであり、新たに与えられた「北方四島(南クリル)の領有権に関する日ロ協定書」もそうだ。

本田は、世紀のスクープをものした記者として、名声を得ることになるかもしれない。だが実態は、ミシチェンスキーと黒崎の政治的意図がこめられたプロパガンダではないか。

(俺がめざしてきた記者としての再起とはこんなことだったのか……)

 何とも言えない虚無感がこみあげてきた。そして本田の脳裏に、嵐の海に消えていったCIAの老いたスパイ「イーグル」が言い残した言葉が鮮烈によみがえってきた。

『——うなされるような情熱に突き動かされている時には用心しろ。自分たちを躍らせている何者かがいるかもしれん。それが、国家という奴に散々踊らされてきたこの年寄りが、きみたちに残せるせめてもの花向けだ! ——』

 

 二〇一八年八月。ウラジオストクで開かれたルスモスコイ社による記者会見は世界に衝撃を与えた。

 会見は、ドミトリー・ミシチェンスキー会長による日本の司法当局とメディア報道に対しる抗議から始まった。

 曰く、日本のメディアは、当社が日本の政治家に利益を供与してロシアの影響下に置こうとしたかのような報道をしている。司法当局は、メディアに迎合するように政治家と関連企業に対する不当な捜査を行っていると。

 続いて会見の席に立ったのは日本の東日新聞記者・本田一馬だった。本田は、司法当局による黒崎昭造元外相に対する国策捜査の実態——組織の存続のために、有力政治家の逮捕で実績をあげたい東京地検特捜部が、アメリカ・CIAの工作指揮官の指示を受けて黒崎昭造の捜査に着手したこと。江藤総理も、CIAの動きを承知の上で黒崎を外相に起用し、特捜部の捜査着手とともに更迭して黒崎が来年の保守党総裁選に出馬する芽を摘むねらいがあったこと——などを、特捜部の副部長検事の証言音声とともに明らかにした。副部長検事の証言を裏づけるCIA工作指揮官とされる人物の音声もあわせて公開された。

 また本田記者は、自身もCIA工作員に命を狙われたため、ロシア海軍と国境警備隊に保護されたと語った。自殺したとされる副部長検事についても、CIA工作員による殺害が疑われるため、日本の司法当局に再調査を訴えた。

 この日米合作による陰謀の暴露は、日本の政界を大きく揺るがした。

 国会では野党と保守党内の一部からも、国策捜査疑惑について東京地検幹部の国会証人喚問が要求され、江藤総理自身にも「黒崎追い落とし」の意図があったのかが追及された。

 与党多数の国会では、証人喚問要求決議は退けられ、江藤総理も疑惑を否定した。しかし、これに先立って起きた「周防学園」への土地供与疑惑と相まって、内閣支持率は三〇%近くに低下。「江藤一強」体制にも陰りが見えてきた。

 アメリカもロシアへの経済制裁に乗り出した。

 ルスモスコイ社の会見によって黒崎への国策捜査——CIAの工作が暴露されたことをロシアによるアメリカに対するネガティブキャンペーンと見て、報復に出たのだ。ロシアをはじめ権威主義陣営に強硬姿勢とることで支持離れを食い止めようとしたアメリカ現政権の思惑が働いたとされる。

 結果としてロシアの国際的な孤立を招いたベゾブラゾフ大統領への信頼は低下。政府系メディアの発表でも支持率が初めて五〇%を下回った。ミシチェンスキーが本田に話していたクーデターの機は熟した、かに見えた。


 ところが九月に入り、ロシア極東では軍関係の大規模な事故が相次いで起きた。

 まずは、潜水艦の遭難事故だ。ウラジオストクを母港とする太平洋艦隊所属の潜水艦「パル―トゥス」がオホーツク海で潜航中、船内火災が発生。火災によるガス中毒によって、艦長以下、乗組員四六名全員が死亡する事故が発生した。

 太平洋艦隊司令部は、千メートルを超える深海で起きた事故のための船体の引き上げは、不可能であり、事故の詳細は軍事機密に関わるため発表をできないとした。

 その後、ロシアの独立系メディアは、艦隊司令部と潜水艦艦長が交信した音声を密かに入手し、公開した。艦長は、最後の交信で『船内で火災は発生していない。原因不明の有毒ガスが船内に充満し始めており、乗組員に犠牲者が出ている』と語っていた。

