第11話 玉葉邸②
佐保の過ごす離れから遠く離れた正房の一室で、玉葉はぴくりと肩を揺らした。
「泣いている、のか」
佐保の声にならない声が、空気を揺らしていた。
本をなぞっていた指を止めて、玉葉は眼を細めた。
しばらくそうしたあと、玉葉は読みかけの書物を卓子に置くと腰を上げた。そのまま佐保のいる離れに向かう。
室の前に立てば、静かにすすり泣く音が玉葉の耳に入ってきた。
(一人になって、いろいろと考え込んだ……というところか)
彼女の今の立ち位置を考えると、涙する理由を推測するのは容易だった。
「……佐保、入るぞ」
止まぬ嗚咽に玉葉は少し躊躇して、そうしてそっと扉を押した。
思いもよらない邸の主の訪問に、佐保は慌てて身体を起こした。
顔をぬぐって、急いで取り繕う。
「玉葉様、どうされましたか?」
普段通りを意識した声は、思ってもいなかったほどに涙に湿っていた。
気付かれていないだろうかと佐保は恐る恐る玉葉を見上げたが、暗い室内では玉葉の表情は読み取れない。
「……何を思っていた?」
玉葉の声音が少し柔らかいような気がして、佐保は唇を引き結んだ。
(玉葉様、気が付いているんだわ。きっと、声が漏れ聞こえてしまったのが伝わってしまったのね)
隠していたのが無駄だったのだと自覚した途端に、無理矢理押し込めていたはずの涙が瞼に逆流してくる。
「すみません、長旅で気が滅入っているだけなので気になさらないでください」
佐保はうつむいて、玉葉から視線を逸らした。
下を向いた瞬間、ぽたりと雫が寝台に落ちた。
「――泣いているのか」
玉葉の声が頭上から降ってくる。そっと大きな掌が頬に添えられた。
どきりと胸が高鳴る――ような展開はなく、その手は遠慮なく佐保の頬を鷲掴むと顔を無理矢理仰向かせた。
「泣くな」
慰めや優しさもの欠片もない手厳しい玉葉の言葉に、思わずつづきの涙は引っ込んでしまった。
「後ろ向きになっているときに自分を悲観するのは、自分を深い穴底へ引きずりこむようなものだ」
銀灰の瞳が佐保をしかと捉えて、穏やかな声が耳を打った。落ち着かせようとしているのか、それとも叱咤しているのか分からない。分からないけれど、玉葉の声に佐保の心が凪いで行く。
「言葉は、心の表れだ。かたちのない心に輪郭を与えたものが、言葉になる。不幸や悲観で輪郭をなぞれば、その先に幸いはない」
玉葉の言うことは難しくて、その真意は掴めない。それでも、こくりと佐保は小さく頷いた。
「澱んだ言葉を内にため込めば心を腐らせる。すべて吐き出せ」
(もしかして、慰めようとしてくださっているのかしら……)
拠り所がない佐保には、玉葉のその言葉はじんわりと胸に沁みた。
心細さが背を押して佐保は玉葉の言葉に甘えるように、ぽつりぽつりと言葉をこぼした。
「本当は、お前は村に帰りたくないんだろう? でも、王都にも居場所がないと思っている」
玉葉の言葉に、佐保は瞠目した。
「帰りたくないだなんて、村には育てていただいた恩があるのですから――」
それだ、と玉葉は眉根を寄せた。
「いつまで続けるつもりなんだ。お前、自分が都合よく使われているだけだと分かっているんだろう?」
佐保は咄嗟に否定できなかった。玉葉の言葉で、心の中にずっと溜まっていた黒い澱が輪郭を為してあらわれたようだった。
「幼い頃からずっと、見て見ぬふりしてきたんだろう」
(――それも、無自覚にわざと輪郭を引くことを避けてきたのだろうな)
動揺で揺れる佐保の瞳を観察しながら、玉葉は胸の中で小さくため息を吐いた。
再会したとき、自分で自分に葉術をかけ、無自覚に「昏い自分」を振舞う佐保に腹が立った。自ら枝葉を折って成長する気もなければ、折角の才能も花開くわけがないのだ。
それでも、可哀想な少女へ向けて怒りをそのまま露わにするほど玉葉も幼くはない。
「村にはお前の居場所はない。昔も、今もだ」
玉葉は諭すようにゆっくりと口を開いた。
(……そう、そうね。私、本当はちゃんと分かっている)
佐保の抱える不安をゆっくりとなぞり、それが現実なのだと、そうはっきりと示す。胸が苦しくて、上手く息が吸えない。
「……私は、どうしたらいいのでしょう」
漠然とした不安に、佐保は覚えず玉葉にすがるように言葉を漏らした。どうしてか答えを求めたわけではなかったけれど、口をついて出る言葉をどうにも止められなかった。
「自分の居場所は、お前自身で作ったらいい」
その力強い言葉に、佐保は思わず視線を上げた。
(自分のために、居場所をつくるなんて……考えたこともなかったわ)
「私なんかに、作れるでしょうか」
「お前はずっと作ってきただろう? 機を織り、従順に村に尽くし――同じことだ。お前にできないわけがない」
玉葉の声音は相変わらず冷厳として決して甘やかすそぶりはないのに、玉葉とかわす言葉は、佐保の小さく冷え固まって委縮した心をゆったりとほぐしていく。
でも、と言いそうになった佐保に先回りして、玉葉は言葉を継いだ。
「不安に思う必要はない。お前は、籠の鳥が空に放たれて、不安に思うことがあると思うか」
いえ、と佐保は小さく
「籠の鳥が、空に翼を広げて感じるのは自由の喜びだ。お前のそれは――」
玉葉は佐保の胸に指先を向けた。
玉葉は眼を細めた。力を込めて、大事に、言葉を紡ぐ。
「お前が胸に感じているそれは、寄る辺のない不安ではない。未知と自由への期待だ」
玉葉の言葉が、何か大きな翼となって、佐保の心を駆け抜けていった。その翼の巻き起こす風が、不安の輪郭をかき消して、別の、きらきらしたものに書き換えていく。
「与えられた仕事をしながら、考えたらいい。それが終わるまで、お前の居場所はここなのだから」
佐保は、小さくなった不安の種と少し軽くなった心で、はい、と小さくはにかんだ。
春霞葉術譚 篝 たすく @kas1nnn0kaze
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