ミャーフカヤ・イグルーシュカ

深川夏眠

Мягкая Игрушка


 友人の失恋話に付き合って痛飲し、どうやって帰ったか覚えていないが、気づいたときは自室の床に転がっていた。問題は今日、別の約束があって出かけなければいけないことだ。あたふたとシャワーを浴び、髪を乾かして服を着、思いつく限りのアイテムをトラベルバッグに詰めて飛び出した。

 コーディネイトのちぐはぐさ、インナーが肌に馴染まない違和感が気持ち悪い。普段の癖でワイヤレスイヤホンを耳に突っ込むのは忘れなかったが、焦っているから何を聴いているかよくわからない。ドタバタと電車を乗り継ぎ、嫌な予感がしたものの、席が空いたので腰を下ろした。案の定、居眠りして乗り過ごす大失態。

 慌てて下車する間際、手荷物が一つ多い気がする……と思いつつ、引っ掴んだのは誰かの忘れ物、パッチワークのテディベア。

「しまった」

 ともあれ、引き返すより先へ進んで乗り換えた方がよさそうだと路線図を見て判断し、何故か極端に人気ひとけのないホームに突っ立っていると、妙に古めかしい列車が入ってきた。

 中はガラガラ。ロマンスシートの一つに座るや否や、またウトウトしてしまった。

соня

「へっ?」

 不意に野太い声で呼びかけられて目を覚ました。とはいえ、残念ながらぼくはそんな可愛らしい名前ではない。

 瞬きを繰り返して気づいた。謎の重低音ヴォイスはイヤホンの中から聞こえる。何事だ、いや、まだアルコールが残っているのか。

「こっちだ」

「ヒャッ」

 成り行きで旅の道連れにしてしまったぬいぐるみが窓際のシートにちょこんと座り、心持ち上目遣いにぼくを睨んでいた。彼は外見に似合わぬ渋みのある声で宣告した。

「貴様の罪状は遺失物の横領」

「車掌さんに預ければいいんですかね」

「いいや、罰として終着駅までエスコートするのだ」

「はあ?」

 そこへ車内販売が回って来た。

「温かい飲み物を所望する」

「うへぇ。すいません、紅茶二つ」

「はい」

 ワゴンを押していた華奢な少年(としか言いようのない若さだ)が美しい手でポットを傾け、湯気を立ててサーヴしてくれた。ぼくは背面テーブルをセットして、受け取ったドリンクホルダーにガラスのマグを置いた。

「ロシアンティにせよ」

 品のいいパーサーは、もう車両の先頭に移動していた。

「ジャムなんかないよ」

「鞄に入っているだろう」

「そんなバカな」

 しかし、荷を開いてみると真っ赤なヴァレニエの瓶詰が出てきた。途端に記憶が蘇った。甥っ子を預かって一頻り騒ぎに付き合い、疲れ果ててしてしまったのではなかったか。イチゴジャムは姉が持たせてくれた義兄の出張土産だ。すると……これは夢の中。ぼくはまだ眠っているのかもしれない。そうだ、この驕慢な人形の外見は小僧が安眠の友と称して持参したぬいぐるみ、そのままだ。

 ポーチを開けると熊の頭をかたどったプレートと、同じ形の柄尻のスプーンが現れた。

「やれやれ。どうぞ」

 小皿にプリザーヴの果実を軽く盛って勧め、横柄なアルルカンの満足そうな顔を見ながら、ぼくは終点に着いて目覚めるのが恐ろしいと思っていた。甥の狂騒によって、床には茶葉やジャムや紙吹雪が取り散らかり、足の踏み場もなくなっているに違いないから。



        Мягкая Игрушка【Конец】



*2023年3月書き下ろし。

⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/W6LDhE8w

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ミャーフカヤ・イグルーシュカ 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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