 続いて起きたのは地上軍の大部隊が犠牲になる爆発事故だった。

 ウラジオストク南端に浮かぶルースキー島の旧ソ連軍の地下要塞で、敵上陸部隊への反撃を想定した演習を行っていた一個連隊が、要塞内で起きた爆薬の誤爆事故で殆どが生き埋めとなり、連隊長以下、八百数十名が死亡した。

 ハバロフスクに本拠を置くロシア極東軍管区司令部によると、要塞内には放射性廃棄物の貯蔵庫があり、爆発事故によって地下は高濃度の放射能で汚染されたため現場周辺は立ち入り禁止とされた。また、生き残った二百数十名の将兵は、放射線後遺症の治療が必要ということで、ルースキー島内に隔離されることになった。

 程なく、ウラジオストクとその周辺地域に島から兵士が脱走する事件が相次いで起きた。その多くは摘発されたが、中には民主化運動の活動家たちによって保護される者もいた。

 保護された兵士たちは口々に証言した。

「あの爆発は事故ではない。反乱を企てた我々をベゾブラゾフ大統領が、まとめて粛清したのだ」

「生き残った将兵のうち、反乱計画の主謀者につながる連中は軍事裁判にかけられ、密かに銃殺されている」

 一部の軍、情報機関の関係者によってベゾブラゾフ政権打倒のクーデターが計画されたという情報が、世界を駆け巡った。そして、主謀者とされたのは、ルスモスコイ社会長で、元国境警備部隊庁少将ドミトリー・ミシチェンスキーだった。ミシチェンスキーは、八月下旬にモスクワで旧知のFSBやSVRの関係者と接触していたことが確認されたが、その後、ロシアから姿を消した。


 クリスマス前のパリは「光の都」になる。

 その輝きを担うのは街頭のイルミネーションだけではない。フランス各地の特産品が味わえる屋台と遊戯施設がパリ市内に登場する「マルシェ・ド・ノエル」

 最大の賑わいを見せるのがルーブル美術館近くにあるチュイルリー公園で開かれているものだ。屋台の並びに加えて移動式の遊園地が設置され、お化け屋敷にゴーカート、ミニジェットコースターなどの施設は若いカップルや家族連れで賑わいを見せる。日が暮れると遊戯施設は赤や黄色の鮮やかな照明に照らし出された。

 一瞬、ミシチェンスキーの目には、遊戯施設の派手な照明がゆがんで見えた。

(少し酔いの回りが早いな。俺も歳か……)

 苦笑しながら、向き合って座る五十がらみの男の顔を見た。相変らず愛想のないむっすりとした顔をしている。手元のグラスに入ったヴァンショ―というホットワインも一向に減る気配がない。

 せっかくのアツアツが冷めちまう。昔から信頼のおける部下だったが、花の都、パリに来てこの朴念仁ぶりは何とかならないものか。相変らずのやもめ暮らしもむべなるかな、だ。

「閣下、何度も申し上げますが、もうヨーロッパに留まるのは危険です。どこにロシアの殺し屋が潜んでいるか分かりませんし、私どもの手では、もう守りきれません。一刻も早くアメリカに脱出する準備を、お願いいたします」

 男は、ゴマ塩を振ったような頭を下げた。濃い黒髪が特徴的な男だったが、国を離れてからの苦労が偲ばれた。

 男は、一〇年ほど前に国境警備部隊庁を退職し、全財産を処分してフランスに移り住み、その後はCIAの協力者となった。アメリカの動向をミシチェンスキーに知らせる役割を担ってきた。

 そしてクーデターの失敗後、ロシアを脱出したミシチェンスキーを匿い、再度ベゾブラソフ政権に揺さぶりをかけようと策するミシチェンスキーに協力してきたのだった。

「確かにアメリカまで行けば私の身は安全だろう。だが、身柄は完全にCIAの管理下に置かれて自由は奪われてしまう。ロシアに残る同志たちと連絡をとりあうこともできなくなってしまう」

「閣下がアメリカに行かれても、同志の多くはウクライナで抵抗運動を続けます。ウクライナでの抵抗を強めれば、ベゾブラゾフの足元を脅かせるでしょう」

「いや、それは違うぞ。むしろ、ベゾゾブラゾフにウクライナ全土の占領に乗り出す口実を与えてしまう。特にウクライナ東部での内戦の激化は、市民の犠牲を大きくするだけだ。

