告白の時②

(どの面下げて今ごろ会おうなんて言うのよ……ってところかな)

羽田空港北ウイングで、本田は札幌・新千歳発の飛行機の到着を待っていた。妻の真鈴を迎えるためだった。

 河田美幸が自殺した後、忘れ形見のダウン症児・絵里奈は行き場を無くしていた。一旦は台東区内の児童養護施設に預かってもらったが、来週中には退去しなくてはならなかった。かと言ってワンルームマンションで一人暮らしなうえに、生活が不規則な本田が絵里奈を引き取ることは現実的には難しい。結局、真鈴に相談するしか道はなかった。

(どうしてもう少し早く美幸さんの心の病に気づいてあげられなかったのか……)

 事件後、河田美幸の部屋からは、多量の抗うつ剤と睡眠導入剤が発見された。治療の記録によると、二年前に夫を亡くした頃に「躁うつ病」と診断されていたことが分かった。この病気は気分の高揚と激しい落ち込みを繰り返し、落ち込む際には強い自殺念慮に囚われることがあるとされる。

 本田は特派員を更迭された経緯を打ち明けた時のことを思い出していた。話を聞くと美幸は、けたたましい笑い声を上げたかと思うと「母親として強く生きる」決意を語って気分を高揚させていた。その後、黒崎昭造の「愛人秘書」としてマスコミにさらし者にされてしまった。恐らく精神的に追い詰められていたはずだ。

 気分の高揚と、その後の激しい落ち込み——美幸に危険な事態が起きる条件は揃っていたのだ。自分も統合失調症で苦しんでいるのに、どうして美幸の病状に気づいてあげられなかったのか。本田の心に大きな悔いが残った。

だが、それにも増して怒りを覚えるのが、冷淡な黒崎の態度だった。

 黒崎の事務所は、美幸の葬儀こそ引き受けたものの、黒崎昭造本人は、会場に姿を現わさなかった。しかも事務所の関係者は、葬儀が終ると本田に金だけを渡して火葬後のお骨の引き取りを頼むとさっさと引き上げていった。その後の連絡は一切ない状態だ。

(美幸さんのことを「俺の娘みたいなもんだ」と言っていたのは何だったんだ? それにしてもこれだけ冷淡な態度をとるのは、相当な後ろめたさがあるということなのか……)

 事実、河田美幸が亡くなったことで黒崎昭造の状況は好転していた。

国後事件の公判は、被告の美幸が死亡したことで開かれなくなった。美幸は遺書を残しておらず、その後、躁うつ病だったことが明らかになり、週刊誌に書き立てられたことを苦に突発的に自殺したものと見なされた。躁うつ病の患者を死に追いやったという批判を恐れて、マスコミによる事件の追及も鳴りを潜めてしまっていた。

 或いは、こうなることを見込んで、美幸を追い込むようなことを黒崎はやったのか——あくまで結果から見た想像にすぎないが、本田の心中には疑念がまとわりついていた。

 やがて新千歳発のJAL便から羽田に降り立った乗客たちが北ウイングの到着ゲートに姿を現わし始めた。札幌よりも一〇度近い気温の高さに、誰もが上着を脱ぎながら汗を拭い、顔をしかめている。本田はその中に、ひときわ色白の顔にセミロングの黒髪が映える妻・真鈴の姿を見つけた。

こちらが手を振っているのに気づいたのか、一瞬、目を潤ませたようだったが、すぐに表情を険しいものに改めて、真っ直ぐ本田の方に向かって歩いてきた。

 険のある目つきで真鈴は黙って本田を睨みつけた後、首だけ振って何も話しかけてはこなかった。——御託はいいからとっと案内しろということか。

モノレール、JR、地下鉄と乗り継いで羽田空港から児童養護施設のある浅草まで移動する道すがら本田は、河田美幸が自殺した経緯とその中で娘・絵里奈の置かれている状況を話し続けた。

 真鈴は、決して本田と目を合わせようとしなかったが、話しには頷きながら熱心に耳を傾けていた。それだけで本田は救われる思いがした。

 浅草駅から程近い児童養護施設に着いた時には、とっぷりと日が暮れていた。

夕食が終わったばかりだったらしく、施設の中には子どもたちの声が元気に響き渡っていた。だが、絵里奈が「収容」されている隔離部屋は、そうした賑やかさから切り離された寂しさの中にあった。

 錠前の鍵を持った女性職員に本田と真鈴は、隔離部屋まで案内された。部屋には灯りが点っていない。本田と真鈴が怪訝な表情を浮かべていると鍵を開けながら職員がつぶやいた。