 やはり、ロシア国内の軍や治安機関に残っている同志たちを動かして内乱状態に持ちこまないかぎり、ベゾブラゾフは倒せん。彼らが立ち上がるには、私がいつでもロシアに戻れるところに居なければならんのだ」

 ここ一時間ばかり同じ議論のくり返しだった。元国境警備隊員の男は、ふう、と大きくため息をついた。

「閣下のお気持ちは分かります。この男も、閣下と同じ考えだったのでしょう。でも、結果はこのとおりです」

 男は、ミシチェンスキーの前に新聞を投げだした。

 新聞は、ミシチェンスキーたちのクーデターが失敗した後、ドイツに逃れた反体制政治家、アナトリー・ビルデルリングの遭難事件を伝えていた。移動中の特急列車の中で突然、倒れ、手元にあった紙コップから化学兵器に使用される猛毒が検出されたという。

 毒物の名前はノビチョクA234。

 一九七〇~八〇年代にかけて旧ソ連で開発され、皮膚についただけで、失明、呼吸困難、激しい嘔吐、痙攣、ひいては死に至るという劇毒だ。アニーは一命こそとりとめたものの、中毒の後遺症で意識不明の状態が続いており、脳や神経の機能に重篤な後遺症が残る可能性が高いと伝えられていた。ミシチェンスキーが担ぎ出そうとした新生ロシアの希望の星は事実上、再起不能となったのである。

「ほんの数ミリリットルで万単位の殺人が可能な化学兵器そのものの毒物を、列車の中で使ったのです。ベゾブラソフはとても正気とは思えません。今は、危険すぎます。生きていればこそ、再び立ち上がる機会もあるというものです。後生ですから、どうか閣下、アメリカへ逃げてください」

 元国境警備隊の男はとうとう涙まじりに懇願をし始めた。今度は、ミシチェンスキーが困惑する番だった。

 周囲は若いカップルや家族連ればかりだ。その中で、代の男が向き合って座り、その片方がポロポロ涙をこぼしているというのは、あまりに珍奇で目を引く光景だ。

(群衆の中で目立たないのが諜報活動の基本だろ。こいつはなっちゃいない! それにしても、夕方家を出てから何だか気分が悪いな。頭痛もだんだんひどくなってきた……)

 ジェットコースターの轟音と客の歓声が、うわぁん、うわぁん、とハウリングするかのように聞こえてくる。屋台の周囲を彩るイルミネーションも滲んで見えてきた。

ミシチェンスキーは、頭痛や耳鳴り、目まいなどの症状に耐えながら、男を宥めるように声をかけた。

「きみが私のことを気遣ってくれるのはありがたい。だがな、私はもう七〇を過ぎた。きみらほどにはもう先のない人間だ。たとえ、ベゾブラソフを倒すためとは言え、私はこれまであまり多くの人間を犠牲にしてきた。息子や娘同然に思ってきた者も死の淵に追いやった。そこまでのことをした者が、命が危うくなったからと言って、おめおめとひとり安全なところへ逃げるわけにはいかん」

「閣下の命だけの問題ではありません。いいですか? ノビチョクが使われたということは、ベゾブラゾフは閣下を殺すためなら市民を巻き込む化学テロも辞さないということです。市民の命を危険にさらすことになるのですよ! 」

「テロの危険があるならば、ベゾブラゾフが仕掛ける前にこちらが先手を打つことを考えるべきではないのか! いいか! ベゾブラゾフがウクライナを飲みこもうと行動を起すまで、時間はもう余りないかもしれんのだ。奴を倒すのは今しかない! 今しか! 」

 決然と言葉を放った直後、ミシチェンスキーの肉体が先刻からの異変を許容する限界をこえた。急に相手の男の声が聞えにくくなり、視界から明るさが失われはじめたのである。

「い、い、い、いまぁああ! い、い、い、いまぁ しかぁあああ……」 

 口の中がしびれて舌が回らなくなった。と思ったら、続いて手足に痙攣が襲ってきた。

(まさか、毒が? いつの間に? )

 思考が混乱する中で、視界は真っ暗になっていった。そして、電流が寸断されるようにしてミシチェンスキーの意識は、いきなりブツリと途切れた。

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