「灯りもつけずにふさぎ込んでるんですよ。話しかけても何も答えないから、こちらとしても何を考えているんだかさっぱり分かりません」

 施錠されたドアが開き、部屋の灯りがともされると絵里奈は、部屋の隅で体育座りをしながらこちらを睨みつけてきた。吊り上がった目からは強い敵意とともに深い悲しみが漂ってくるようだった。敏感な真鈴はすぐに共鳴するところがあったのか、口を手で覆って今にも泣きそうな顔になっていた。テーブルの上に用意された夕食は全く手がつけられないままだった。

「いい加減少しは食べてくれないと体に良くないですからね。私たちも食べるようには言っているんですが声をかけるとあの目つきで睨みつけてきて黙ったまんま。何とも手の打ちようがないんですよ」

 ため息交じりに語る職員の言葉からは暗に早く引き取ってくれという思いが伝わってきた。絵里奈の方でもこの職員を嫌っていることが、空気の張り詰め具合から本田には察せられた。

「絵里奈ちゃんと家内とだけで話しがしたいので、少し外してくださいませんか。大丈夫、何かあっても責任はこちらが取りますから」

 トラブルになっても責任を逃れられる言質を与えて、職員を引き下がらせた。

 絵里奈の視線が真鈴に向けられた。相変らず警戒の色は消えないが、先刻まで職員に注いでいた露骨な敵意は消えている。

 真鈴は、しずかにゆっくりと絵里奈に近づいていく。真鈴の表情は、これまでとは打って変わって穏やかそのものだ。

「ああ……うう……」

 絵里奈が何か話そうとするが、

「何も言わなくていいわ。自分の思いが伝わらない、分かってもらえないつらさ。私も少しは分るつもりだから」

 優しい真鈴の語り掛けに、絵里奈の表情は緩み、やがて体育座りで組んでいた足に顔をうずめて泣き声を上げ始めた。中腰になって傍らに寄り添うところまでたどりついていた真鈴は、泣きながら震える絵里奈の肩を優しく抱きしめていた。

「あなた、分っていたんでしょう。小児脳腫瘍を患った私だったら、この子と心を通じ合うことができるだろうって。だから、私のことが利用できるだろうって」


 小学生の頃、小児脳腫瘍を患った真鈴は、後遺症として脳の機能障害に苦しんだ。

記憶したり学習したりする能力が低下して、中学生になって急に「どんくさく」なった。いじめの標的にもなり自殺を考えるまで追い詰められたことがある。

 でも——死にきれなかった。どうしても叶えたい夢があったから。

おいしいお菓子を作るパティシエになること。小児がん病棟で一緒だった仲間と一緒に食べたショートケーキのおいしさが忘れられなかった。あんなお菓子を作って、病気の子どもたちに食べさせてあげるんだ。その秘めた夢を棄てることはできなかった。

 十代後半になると、いい治療薬が開発されたおかげで次第に真鈴の脳機能障害はおさまっていった。二十歳になって独学で高卒資格を取得して調理師専門学校に入学。 

 その後、札幌でも有数の洋菓子店に就職することができた。管理栄養士の国家試験にも合格して二十五歳で、チーフパティシエに昇格した。

 小児がんの後遺症を乗り越えてパティシエの夢を実現した女性がいるとうかがったので、取材させていただきたい——そう言って店を訪ねてきた新聞記者が本田だった。


「利用だなんて……でも、確かに僕には分け入れないところに、きみならば入っていって絵里奈ちゃんと心を通わすことができるかもしれないと期待はしていたよ。だけど、これほどとは……」

 真鈴が、羽田空港で再会してから初めてまっすぐな視線を本田に向けてきた。

怒りの色は消えて、以前、自分に向けられていた温かさが幾分もどってきたように本田には思われた。

「あなたへの感情が収まったわけじゃない。でもね、今のこの子には私が必要なんだってことはよく分かったわ。こんなところに居たんじゃかわいそう。早速、引き取ることにしましょう」

「ありがとう。母親からこの子の将来を頼むと言われたものの、今の俺にはどうしようもなかったもんだから。本当に助かるよ」

「私たち、もうおしまいかと思っていたけど。この子は私たちを救ってくれるかもしれないわね」

「真鈴……」

 本田が真鈴に一歩近づこうとしたときスマホが振動した。真鈴が早く出ろ、と目で促す。

 ディスプレイには矢吹拓也の名前と番号が表示されていた。

『今、どこや? 面白くなってきたぞ。東京地検を……いや日本の検察を揺すれる爆弾が転がりこんきたんや。すぐ会社へ上がってこい! 作戦会議や! 』

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